66、姫と魔法使いたちは精霊湖で遊ぶ
鏡の迷宮に住んでいる昔の王様は、洞窟に眠る精霊を守る森の民の血を引く。彼は精霊とも交流が出来るようだった。先日、ウッズに寄ってくる風のことを聞くために、フォレストたち一行は王様の居る怪魚の丘に来た。
しかし、迷宮の見学とウッズの新しい魔法に、4人はすっかり気を取らた。その後は、プリムローズの誕生日を前もって祝うために皆で集まる相談で、話が流れてしまった。一同は、風と精霊のことについて聞くのを忘れていた。
ウッズは、今日の機会を逃さずに王様へと近づく。ウッズは王様に挨拶すると、手に持った黒い真っ直ぐな杖を微かに振る。すると杖の頭には、小さな風が渦巻いた。
「昔の王様、この風には精霊が見えますでしょうか?」
「ほほぅ!世にも珍らかなる魔法よの?」
「精霊ではないのでしょうか?」
ウッズは茶色い眉を下げる。
「風そのものは精霊ではないがな?これは精霊に風を送ってもらう魔法じゃな」
「呪文はフォレストさんから教わったものですが」
「わあー、面白いねえ」
「精霊が風を送ってくれるのか!」
「精霊とお話はできるの?」
「この風を精霊が?」
皆は口々に驚きの言葉を述べる。
「古い森の民の、精霊に呼びかける歌とリズムが似ておる」
どうやら、呪文の言葉ではなく唱え方によって効果が変わっていたようだ。
「普通はリズムを変えたくらいじゃ、呪文の効果は変わらないよねぇー」
「そうなのですか?」
「ウッズさん、すごいわ」
「そんな、偶然ですし」
褒められてウッズは照れる。
「歌にする者も、棒読みのものも、朗読調で唱える者も、みな同じ効果しか出ねぇ筈なんだよな」
「やはり、星乙女の祝福を受けたエイプリルヒルの民だからかのう」
王様は、ふむふむと頷く。
「不思議なこともあるものじゃなあ」
ウッズも不思議そうな表情で、杖頭に纏わりつく風に注目した。
「エイプリルヒルで風の魔法を使う人は、みんなそうなのかしら?」
「いや、そんなことないぜ」
「それはますます不思議なことよ。魔法記録官どのは森の血筋かの?」
「いえ、森の民に親戚はおりませんが」
「ふむ。全くの偶然か」
ティムは運んできたパーティー用の荷物を開けながら、にこにこと話を聞いている。荷物を入れた箱は、ティムが使う魔法材料収納用の箱を応用したコンテナだ。これに入れて、パーティーに必要なものを軽々と運んできたのだ。
プリムローズの菫色のショールが少しずれる。フォレストはそっと直して唇に触れる。ウッズは杖を軽く上下して、風の球を作る。
「この風、精霊が送ってくれたのかあ」
ウッズが風の球をあちこちに動かしながら、感慨深そうに呟く。マーサと協力して食器を並べながら、ティムは口を開いた。
「星乙女も森の民じゃなかったんでしょー?」
「あら、そうね」
「ジルーシャさんもそうだな」
「そうじゃな。世の中には、特別に精霊から気に入られる人もいる」
「花の国にも、そういう人がいたあー?」
「おった。精霊とは解らぬものよ」
王様はウッズの作った風の球を目で追っている。
「なんか良いね、そういうの」
ウッズは、風の球から目を離して皆を見た。嬉しそうに茶色の目を輝かせて、手元は見ずに風の球を解いて小さな竜巻にする。小さな竜巻は杖を離れて湖の上に向かう。
プリムローズの誕生日の数日前にあたるこの日、前祝いに集まったのは、姫を入れてみんなで6人。
まずは主役のプリムローズ姫。小柄で色白、薄絹のような頬は桃色にそまり、桜貝の爪が可愛らしくさくらんぼの唇に添えられる。輝く金の巻き毛は森の息吹に流れて、緑の瞳には木々の葉の照り返しがよぎる。
外遊びのボンネットはお気に入りの菫色。今日は肌寒いのでビロード地である。帽子に巻かれた幅広のリボンは若草色で、快活な顔をぐるりと巡る。ブリムとリボンの境目に、始源祭でフォレストから贈られた、ランタン型のミニ魔法灯がある。
魔法灯は水色で、中には菫色の光が燈っている。いつもより低く、肩のあたりで飾った求婚の髪飾り「星乙女の幸せ」が、しっとりとした水辺の風に僅かばかり揺れる。
プリムローズの後ろに立って、幸せそうに姫を包み込むのは、もちろんフォレストだ。銀色の髪をお祝いらしくきちんと整え、豪華な銀糸刺繍が輝く藍色の綾織マントを足元まで垂らして立つ。
常に変わらぬ濃紺の厳ついブーツ、少しだけ上等な毛織りの胴着。膨らんだ下衣は茶色く、ごつごつした手は剥き出しである。
いつも不機嫌な菫色の瞳が、今日は柔らかくプリムローズを見下ろす。マントから伸ばした腕が、姫のシャンパンイエローに光るドレスを優しく抱き込む。
数歩控えて忙しく動き回るマーサとティムは、水辺のティーテーブルに花を飾る。レースと花と魔法細工で飾られた小さなぬいぐるみたちが、テーブルの中央に置かれてゆく。脚高な菓子皿を支えるように座るそのウサギやクマは、絹や革で出来ている。
ウッズは黒い真っ直ぐな杖を振って、出し物の準備をしている。昔の王様はその様子を楽しそうに見ている。湖の周囲では、精霊柳の花がところどころで枯れ始めていた。茶色く枯れた花からは、花よりもさらに綿毛に見える銀色のものが溢れている。これは星影柳の実なのだ。
