79、魔法細工師の約束
ティムは状況が呑み込めずにマーサを見つめた。マーサは何やら苛立っている。マーサは再び視線を落とす。杯の中を見つめるその顔を思わず覗こうとして、ティムは首を傾ける。マーサは栗色の眉を引き上げ、目を吊り上げて、ググッとティムの手を握り込む。なかなかの握力だ。
「ティミーが、本当に私を離したくないと思うなら、貴族籍を捨てるように言ったらいいのよ」
「え」
マーサはもう一度、強い口調で言い切る。そして徐に顔を上げる。薄茶色の瞳が真っ直ぐにティムの空色を見つめてくる。
「ティムは、透明ブローチの立派な魔法使いでしょう。両親だって、ティムのことは尊敬しておりますのよ」
マーサの父親は星乙女人形コレクターなので、髪飾り担当のティムを尊敬している。そして、ティムは普通の職人ではない。エイプリルヒルにいると感覚が麻痺してくるが、魔法使いはこの世界全体では、非常に稀な存在である。
「あっ」
ティムは憑き物が落ちたような、すっきりとした顔で笑う。マーサは心臓の音が煩くて、周りの音が聞こえなくなる。
「そうか。そうだよねー?僕は魔法使いだし、マーサの家族とも仲が良いし」
「その通り。魔法使いなら、職人と貴族が共に生きることなんか、何の問題もありませんわね?」
「うん」
力強く頷くティムに、マーサはため息を吐く。
「でもね」
「えっ、まだあるのー?」
「姫様もティミーも側に居なくなってしまうなら、そんな貴族籍なんか、最初から要らないのよ」
マーサが管を巻き始めた。
「ティミー!優しいのはいいの!毒舌だけど!」
「えっ、酷いー」
「そこが好きなの!」
「あ、ありがとー」
「でもね?なんかこう!がっと!」
「ええー?」
「貴族籍捨てて嫁に来いよ!くらい!おっしゃい!こう、シャキッと!ガツンと!キッパリと!スッキリと!」
「は、はいーっ!言うからぁ。言いますー、今から。ねえ、だから、言うから、落ち着いてぇー」
「怪しいですよー?」
「マーサぁー」
そんなことがあって、3ヶ月程が過ぎた。2人は精霊湖畔でピクニックをしている。今日はデートなのでふたりきりだ。
「マーサ、声の届く本体一体型アクセサリーを作ったよ。これでいつでもお話できるねえ」
ティムは、2人にそっくりなペンダントサイズの人形を2つ、手のひらに乗せて見せる。本体扱いの人形部分と、装飾品扱いの眼が一体になっている。温度調節人形と同じタイプだ。人形用の飾り細工の職人だと言い張るのは、最早屁理屈なのかと思われてくる。
「またティミーは。配っちゃダメですよ」
「配らないよー」
ティムは呆れる恋人に、へにゃへにゃにふやけた笑顔を見せる。マーサに厳しく指摘して貰うのが好きなのだ。しっかり者でかっこいいと思っているのだ。そんなマーサと一緒にいられて、自分は世界一幸せな魔法使いだと確信している。
「いつかこの人形をふたつとも同じ部屋に飾ってあげたいんだ」
「ティミー、それは」
「うん、プロポーズだよ」
結局、貴族籍云々は有耶無耶になっていた。あの後マーサは次々と文句を言い続けて、最後にはなんの話だったかわけがわからなくなってしまったのだ。なんと言っても酔っ払いである。そのあとはいつもの通り。なし崩しに各地のご馳走の話題になってしまった。
記憶を無くさなかったため、酔って結婚を迫った形になったことが、マーサには恥ずかしくて仕方がない。ティムもそれを察して、その話は蒸し返さないようにしていた。
ティムとしては、やはりマーサの気持ちが嬉しかった。そして、ティムの側で悩んでいた点も思いがけず簡単に解決してしまった。あとは改めて結婚を申し込むべく、準備をしていたのだ。
「嬉しい。今年の始源祭には、是非とも幸せの髪飾りを」
「僕が作るよー。人間用は初めてだけど」
「光栄だわ」
「人間用は、この先もマーサにしか作らないねー」
「一体型なら作るでしょ?」
「一体型と人間用は違うよー!」
2人はペンダント人形を互いの首に掛け合って、にこりと笑う。ティムの胸にはマーサの、マーサの胸にはティムの姿をした小さな人形が収まった。
2人の頭の上には、年老いたブナが枝を広げて涼しい陰をつくっている。精霊湖を見やれば、星陰柳の葉が揺れている。水草にトンボが止まっている。
水すましが驚くべきスピードで水面を走る。その脇を、小石の塊のようなよく分からない形をした魔法生物が競うように滑ってゆく。
「ティミー、ご存知かしら?この木はエイプリルヒルの古い言葉では、智慧の扉と呼ばれているのよ」
「うん。これでも僕、魔法使いだからねえ。でも、マーサ良く知ってるねえ」
ティムは、恋人の素敵な一面をまた一つ知って満足気だ。
「星乙女人形コレクターには、民話や伝説が好きな人が多いわ」
「そっかー」
「ふふ、私には魔法の門を開くことが出来ないけれど、ティミーといれば、神秘の窓を覗くことができるわね」
「うん!たくさーん、見せてあげるからねぇー」
ブナの木陰に並んで座り、2人は肩を寄せ合った。
