70、プリムローズ姫の門出
星の乙女の春の国、魔法使いの楽園とも呼ばれる精霊と不思議な魔法の国エイプリルヒル。長閑なこの小さい王国の末姫プリムローズの、今日はおめでたい16歳のお誕生日パーティーが開かれている。
「お父様、何ですって?」
パーティーの主役、金の巻き毛の小柄な姫が、柳の眉を吊り上げている。細く澄んだ声を鋭く尖らせて、目の前にいる王様に突き刺す。
「姫」
エイプリルヒル王国の王様は、困ったように眉を下げる。
「信じ難いことですわ!暴挙ですわ!横暴ですわ!血も涙もございませんのね!」
プリムローズは憤慨して、ピョンと飛び上がると魚の形のステージをカツンと踏み鳴らした。
「これ、姫、はしたない」
プリムローズは王様を睨みつける。客人たちはしんとして見守っている。
「何よっ!お誕生日が台無しだわ!」
プリムローズは可愛らしく叫ぶ。
王様の背後では、お妃様が祝杯の銀ゴブレットを握りしめておろおろしている。長兄夫婦の表情はすっかり抜けて、顔色が白くなってしまった。次兄は驚いてプリムローズを見つめる。次兄の婚約者はステージのかぶりつきで、顔の前でレースの扇を広げている。
楽団員は気まずそうに顔を見合わせている。花籠を配り終わって、パーティー用の飲み物を準備していた給仕たちは手を止めた。桜草愛好家倶楽部の紳士たちは、呆然と成り行きを見守っている。
プリムローズは大人びた扮装を魔法ですっかり解いてしまった。王妃様は眉を顰めて一歩出る。姫は構わず口を開く。
「お集まりの皆々様!」
姫は、銀色のレースが光るお散歩ドレスに魔法で着替えた。大きな声で口上を始めてしまい、居並ぶ人々は何が起こるのかと身構えている。
プリムローズはきりりと顔を引き締めた。始源祭で観た魔法人形芝居の真似をする。あの時聞いた、水晶宮のお爺さんが語った口上を思い出す。
星乙女の人形芝居のように、プリムローズは魔法で人形を作り出す。会場のあちこちから、魔法の風で花や木の葉を吹き寄せる。植物はミニチュアのトピアリーを作る。
プリムローズの合図で、妖精楽団が賑やかな演奏を始めた。神秘的だがどことなく野趣のある曲だ。曲に乗ってプリムローズはふわりとひとつ、お辞儀をした。張り上げる声はいきいきとして、魔法の調べを紡ぎ出す。
お集まりの皆々様に
本日エイプリルヒルの王城にて
お誕生日のこの良き日
お祝いいただき恐悦至極
星の乙女の祝福を
この地に受けた者たちの
遥か末なるわが同胞よ
謹んで御礼申し上げます
星の乙女の春の国
その王城に住まう者
16になる末姫の
プリムローズとはわたくしのこと
海を渡り山をも超えて
この日の為と遠路はるばる
お越し下された客人よ
心より御礼申し上げます
かくも稀なる物語
星の乙女の恋の歌
幸せ降らせ星降らせ
この世に知らぬ人もなし
森や平野を駆け巡り
川や湖の波間に遊び
夜空を映す泉のほとり
美しく流れる金の髪
さて今は
エイプリルヒルのプリムローズ
星の乙女の巻き毛に似たる
金の巻き毛に生まれし者ぞ
不思議な魔法を身につけて
額に飾る物は何
愛しきお方の贈り物
星の乙女の幸せと
わが同胞は呼ぶ飾り
皆様とくとご覧あれ
本日限り王城を離れ
久遠の空を馳せ巡る
エイプリルヒルの末の姫
お祝いください
お慶びください
世にも稀なる銀色の
賢く偉大な魔法使い
菫の瞳も頼もしく
優しく強きその手から
求婚の飾りを受けましたのよ!