「可愛いわね」
藍色の混ざる花と毛長種の猫が蹲っているかのような実を、湖を渡る森の風がふわふわと動かす。フォレストは黙って菫色の目を細めた。
ティムが平たい大皿をテーブルに乗せる。マーサは皿の上に丸く編んだ花模様のレースを敷き、そこへ四角い陶の深鉢を置いた。ティムは蓋付きの籠を取り出すと、中からザラザラと揚げた芋を振り入れた。
森の国名物の丸芋の素揚げだ。森の国は、ティムの故郷月の国の隣にある。丸芋は、濁った緑に眼が痛くなるようなどぎつい青の斑点を散らした、ギョッとするような根菜である。
これを短冊に切ってそのまま揚げ、好みの味付けをする。定番は甘塩だ。砂糖と塩と生の薬草を混ぜた、緑が爽やかなシーズニングである。だが丸芋にふりかけられるとカビのように見えた。
「丸芋ね!」
「リムも始源祭で食べたな」
「美味しかったわ」
「プリムちゃん美味しそうに食べてたから、森の国から買ってきたんだよー」
「まあ、わざわざ?ありがとうティム」
「どういたしましてー」
ティムがにこにこしながら、丸芋の入っていた籠をしまう。マーサはティムの機動力と気遣いが良いなと思う。それに、なんでもない籠に見える丸芋の入れ物も、高機能な魔法細工である。これはどうやら、人形用の籠バッグだ。
運搬に使ったコンテナは、材料をしまっておく箱の応用だ。人形に持たせなくても、魔法細工を入れ物にしたり、温度を保つ道具として使えるのだ。丸芋も、揚げたてのままで油も染みずにここまで運んで来られた。
(ティモシーさんの魔法は生活に寄り添っていて素晴らしいわ)
マーサの眼が甘く和らぐ。ティムはマーサの視線に気づいて、俄然やる気を出す。ティーテーブルは、2人が呼吸を合わせてあっという間に整った。その間にフォレストは、精霊湖全体を覆う雨除けドームを魔法で作る。雨の気配は無いのだが、万が一ということがある。
「ウッズさんは、丸芋大丈夫ー?」
ティムが明るく気遣うと、ウッズは鼻をひくつかせて頷いた。
「美味しいよね。甘塩も爽やかで好きだな」
「ほほうっ!よき香りがするぞよ」
王様も興味津々だ。王様の場合は、数百年もの長きに渡り食べ物を何も口にしていない。鏡の迷宮に居る間は、時間も過ぎず食べ物は必要がない。それはそれで便利ではある。
「食事とは良きものじゃなあ」
食べるという感覚をすっかり忘れていた王様だった。しかし、美味しそうな匂いを吸い込んで、食欲をそそられたのである。見た目のどぎつさよりも、細く切って揚げた丸芋の香ばしい香りが勝った。王様は、いそいそと席に着く。
灰色の雲が垂れ込める空が、微風に漣を寄せる精霊湖の上に広がる。星乙女の伝説が残る深い精霊の森を、しっとりと湿り気を帯びた晩春の風が吹き過ぎた。
ウッズも一旦、魔法の準備をやめてテーブルにつく。王様は、ウッズをちょいちょいと手招きした。精霊に好かれたウッズともっと話がしたいのだ。ウッズも喜んで隣に座る。プリムローズの誕生日を前祝いする会ではあるが、互いに自由な雰囲気だった。
フォレストはプリムローズの椅子を引き、ティムもマーサの椅子を引く。それぞれの想い人の頬には朱が差して、穏やかな眼差しを若者たちに投げかける。
「リム、少し早いが、お誕生日おめでとう」
魔法細工で作られた人形一体型のゴブレットが6つ、精霊の森で高く掲げられた。銀色に輝く器は、美しい曲線を描いて脚の部分へと続く。脚は月の国にいる奇妙な生き物たちを象る。ここが人形本体である。
人形にはみな緑と菫色の色石が散りばめられている。液体を入れる部分には細い筋が金色の渦を描く。金の渦の所々には、線だけで彫られた魚たちが顔を出していた。
「プリムちゃんおめでとう」
「姫様、おめでとうございます」
「遠い時の姫よ、おめでとう」
皆が次々に祝いの言葉を述べる。エイプリルヒル城下町の習慣で、親しい人同士で特別な祝いの盃を上げる時、皆は円くなる。座ったままでもよい。円くなった時に右隣の人へと腕を伸ばして、盃を傾ける。皆それぞれに隣の人の盃から呑むのだ。
中身が酒でなくとも構わない。同じように順番に腕を差し伸べて、隣の人の口へと盃を渡す。二口目は逆回りだ。これは城下町だけの習慣だった。いわゆる町っ子の祝いである。城では行わない。当然プリムローズは知らなくて、眼を輝かせて真似をする。
「おめでとうございます、姫様」
マーサが涙ぐむ。マーサは、このお転婆な姫様の成長を一番近くで見守ってきた。親子の時間が少ないエイプリルヒル王家の人々である。マーサは、乳母が引退した後に配属された歳の近いお世話係だった。家族よりも家族らしい間柄でもあり、しかし主従の線はけして越えない。
不思議な国で育った旅の職人ティムには、感覚的にわからない関係だ。しかし、マーサの涙とプリムローズの感動を湛えた瞳を見れば、2人が互いに深い信頼を寄せていることが見てとれる。
「ふたりは、ほんとに仲良しなんだねえ」
ティムはしみじみと言った。
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続きます




