8、苔桃谷の魔女ストーン
真っ赤なローブの魔女に招かれて、2人は屋内へと入る。フォレストはドアをくぐるのに苦労した。腰を曲げるだけではなく、肩もぐぐっと内側に入れる。幅も相当キツイようだ。この動作をすると、必然的に繭のような形をした籠を胸にぎゅうっと抱き寄せることになる。
(きゃぁぁぁー)
プリムローズの心中はお祭り騒ぎだ。
(恥ずかしい、嬉しい、近い、ぎゅっとされてるのは籠だけど!わたくしの、心臓!心臓がっ)
昨晩、雨の中で懐に入れてもらった時には、フォレストの親切心に感謝しただけだったのに。たった半日程度で、乙女の恋心はずいぶんと膨らんでしまったようだ。
プリムローズの意識が彼方へと旅立っている間に、家主の魔女は文句を垂れていた。
「フォレストー、邪魔ー、小さくなって」
「チッ」
クランベリーデイルのストーンは、可愛らしい家に住んでいる。外側から見た通り、家の中はとても狭い。一部屋の中に全てある。小机一卓椅子一脚しかないフォレストの部屋と違って、椅子は6脚あった。その為、屋内のスペースは年輪を生かしたテーブルと丸椅子で殆どが占められていた。
フォレストは魔女の不満を無視する。この家は天井も低いので、窮屈そうに背中を丸めている。
「姫様を猫に変えたのはお前か」
銀髪の大男は、体を縮めて立ったまま単刀直入に問う。
「そうだよ」
毛を膨らました猫のように、魔女ストーンは威嚇する。心なしか緑の巻き毛が逆立った。苔桃色のどんぐり眼がギラリと光る。案の定、フォレストの舌打ちが大袈裟なまでに響く。
「チッ!」
魔女は怯まず睨む。
「王様のご家族がお好きなものは、みんな猫ちゃんを目の敵にするものばかりじゃないか」
フォレストは、仏頂面で聞いている。
「王様は特別に好きなものはないけれど、ハッキリと猫ちゃんが嫌い。大嫌いなんだとさ」
ストーンは、いまいましそうにフンッと鼻を鳴らす。その胸元には、虹色のブローチが輝いている。
「猫ちゃんを敵視する王宮が許せなかった。お妃様の可愛い鳥も、兄王子様の大事な花園も、弟王子様と走り回る犬達も、末姫様の大好きな魚も、猫ちゃんの被害に遭うからって、猫ちゃんたちを完全に締め出すなんて、行き過ぎだよ」
プリムローズ姫は、籠の中で決まりが悪そうな顔をする。フォレストは変な顔をして、チラリと姫に視線を走らせた。姫の好きはお世話したい方向性ではない。それは、昼休憩の時にフォレストにも伝わっていた。
確かに、猫が厨房から極上の魚を攫って行ったならば、プリムローズ姫は激怒するだろう。しかし猫を撲滅したいと思うほどではなかった。父母や兄達とは違って、猫一般に憎しみはない。
(むしろ魚好き仲間よ)
プリムローズの憤慨を他所に、ストーンは演説を続ける。
「いくら鳥だの花だのが大事だと言っても、猫ちゃんだって生き物だよ」
「だからって、姫様を猫に変えるなんて」
フォレストは非難の色を載せて唸る。ストーンは悪びれもせず言い放つ。
「だからこそだろ」
「姫様が殺されたりしたら、どうするつもりなんだ」
ストーンは、また鼻を鳴らす。
「秘蔵っ子の末姫を猫に変えて追い出させ、その後すぐに目の前で戻してやるつもりだったよ。そんなに苦しめるつもりはなかったんだ」
「放置したくせに?」
「猫にする魔法を投げてそのまま寝ちゃってさ、眠かったから、魔法の加減はどうしたのか覚えていないよ。姫は行方不明みたいだけど、そのうち元に戻んだろ」
フォレストと猫の姿のプリムローズは、すっかり呆れてストーンを見る。
「思いつきで、しかも欠伸混じりに使った魔法かよ」
「いつものちょっとした悪戯さ」
「ちょっとじゃないだろ!姫様、槍だの剣だので追い回されたそうだぜ」
「あのお城で猫の姿を見られたら、そうなるよね」
「チッ、無責任な」
魔女は口を尖らせる。
「翌朝、姫の部屋に行ったんだよ。そしたら姫が居なくなっててさ。なんか物々しい鎧姿の騎士様や兵士さんがうろついてたんだ。予想外の大事になっちゃったんだよね。早々に逃げてきたよ」
「探せよ」
「魔法が解けたら見つかるでしょ」
「その前に事故が起きたらどうするんだ」
今、目の前にフォレストが姫を抱えて立っている。目に入ってはいるはずだ。
(ストーンさんに掛けられた魔法はもう解けてるから、私がプリムローズだってことに気づかないのかしら)
「大丈夫じゃない?眠かったからよく覚えてないけど、死ぬようなことはないようにしといたと思う」
「チッ、いい加減な」
「その舌打ちやめてよね。不愉快」
「チッ」
「そんで、何?捕まえに来たの?」
「そうだ」
「うーん」
ストーンはローブの広い袖口に手を引っ込める。しばらくゴソゴソやって、一束のドライハーブを取り出した。2人が見ていると、魔女はハーブの束で複雑な形を空中に描く。描きながら、小さな声で節をつけながら魔法の言葉を並べた。
「もう解けてんね」
ストーンは、不審の眼差しをフォレストに向ける。
「アンタ、知ってたろ」
フォレストは憮然として頷く。自分が魔法を解いたのだ。当然、姫に掛けられた猫化の魔法が解けていることは知っている。
