表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姫は猫、魔法使いは大男  作者: 黒森 冬炎
第一章、姫と魔法使い
7/80

7、姫と魔法使いは蔓苔桃の花を見る

 しばらく緑の風を堪能していると、ガサツな足音が聞こえてきた。プリムローズはクスリと笑う。音の聞こえる方に顔を向けると、銀糸で埋められた藍色の絹を愛おしそうに抱きしめる。フォレストはブナの木の下で束の間足をとめていた。プリムローズの金髪は木漏れ日のレースに彩られ、妖精の花嫁かと見紛うばかり。


「あら、早かったのね」


 歌うように投げかけられる姫の声に、魔法使いの瞳が菫色に瞬く。


「待たせたな」


 プリムローズの微笑みは木漏れ日に微睡み、フォレストの唇は僅かに綻ぶ。


「じゃ、行きましょうか」


 名残惜しそうにマントを脱いで、プリムローズは立ち上がる。途端にフォレストは顔を赤くした。フリルとレースでたっぷり飾られ、裾も長いが、身につけているのは寝巻きである。水着と下着が違うのと同じこと。


「ばかっ」


 銀髪の大男は、大きな掌を雑に振り回して少し大きな声で何事か発する。魔法の言葉は日常語と違う。しかし三回目ともなると、プリムローズも猫化の呪文だけはなんとなく聞き取れるようになってきた。


(でも、フォレストさんだから杖もなく短い言葉で出来るのよね?きっと)


 渦巻くマーマレード色の長毛仔猫に姿を変えられながら、プリムローズは残念に思う。せっかく聞き取れても、フォレストの動きを憶えても、プリムローズ姫には使えない魔法だろう。


 椅子が再び籠になり、仔猫になった姫はいそいそと潜り込む。フォレストは薄紅色の籠を胸に抱え直すと、ざくざく枯葉を踏み分け木々の間に分け入ってゆく。



 せせらぎの音を聞きながら、森はいつしか斜面を登る。足元の落ち葉はやや湿って、森の中はひんやりと穏やかだ。ところどころに見える木々の根には、苔やきのこが生えている。


 登っていると思っていたら、2人はいつのまにか山あいの渓流にいる。この沢の下流で、魔毒草が咲いたのだろうか。


(大事になる前に処理できて良かった)


 プリムローズは忙しなく走る山の水を見ながら、フォレストの有能ぶりを思う。


(この広い森の中で、生えてる場所を突き止めるだけでも大変だわ)


 短い時間で魔毒草を探しだし、処理をした。毒に侵されて凶暴化した動物にも遭遇しただろうに。特に怪我もなく、疲れた様子すらなく戻ってきた。フォレストは人より魔法の力が優れていることを自覚しているものの、それを特に凄いことだとは思っていない。


(かっこいいなあ)


 プリムローズは、小さな胸をドキドキさせながらフォレストを盗み見る。川のほとりで立ち止まったその銀色の大男は、ちょうど仔猫のほうを見たところ。


(えっ、嬉しい。目があったわ)


 同じタイミングで互いを見た。そんな些細なことに、姫の心は天高く舞い上がる。



「飯にするか」

(え?お弁当ないわよね?)


 フォレストが風で編んだ薄紅色の籠に触れる。すると最初の休憩同様、籠は椅子に、仔猫は姫になる。今回は先ほどよりは慌てずに、フォレストはマントを姫に被せる。


「お昼は魔法で取り寄せるの?」

「できなくはないが、手探りだけで取るから、食べ物はあんまり掴みたくない」

「ナイフ出してたわよね。危なくないの?」


 プリムローズは昨晩や今朝の様子を思い出して訊ねる。


「刃を持っても怪我しない魔法がかけてあるからな」

「食べ物箱は?箱なら大丈夫じゃない?」

「あの箱はあの部屋の中でだけ使えるんだ」

「あら、案外不便なのね」

「盗難防止ってやつさ」


 貴重な魔法道具である。持ち去られても無意味なように対策が取られているのだ。


「あの箱はフォレストさんが作ったの?」

「ああ」

「どうりで歴史の先生からも習ってないはずだわ」


 歴史の授業では、魔法の道具もいろいろ習った。争いの種になりかねない桁外れの便利道具や、泥棒に狙われそうな高価な道具もある。国宝もあれば、どこかの家で秘匿されているものもある。行方不明の道具もある。


(だけど、そういう歴史的遺物レベルの道具を軽々と作ってしまうなんて)


 プリムローズは、尊敬を超えて空恐ろしくなってきた。


(大魔法使いって、本当に人間なのかしら)


 これから訪ねてゆくクランベリーデイルの魔女ストーンも、国から虹色のブローチを賜った大魔法使いである。魚を降らせたりカーテンだらけにしたり、と意味不明な嫌がらせをするような、困った女性だ。普通の人間とは感覚が違うのだろう。



「川魚大丈夫か?」


 フォレストは、魔法を使って川から魚を獲っている。指をくるくる回すたびに魚が1匹浮いてくる。水の中から空中に引き上げられた魚は、青々と光って飛沫を飛ばす。


「あれはシルバーブルームね!」


 魚が大好きなプリムローズ姫は興奮して思わず伸び上がる。


「名前までは知らねぇ。食えるのは確かだ」


 一方のフォレストは興味がなさそうである。


「ちょっと臭みがあるし小骨も多いぞ」

「本当は、半日煮込むのよ?骨まで全部食べられるようになるわ。プラントデューとブラウンザルツでしっかり煮るの。骨の髄まで味が染みるわ。でも鱗はダメね。しっかりひかないと。シルバーブルームの鱗は硬くてザラザラしているのよ。細かくて数も多いし、びっしりと生えているから始末に悪いわ。シルバーブルームの旬は……」


