69、プリムローズの誕生日パーティー
エイプリルヒル王城は、今日大変に浮き立っていた。王家の人々とそのお世話係、従者や護衛たち、料理人から下働きに至るまで、みなうきうきと華やいでいた。
王城の広い庭園に、桜草がたくさん並べられる。ピンクも濃淡様々揃い、黄色や白も明るさを添える。一重もあれば八重もあり、丈もさまざまな桜草の数々が、プリムローズ姫の紋が金色に輝く菫色の鉢に花開く。
会場を囲う四角く刈り込んだ薔薇の生垣に沿って、桜草は並ぶ。階段状に作られた台は、目にも眩い純白の綾絹に覆われている。段と段の間には、幅広のリボンが波型に垂れていた。
リボンは若葉色と菫色の太めの縞模様だ。菫色の部分には、桜草の花が愛らしいピンクの模様となって並んでいる。波の一山毎には、蝶結びにした同じ柄のリボンが等間隔に飾られている。
会場の四隅で存在感を見せているのは、魚の形に整えられた緑に茂るトピアリーだ。鱗や目玉もはっきりと刈り込まれ、躍動的なヒレも表現されている。香草の香るベンチは、慎ましい花々に足元をつつまれて置かれている。
談話しやすいように点在する一本脚の円テーブルは、桜草の透かし模様で飾られた虹色のレースが掛かっている。天板の中央には、菫と桜草の寄せ植えが溢れる白い耳付きの壺が置かれていた、
会場の中央は、そこだけ高さの違う薔薇色の石が据えられていた。数段ぐるりと階段が取り巻くその台は、魚の形をしている。階段は一段毎が低く、上り切れば広々と平らで、簡単な舞台装置なら飾れそうな場所だった。
魚の形をした薔薇色のステージから程近く、孔雀を象る花飾りの籠椅子がある。座面に置かれたクッションは肌触りの良い薄緑のシフォンで包まれていた。その椅子に座れば、ステージがよく見えるようになっている。
楽団席はステージの前面にあり、数人の楽師が既に音合わせをしながら待機をしていた。楽師の男女は、グレーや茶色などの落ち着いたベルベットの服を着込んでいた。形を整えた白いかつらにはピンクの桜草を飾っている。
招待客が三々五々集まってくる。庭園の入り口で順に名前を呼び上げられながら、気取った様子で諸国の王侯貴族がやってきた。同じようで雰囲気の違う外国の正装が、麗かな春の日の庭園を異国情緒に染めている。
プリムローズのお披露目であり、元は婚約者選びの園遊会である。元婚約者候補の貴公子たちに付き添う少女たちは、お祝いとはいえ控え目な装いだ。
招待客が皆集まって、乾杯の飲み物が配られる。銀色のゴブレットには、線彫で縁にぐるりと花綱が絡む。中には透き通ったラズベリー色の祝い酒が入っている。配膳係は、銀盆に数脚ずつ盃をのせて、円テーブルを縫ってゆく。
楽団は星乙女を賛美する曲を優雅に演奏している。膝に寝かせた弦楽器を操る丸顔の女性や、しかつめらしくオルガネットのふいごを操る小柄な紳士が、真面目な顔で場を盛り上げる。
やがて案内役の紳士が、さっと手を上げて楽団員に合図する。角笛が高らかに吹き鳴らされて、人々は囁きを鎮める。背中を伸ばして胸を反らせた案内係が、すました顔で声を張る。
エイプリルヒル王家の面々が華やかな音楽に乗って現れる。一人一人にテーマ音楽があり、楽団員たちは、ここぞとばかりに技巧を見せる。エイプリルヒルの貴人達は、ため息を漏らしながら手を叩く。外国の客人方は、品よく注目して指先を合わせる。
家族に囲まれたプリムローズが、従兄の青年に導かれて壇上に上る。青年が壇を下りると、エイプリルヒルの王様が片手を上げて楽団の音を止める。
拡声係の魔法使いが、複雑に折れ曲がった金色がかった赤い杖を高く掲げる。きつめにカールした暗色の髪を背中に下ろし、朗々と呪文を唱える。巻き起こす風にのせて、会場の隅々まで王様の言葉を明瞭に伝えるためだ。
王様の声は、厳かでありながら晴れ晴れと、桜草の庭に響く。後ろに並ぶ王家の面々は、みな堂々と遠くを見ていた。会場に集まった貴人達は、膝を折り頭を下げている。
「どうぞお楽に、お客人!面を上げよ、皆の衆!」
王様の号令で、人々は顔を上げる。しゅるしゅるというと衣擦れの音が、会場をそよかぜのように過ぎ去ってゆく。紳士の襟飾りや貴婦人のネックレスが、微かな金属音で豪華さを添える。
「太陽は春の日を祝い、小鳥は優しく喜びを告げる」
まずは古式に則り、エイプリルヒルの王様は、序となる言葉で語り出す。今日は言葉の通りによく晴れて、小鳥はのびやかに歌う。会場の花々に美しい蝶は舞い、葉蔭にはてんとう虫や青虫が這う。
「遠路はるばるお越し下さったお客人も、エイプリルヒルの面々も」
王様の言葉に、会場の人々は一斉に拍手を鳴らす。これはエイプリルヒルの祝賀会で見られる慣例だ。ひとしきり拍手が続き、王様がまた片手を軽く挙げる。。会場はその合図で静かになった。
王様は、挙げた手を下げると、改めて会場を見回す。人々は礼儀正しくステージに注目している。しんとして聞き入る人々に向かって、ついに王様は盃を持ち上げた。