「魔法が解けたんじゃあ、どこにいるかは追えないけど、元の姿に戻ってるなら、間もなく城に帰るだろ。仔猫の足じゃあ、そんなに遠くには行けないだろうし」
「人の姿だって、危ないだろ」
「五月蝿いなあ。アタシを捕まえに来たんなら、さっさと連れてけばいいだろ」
(怖かったのよ!雨で死ぬとこだったのよ!なんなの、この人)
プリムローズ姫は、怒りに身を震わせる。
「チッ」
「何あんた、変な顔して」
フォレストは舌打ちをしながらも、姫を気遣うそぶりを見せる。いつもの不機嫌な表情とは違う。ストーンは薄気味悪そうにフォレストを見上げた。
フォレストは、マントの中から繭に似た籠を取り出す。半分顔を出してはいたが、気持ちを察して完全に見えるように持ち直した。ストーンは、忌々しそうに鼻を鳴らす。
「フンッ、隠れ蓑の魔法を掛けてたのかい」
(やっぱり、他の人には気づかれないような魔法を掛けてくれていたのね)
道行く人にも、ストーンにも、プリムローズはたった今まで居ないものとして扱われていた。予想はついていたが、姫の胸は温かくなる。
(守ってくださったんだわ)
ストーンの家が狭いので、フォレストは風の籠を椅子にするのをやめておく。繭型の籠を傾けて、プリムローズが木の丸椅子に降りやすいよう膝を折り曲げて屈む。窮屈そうな魔法使いに感謝の眼差しを向けて、姫はひらりと籠の外に出る。
すっかり慣れた動作で人に戻した姫に、フォレストは立派なマントを着せ掛ける。ストーンは嫌そうにその様子を見ていた。
「フンッ、保護済みかい、忌々しい」
「あら、謝らないのね」
もうすぐ16になる姫様が、ふんぞり返って冷たく言った。精一杯の虚勢をフォレストは愛しく思う。一方、姫様猫化の犯人であるストーンは、拗ねた目をして姫を見据えた。
「あのお城で猫ちゃんがどんな目に遭ってるのか分かったろ?」
「確かにしつこかったし怖かった」
姫は硬い声を出す。魔女は畳み掛ける。
「みんなの前で人間に戻って、猫ちゃんを虐めないように言ってやんな」
「ずいぶんと身勝手なのね」
「身勝手なのは、城だろ」
ストーンは緑の巻き毛を軽く振り、ぷくっと頬を膨らます。フォレストが舌打ちをして、プリムローズは眉根を寄せる。
「死にそうな目に合わせておいてその言い草なの?」
「城は散々猫ちゃんを虐待したじゃあないか」
「私はしてない」
「助けてもないだろ」
「殆ど見かけてないし、猫が酷い目に遭っているところは見ていないわよ」
「王族なら責任あるだろ」
「それでも、あなたは私を危険な目に遭わせたのです」
「王家の一員として、虐待を廃めさせる努力をしろよ」
「謝りすらしない人に言われたくありません。そもそも、姫に危害を加えるなんて。謝罪だけでは済まされませんよ?」
「お前たちが先に猫ちゃんを虐待したんだろ」
「チッ、平行線かよ」
不毛な言い合いに、フォレストが割って入った。
「危険な目には遭わないようにしたとか言ってたけどな、雨に濡れて死にかけてたからな?姫様は」
「何?国の肩持つの?猫ちゃんは死んでも良いの?」
(え?反逆かしら?)
「あー、姫様、あとで説明する」
「え、なあに、姫は魔法使いの権利も知らないの?だからさっきから態度悪いんだー」
ストーンが急に馬鹿にし始める。勿論フォレストは大きく舌打ちをする。
「チッ!いい加減にしろよ。さっさと処罰を受けて、そんで手打ちだ」
「はあぁ?猫ちゃん虐待を辞めないんなら、今度こそ思い知らせてやるんだから」
「駄々っ子ね」
「何する気だよ」
「フンッ、見てなさいよ?驚くよ?」
「チッ」
プリムローズ姫はため息をつくと、真っ直ぐにストーンの目を見る。
「わたくしは魚が好きだけど、食べるのが好きなだけだから、猫とは分かり合えると思うのよ」
「えっ?」
魔女は毒気が抜かれたように、顔の緊張をすっかり弛めた。
「こっち来る時もな、変化すんなら猫が良いって言ったんだよ、自分で」
「そうなの?」
「ええ、追いかけられるのは怖かったけど、高いところから飛び降りられたり、お部屋が巨大に見えたり、猫もけっこう楽しいじゃない?」
「ふーん?」
「それより、この辺の猫って、みんな人間なのかしら?」
プリムローズは、叱りつけるように質問した。
「フンッ、何を言い出すかと思えば」
ストーンがまた警戒を強める。フォレストはうんざりして顔を顰める。
「チッ、そういうのやめろ」
「どうなの?人間なの?」
「違う」
「そう。猫と仲が良いのね」
「そうだよ」
ストーンはヤケクソになった。始終自分のペースでいるプリムローズは手に余る。不機嫌で無愛想なフォレストは元々嫌いだ。嫌いな男が庇うので、プリムローズ姫のこともいけすかない。
「なんだかあんた達お似合いだよね」
もう面倒臭くなったのか、ストーンは話を切り上げる。姫と魔法使いはヒュッと息を呑む。相手の表情を見るのが怖くて、2人ともが必要以上にストーンの顔をじろじろと見た。
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続きます