それから長い時が経ち、プリムローズとフォレストはいつしかエイプリルヒルを離れていた。ティムも今日、城下町の工房を畳む。久しぶりに訪ねた故郷の町で、大魔法使いのふたりは変わらぬ姿で立っていた。王様も兄達も既に亡く、プリムローズの親しい人は、もう城にはいなかった。
「ティム、本当に旅立つのか」
「うん。ここには想い出が多すぎるからねぇー」
ティムの胸には、あのプロポーズの人形が揺れる。マーサの希望で、今は2つともティムが下げている。
「それでも大魔法使いにはならないんだな」
「ならないよー。マーサと約束したからね」
引き払った工房の扉に鍵をかけると、管理を引き受ける人に渡す。
「僕はねえ、マーサと同じ時の流れを生きていたいんだあー」
すっかり白くなった柔らかな髪に、秋の日差しが斑に踊る。3人は城下町の坂を下ってゆく。
「マーサは魔法使いになれなかったからねぇー」
普通の人よりはゆっくりと進むティムの時間は、それでもプリムローズたちとは違う。
「もう一度、いつかの時代、どこかの時で必ず会うんだー」
月の国の伝説では、この世の旅路を終えた人間は、月の光に溶けて運ばれる。遠く遥かな何処かの国へ。
「かなり待たせちゃうけどさあ、でも、僕の時間は確実に終わるから、また会えるよー」
「チッ、俺たちだって、いつかは終わるさ」
「えー。そんなの、わかんないでしょー」
大魔法使いで死んだ人は、今のところ1人もいない。
「あら、ティム。マーサがまた生まれるまで待ってればいいのに」
「それじゃあ意味がないんだよー。同じ時の流れを生きていたいんだからねぇ。僕たちは」
「同じ場所や時代に生まれるとは限んねぇだろ?」
「大丈夫。忘れたの、レシィ?僕は月の国の民なんだよー?」
ティムの空色の瞳が皺の寄った顔の中で怪しく光る。
「チッ、耄碌しやがって。公言すんなよ」
「あははー。今更だよねー」
ティムは若い頃、月の国とその民が危うい狭間の存在であることを否定したがっていた。建前上は普通の国であるし、その地に生まれた人々も国を出れば普通の人間として生きる。逆にかの国に行けば、みな魔法の月の影響を受ける。
そして、月の国の民は特に強い影響を受けるのだ。あの魔法の月光を浴びて、彼らは不思議な存在となる。魔法使いともまた違う、他のどこにもいない人間たちだ。
「子供たちどうしてるの?」
「あっちに住みついちゃってるー」
「先に帰ったのか」
「うん。お葬式の後、すぐ帰っちゃったよー。仕事もあるしねぇー」
「ティム、マーサを弔ったあと、ずっとここに独りでいたのか」
フォレストはやるせない顔をした。1年前にマーサの葬式に来て以来、連絡を取っていなかったのだ。工房を畳む連絡を受けて、急いでやってきたのである。
ティムは、昔と変わらぬにこにこ顔で、道ゆく人と挨拶を交わしながら歩いてゆく。今のエイプリルヒル城下町には、フォレストに呼びかける人はいない。万魔法相談所だった建物も、雑貨屋の一家が暮らしている。
「ティム、月の国に戻るの?」
「親方の工房継ぐのか?」
「それは、違う人がやってるー」
「じゃあ、また遍歴に出んのか」
「そうだねぇー。僕もまさか、こんなに長くひとつ所に留まってるとは思いもよらなかったんだよー」
しばらく黙って歩いていたが、町の門を出るとフォレストが不服そうに呟いた。
「星乙女は死んだろ」
「んー?」
「魔法使いの始まりの人間は、今じゃどこにもいないだろ」
「そうだねぇ」
「星乙女は森の精霊と生きることが出来なかったのね」
「うん」
「チッ、そういうこと言ってんじゃあねえよ」
「分かるけどさぁ」
「何だよ?」
フォレストは不機嫌になる。
「相変わらずだよねぇー。レシィ、ちょっとは穏やかになりなよー」
ティムは昔のようにげらげら笑う。家の増えた草原を散歩しながら、3人は秋の空を見上げた。
「ウッズさん、ここで初めて飛んだねぇー」
「今日は会えなくて残念だな」
「仕方ないよー。寄書館のおばちゃんに弟子入りしちゃったからねぇー」
「滅多なことでは出てこねぇよな」
「気が合うみたいだからねー」
「本当の親戚みたいだわ」
星乙女はどうして死んだのか、いつ死んだのか、誰も知らない。現在生きている大魔法使い9人も、いつかは死ぬことになるかも知れない。いつまでも生きていることもあり得る。それも解らないのだ。
ティムは元々、人としての世界に留まっていたかった。マーサと出会ってその決心は不動のものとなったのだ。実際には、ティムも万能の魔法使いだ。オリジナルの細工魔法をたくさん編み出した。
魔法使いは、実力が上がるほど寿命が延びるものである。マーサと共に歩みたいから、見た目は一緒に歳をとった。だが、実際の寿命がどうなっているのかは不明だ。死ねると思い込んではいるが、ティムも境界のこちら側からはみ出した可能性も否めない。
「そっちは?子供たち元気ー?」
「まあ、変わんねぇな」
「相変わらず、お城は禁足なのぉー?」
「仕方ないわよ。あの子たち猫大好きで、すぐ連れてきちゃうから」
「お城もそろそろ変われば良いのにねぇー」
「そうねぇ」
プリムローズは、寂しそうに微笑む。故郷の親戚とは、随分前から絶縁しているようだった。