 プリムローズの説明は止まらない。その間にフォレストは魔法で川魚を処理する。プリムローズがシルバーブルームと呼んだ魚は、岩陰に集まりあまり動かない魚である。その身に魔力を溜めていて、身は少ないが味わい深い。プラントデューとブラウンザルツというものをフォレストは知らない。調味料だと検討はつく。だが、今は魔法の炎で焼くだけだ。


「ほら」


 フォレストは虚空からナイフと木のボウルを取り出す。ひとつしかないフォレストの食器だ。フォレストは、魔法を使って山の木の実や食べられる草を盛り付ける。蔓草の実のなかには、茹でるとほこほことした食感で腹持ちが良いものがあった。


「酸っぱい実と一緒に食うといい」


 焼いた魚も空中に浮かべて姫に渡す。姫は可笑しそうに笑い混じりの声を出す。


「フェリシテベリー」


 真っ赤に熟した春も盛りの宝石が、ハラワタを抜いたシルバーブルームのお腹に細かく刻んで詰めてある。フェリシテベリーは、食べると数分だけ擦り傷を負わなくなる魔法の漿果(ベリー)だ。親指の先ほどもあるまんまるな実で、とても酸っぱい。


 フェリシテベリーの果汁が酸味の強い香りを混ぜて、川魚の独特の臭みを和らげる。プリムローズはせめて塩が欲しかった。しかし目の前にいる銀髪の大男は、そのままでも気にしないようである。


「この先がクランベリーデイルだ」


 魚を片手に上流を眺めれば、谷の片側には茶色く切り立つ岩が縞模様を見せていた。そのあたりで、渓流は大きく湾曲して川幅が急に狭くなっている。緑が深く陰を落とす側には、苔桃の蔓のような枝が地を這うのが森の下枝の合間から伺えた。はにかむように俯いた、薄紅色の花の海。



 腹ごしらえを終えるとフォレストが姫の額に手をかざす。プリムローズ姫は流れるように仔猫の姿に変わる。姫を乗せたまま、椅子は籠になる。マントはバサリと翻り、銀糸の刺繍を反射しながらフォレストの肩に収まる。


 河原は途中で途切れて山道となる。急勾配をものともせずに、フォレストは頑丈なブーツでガシガシと登っていく。両手で猫の乗った籠を運んでいるのだが、足元は確かだ。籠をマントで覆って、あちこちから突き出してくる小枝から守る余裕すらある。


 フォレストから聞こえる心臓の音が近くなり、プリムローズはドギマギしてしまう。


(とっても落ち着く匂いがするわ)


 これから会う犯人と思しき魔女が、どんなに恐ろしい魔法を仕掛けてきたとしても、フォレストがいれば安心だ。道は登ったり降ったりして、その度に瀬音も離れたり近づいたりしている。風を編んだ籠の中は揺れも小さく快適だ。


「チッ」


 お馴染みの舌打ちが降ってきた。マントに遮られて、姫には外が見えない。一体何が起こったのだろうと思案する。姫はもしゃもしゃの手を伸ばし、マントの(へり)を掻き分ける。仔猫の細い手では重いマントを寄せることは難しい。ひょこひょことマーマレード色の毛だらけの腕が、銀糸の間から見え隠れしていた。


「こら、姫様、動くな」


 辺りが獣臭い。急に動物が増えたようだ。


「にゃああー」

「ふぅぅぅー」

「うぅぅぅー」


 怒った猫の合唱が始まる。


(こんな山奥になんで猫の大群がいるの)


 フォレストは、飛びかかる猫たちを払い除ける。はずみで捲れたマントの隙間から、山の中の様子が見えた。足元には複雑に絡まる蔓苔桃(クランベリー)の薮。地面いっぱいに細い茎の上で俯く薄紅色の花を咲かせている。


(クランベリーデイルに着いたんだわ)


 黒、白、茶、ブチ、雉、三毛、などなどあらゆる毛並みの猫たちが唸りながら押し寄せてくる。可憐に揺れるクランベリーの花を蹴散らして。


(一体なに?もしかして、この猫達みんな元は人間?)


 プリムローズはゾッとした。



 苔桃谷を川の上流へと進めば、屋根に苔桃の花が咲いている丸みを帯びた小さな小屋が見えた。


「ストーンの小屋だ」

(いよいよね)

「魔法の罠はねえけど、姫様は念の為にそのままにしよう」

(あちらの出方を見るのね)


 周囲に魔法の仕掛けはないが、猫が山ほどうろついている。木の上に、木陰に、地面に、小屋の屋根に。思い思いに寛いでいる。2人に気づくと敵意を剥き出しにして唸ってくるが。


 フォレストの濃紺のブーツが猫を掻き分けて、なんとかドアの前にたどり着く。赤く塗られた半円形のドアだ。高さはフォレストの胸元くらいまでしかない。


「ストーン」


 苛立った声で呼びながら、フォレストが小屋のドアを叩く。するとドアは軋んで外側に開く。


「うるさいね」


 マントの陰から覗く緑色の瞳を、陽気な瞳が出迎える。よく見れば、視線が合っていない。


(まただわ。見えてないみたい)


 苔桃色の濃いピンクは、普通の人間の眼ではない。背丈はドアの3分の2ほど。大きくうねる緑の髪は、足首あたりまで垂れている。ドアと同じ真っ赤なローブは腰も留めずに着流している。


(薬草園の人みたいね)


 魔女の爪は、緑と茶色に染まっている。土と草の汁がすっかり染み込んでいるようだ。


お読みいただきありがとうございます

続きます

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