「他の方からの求婚など、とんでもないわ!」
プリムローズの身の回りには、魔法の力が膨れ上がる。会場の人々は、恐ろしそうに身を寄せ合った。プリムローズの心情を表すように、空はみるみる曇っていった。
客席はざわめき、人々は天を仰ぐ。雲は濁った緑や紫を混ぜ、太陽は赤黒く染まる。王様も土気色の顔をして口を閉ざす。王妃様は王様に寄り添い、次兄王子はステージから駆け降りて婚約者の肩を抱く。兄王子は妻の手を握る。
魚の形をした薔薇色のステージは、姫の魔法でカタカタと不穏な音を立て始めた。妖精楽団はキューギューと不吉な音を出している。
「姫、よすのじゃ!」
「大人らしくなさい!」
珍しくお妃様が声を上げる。
「なによ!お父様たちこそ。およしなさいな!」
プリムローズはぷくんと膨れる。
「お父様こそ、子供みたいよ!」
不気味な空や不穏な音とは不似合いに、姫は愛らしく抗議する。
「こんな騙し討ちみたいなことなすって!遠い国々からお越し下すったお客様方にも失礼だわっ」
会場となった庭園一面に降り積もっていた、お祝いの花びらが舞い上がる。プリムローズの魔法が巻き起こす風で、花びらの旋風が会場のあちこちで渦巻く。貴婦人たちは髪を押さえ、紳士たちは貴婦人を支える。
そこここで恐怖の声が聞こえてきた。貴婦人たちが金切り声を上げる。気を失って倒れる者まで出始める。
「ばかっ、何してんだ!」
そこへ、虹色の渦の中から銀色の大男が現れた。プリムローズの魔法を感じ、空の色が変わったのも観て、見過ごすわけには行かなくなったのだろう。
藍色のどっしりとした綾織に銀糸で一面の刺繍がされた、豪奢なマントが翻る。辺りは菫色の光に満たされて、会場は一瞬のうちに元通りだ。くしゃくしゃに乱れていた参列者の髪や服も、倒れて割れた桜草の鉢も、暴風に折れた薔薇や立木も。まるで何事もなかったかのように、美しく楽しく、祝いの席に相応しい姿を取り戻す。
フォレストは乱暴な動作で、魚の形をしたステージにドシンと降りる。プリムローズは半べそで抱きついた。
「レシィ!レシィ!お父様たちったら酷いのよ!」
「チッ!魔法抑えろ、危ねぇ」
「レシィ!」
「話は後で聞くから!」
プリムローズは金の巻き毛をおどろに乱してフォレストを見上げる。形の良い小さな顔には、涙の筋が幾つもついていた。
「ほら、魔法を止めろよ」
フォレストは銀色の眉の間に縦皺を深く刻んで、プリムローズをふわりと抱きしめる。プリムローズはしばらくしゃくり上げていたが、やがて落ち着いて、撒き散らしていた魔法を収めた。
プリムローズは、フォレストのマントにくるまると、大きく尖った立派な襟の先をちょんと引っ張る。
「それにしたって」
プリムローズは、不服そうに王様たちをチラリと覗く。
「お父様たち、酷いのよ。本当に、本当に、酷いんだからっ!」
フォレストは優しくプリムローズのこめかみに口付けると、巻き毛をひと撫でした。それから一旦姫を離し、王様へ一礼、会場に一礼した。
それを観たプリムローズは、風を纏ってお祝いの装いに戻る。大人びて背筋を伸ばすプリムローズの、三角形に垂れ下がる長い袖口を見て、フォレストは思わずステージを降りた。
プリムローズは決まり悪そうに会場を見て、それから王様たちをキッと睨む。
「赦してないんだから」
プリムローズは言い放つ。
「姫、落ち着きなさい」
「まだ謝らないの?」
客人たちは、はらはらしながらプリムローズを見ている。婚約者候補だった王子様たちは、すっかり度肝を抜かれて棒立ちだ。
フォレストはため息をつく。
「チッ」
銀糸の煌めくマントをバサリと波打たせ、大魔法使いの若者が、壇上の王様に向かって膝をつく。
「レシィ!そんなことしなくたってよろしくてよっ!」
王様は神妙な顔でフォレストを見た。フォレストは頭を下げたまま、奏上する。
「陛下、恐れながら申し上げます」
「む、申してみよ」
「魔法使いの始祖と呼ばれる星乙女伝説が残る、この不思議の国エイプリルヒルで、王家の姫から大魔法使いが生まれたことは、実に喜ばしい限りでございます」
王様は、複雑な顔をする。
「我ら魔法を司る者は、人の世の理から外れた存在です」
深く響くフォレストの声は、会場の隅々まで届く。
「王家の姫の幸せを、王君として父君として望まれることは当然のこと。ですが我らは魔法と人の境目に生きております」
異国の客人たちがざわめいた。彼らは、大魔法使いという存在に触れるのは初めてなのだ。外国から来た客人たちにはその全てが予想外で、驚きに満ちていた。
粗末な上下と粗野な靴、荒れた銀髪にいかつい風体。そこに魔法縫製の粋を尽くした銀刺繍のマントを纏うという、いわば異様な風体だ。
言葉は丁寧ながら、一国の王にものおじもせず堂々と物申す。そして何より、この場への登場から壊れたものを直す力まで、その行動の数々は、とても人間とは思えなかった。
フォレストは続ける。
「陛下、どうぞご理解を。このままでは、この国は国際魔法法違反で、危険国認定されてしまいます」
「それは」
王様はうっと詰まる。
「魔法使いの始祖が祝福を降らせたというこの国から、全ての魔法使いが退去する事態は、避けたいものと存じます」
会場のざわめきが更に高まる。
「なんと、そんなつもりは」
「陛下、この国は、余りにも魔法使いと親しい暮らしをしてきました。それ故に、魔法というものへの憧れも尊敬も薄れてしまっているのではございますまいか」
「そんな筈は」
プリムローズはステージを飛び降りてフォレストの後ろに立つ。
「無いっていうの?こんなことしておいてっ!」
「こら、リム」
「いいのよ、レシィ。私が親孝行したいって強情張ったから、こんな事になってしまったんだわ」
「お父様、会場の皆様も」
プリムローズは、気持ちを込めて再び声を上げる。
「偉大な理に生きるこの大魔法使いのフォレスト師が、勿体なくも膝をつき、腰をかがめ、その神秘の力を惜しみなく使い、この会場を元の通りにしてくださいました」
王様は黙って、プリムローズに注目する。
「魔法の力は素敵です。楽しく美しく、心を豊かにするものです」
フォレストは居心地悪そうに目の縁を染める。
「私は、魔法が好きなのです。自由の領野を拓く、この不思議な力が迸るのが、嬉しいのです。その歓びを教えてくださった大魔法使いフォレスト師と、永遠に歩む者となりたいのです」
「魔法使いの自由は、誰も奪うことができません」
フォレストがこうべを垂れたまま発言する。
「どうぞ、陛下、ご賢慮を」
お妃様は、とんだ大事になってしまったと蒼くなる。兄王子たちは成り行きを見守る。
王様は、深いため息をついた。
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続きます