「星乙女の春の国、わがエイプリルヒル王国の宝物、末姫プリムローズの16歳を迎えたこの好き日に、共に集えたことは幸せである」
そこでまた言葉を切ると、風格のある笑顔で会場をゆっくりと見渡す。
「乾杯」
王様が嬉しそうに叫ぶ。会場の空に銀杯が次々と掲げられ、ワーッと歓声が上がる。
楽団がひとしきり祝祭の歌を演奏する。一節奏でた後で、プリムローズが盃を手に進み出た。頭の後ろで大きくまとめて真珠とアーモンドの花を散りばめたネットでくるんだ金髪が初々しい。
初めて出したうなじが、すんなり白く高貴な肌を見せている。前髪に挿して垂らした求婚の髪飾りが、姫の形の良い額を彩り菫色に揺れる。外国の人々は知らなかったが、エイプリルヒルの貴人たちはその髪飾りの意味を知っている。
出席した魔法大臣を始めとして、何人かの出席者は、雫型の飾りが何故菫色なのかも知っている。桜草愛好家倶楽部のメンバーもいるし、直接ふたりを見たものもいるからだ。
プリムローズは、裾の広がった菫色のドレスを優雅に捌いて前に出る。大人らしく肩や胸元を四角に開き、首には細く編んだ銀の鎖に、魔法鉱石で作った菫の花を散りばめたものを巻いている。
菫色のタフタはお腹で割れて左右に流れ、その下からはたっぷりの白いレースが可憐に揺れる。ひだに沿って魔法で縫い付けられた桜草の花は、ピンク色も鮮やかな魔法の風で編んだ造花だ。
この造花はフォレストが前祝いでくれたものである。衣装係が計画していた生花の代わりに、頼み込んで飾って貰ったのだ。仕上げをしてくれるお針子に位置を決めてもらい、プリムローズが自分の魔法で縫い留めた。
「これでこの花飾りは、レシィとの合作よ」
幸せそうに頬を染める姫を見て、お支度係の婦人たちは口々にお祝いを述べた。
「おめでとうございます」
「お幸せですね」
プリムローズはにっこり笑うと、そっと風の花を愛でる。
「発表はまだなのだけどもね」
スカートのひだに隠れた小さな靴も、大人らしく尖った爪先である。どこまでも透明な水晶は、朝露のように若草色の繻子に散る。腕から地面へと三角形に長く垂れた両袖は、動くたびに上品に靡く。
歩くとチラリと見える爪先にも、透き通った水晶が見える。プリムローズの靴先は春の日を反射して、足元に虹を作りながら進む。まるで鏡の迷宮に遊ぶ時のようである。
鏡の迷宮にいる時程には自由ではないが、プリムローズは足元の反射を目の端に捉えて、うきうきした気分になった。今日はフォレストの出席が許されない会だ。けれども、足元に虹色の光を撒き、桃色の風で作った桜草の花を纏い、プリムローズは銀色の魔法使いと共にいる気分になれた。
「皆様、今日はわたくしの誕生日をお祝いくださりありがとうございます!」
プリムローズはそれだけ言うと、盃を高く掲げた。銀色の縁に陽の光がきらりきらりと跳ね返る。人々はまた歓声をあげる。楽団は弾むリズムの可憐な曲を演奏した。
会衆はもう一度杯をあげ、今度こそすっかり祝杯を飲み干した。プリムローズは一口呑んで、あとはミント水に取り替えて貰う。
楽団の演奏がゆっくりになる。皆で歌える速度に落としたのだ。曲はこの日のために作られた、プリムローズの誕生日とお披露目を祝う歌である。
桜草愛好家倶楽部が中心となり、エイプリルヒル国内からの出席者たちが練習を重ねた歌なのだった。
「おめでとう、おめでとう、桜草の末の姫様」
エイプリルヒル国内からの招待客は、声を合わせて祝福の歌を歌い出す。歌が苦手な人も、歌詞をなかなか覚えない人も、誰もが歌えるように工夫された曲である。
「おめでとう、おめでとう、私たちの末の姫」
体を揺らす人もいる。軽く服を叩いて拍子をとる人もいる。小鳥の歌もプリムローズの門出を祝う。
「幸せ降らせ、星降らせ、星の乙女の春の国」
特別ゲストの歌姫が艶やかな声を張り上げる。
「幸せ降らせ、星降らせ、エイプリルヒルの末の姫」
歌姫の声も晴れた空に溶けてゆく。会場を回る係員が、人々に花びらの入った小さな籠を配って歩く。
籠が皆の手に渡ると、王様は再び前に出て姫の隣に並ぶ。
「ここに、星乙女の春の国、エイプリルヒル王国に生まれ育った末の姫がお披露目の時を迎えたことを宣言する!」
会場は湧きたち、海外の客人たちも花びらを撒いて祝う。王様は続ける。
「これを受け、我が国の大魔法使いを表す虹色ブローチの認可を、姫が受けたことを知らせる!」
婚約者候補の王子たちがどよめいた。
「大魔法使い、エイプリルヒルのプリムローズは、本日をもってエイプリルヒル王族籍を離れるものとする!」
候補者たちは顔を見合わせる。王様ははっきりと伝える。
「姫にはいま、大魔法使いフォレストという求婚者がいる。だが、決定ではない。この会は予定通り求婚の機会といたす」
「お父様っ?」
プリムローズが眉を吊り上げた。ぐるりと見回せば、会場はポカンとしており、王家の面々は涼しい顔で立っていた。
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