62、魔法記録官ウッズ空を飛ぶ
ロックの事件を担当した青色ブローチの魔法使いウッズは、約束通りフォレストに魔法を習いに来た。ウッズは記録の魔法使いである。
その魔法を活かして、ウッズはエイプリルヒル王城の魔法記録官として働いている。具体的には、ごく初歩の記録をつけたり、書いた記録の整理をしたりする魔法が使える。
ウッズの仕事には、それだけできれば充分だ。ウッズは大人しい男であったから、それ以上の研鑽をしようとは思わなかった。堅実に自分の仕事を続けてきた。そこに幸せを見出していた。
実際には、魔法使いというだけで充分非凡である。だが、ウッズの見た目と働きぶりはとても静かで目立たない。それ故に、地味な事務員として魔法省の片隅にいた。
ロックの事件で、風に乗る楽しさを知ったウッズは、フォレストに習う前に資料庫へと出かけた。普段使っているのと違う種類の魔法を習う場合の注意点を知りたかったのだ。生真面目な彼らしい行動である。
ロックは、思いつきでどんどん覚えたり創り出したりするプリムローズたちとは、違うタイプの魔法使いだった。
「あった。二つ目の魔法。この項目だな」
ウッズはその先の記述を読んで、我が目を疑った。
「え?そんな筈は」
何度か読み返す。そしてため息をついて天井を仰ぐ。
「二つ目の魔法を習得する魔法使いのことを、大魔法使いと呼ぶ」
ウッズの知っている大魔法使いたちは、自在に高度な魔法を使う。自由奔放であり、ウッズとは全く別の世界に住んでいる気がする。
ウッズは、また別の資料を手に取った。
「世界魔法使い名鑑、最新版」
この名鑑は、常に最新の情報に更新されている。そういう魔法道具なのだ。一定の期間が過ぎると、期間毎に旧版へと収録される。それも魔法によって自動的に項目が移動されるのだ。これは、記録魔法の上級者が覚える魔法だ。
ウッズは自動更新の記録書を作ることはできない。だが、記録を閲覧したり、記録書を並べたり手に取ったりする魔法は初級の記録魔法を使えば出来るのだった。
ウッズは、魔法を使って世界魔法使い名鑑の最新版をめくって行く。さやさやと薄く丈夫な魔法の紙が擦れる音が、ひんやりと最適湿度の資料庫に響く。ページを繰る音は耳に心地よく、ウッズの心には平和が満ちてゆく。
「大魔法使い、人数8」
大魔法使いの項目には、既にプリムローズも記載があった。使える魔法や簡単な特徴も記されている。性格や容姿の詳しいことは載っていないが、大まかなことは掴める。
「あっ」
大魔法使いの項目を確認していく途中で、ウッズは大変興味を惹かれる人物を発見した。
「奇書館のリード」
この人は、通称「おばちゃん」だ。古今の碑文の拓本、巻物に奇書珍書、魔法書籍の数々を集めて、数百年間自宅に引きこもっている。見た目は50代、推定年齢は300歳程度。
「大魔法使いのひとりが、記録の魔法使いだったなんて」
ウッズは、上級魔法を覚えてブローチの等級を上げようとは思っていない。今の生活で充分満足しているからだ。だが、「おばちゃん」には会ってみたいと思った。
レアリティハウスは、エイプリルヒルからとても遠いところにある。普通に行くとしたら、仕事を辞めなければならない。ウッズは、そこまでして行きたいとは思わなかった。だが、叶うことならば、リードおばちゃんと話をしてみたかった。
(飛ぶ魔法、それに扉の魔法が使えたらいいな)
ウッズは、気がつかないうちにティムの所謂「向こう側」へ越えようとしている。タイプとしては、水撒き係やティムのような一つのことに熱中する魔法使いなのだが。
しかし傾向としては、フォレストとプリムローズのように、興味があればそちらへ走っていってしまう。興味がないことに無反応なので、一見無欲で大人しく見えるだけだ。
(フォレストさんに聞いてみよう)
「おばちゃん」については、フォレストに飛ぶ魔法を習う時に聞いてみることにした。
そんな前準備をして、フォレストに飛ぶ魔法を習う日には勇んでやってきた。黒い真っ直ぐな杖を携えて、髪はやはり黒いベルベットのリボンで束ねてきた。万魔法研究所のドアを叩くと、銀髪の大男が菫色の瞳をきらりとさせて開けてくれる。
「やあウッズさん」
「ウッズさんこんにちは」
大男の陰からは、金髪巻き毛の小柄な姫がひょこんと頭を突き出した。緑の瞳はいつものように、生命力に満ちている。
「こんにちは。フォレストさん、プリムローズ姫様。本日はよろしくお願いします」
「わたくしは見学ですけどね」
「じゃ、さっそく平原に出ようか」
「平原で練習するんだね」
「何かにぶつかることも、そんなにはねえからな」
「なるほど」
階段坂の大衆食堂で偶然出くわしてから、すっかり打ち解けた3人だった。町の門までは世間話をしながら、仲良く歩いて行った。
3人は町の門を出て、畑や牧場を避け、平原のなるべく何もない場所へとやってくる。
「じゃ、始めるか」
「はい」
ウッズは黒い真っ直ぐな杖をぎゅっと握りしめて地面に突きたてる。フォレストは親指と小指を折って、左手の三本指を立てる。それをくるりと回すと、いつもと違ってはっきりと呪文を唱えた。
ウッズは握りしめた黒い杖をフォレストの指に向け、小さな声で全く違う呪文を口にする。フォレストはふわりと浮かぶ。ウッズの呪文は文字となって、空中に記される。空気はそのまま魔法用紙に変化する。
一般人が使う羊皮紙より遥かに薄く、太陽の反射を移したような虹色がうっすらと表面を這う。
「わあっ、レシィの呪文が!」
「姫様、記録魔法は初めてご覧になりましたか?」
「ええ。これが記録魔法なのね」
「はい。ごく初歩的な記録の為の魔法です」
ウッズの説明にプリムローズは薄絹の頬を桃色に染める。少しだけ浮いていたフォレストがすとんと草の上に降りて、愛おしそうに姫の肩を抱く。
フォレストは、プリムローズに軽く口付けてからウッズの記録をしげしげと見る。ティムやマーサがいたら怒られるところだ。ウッズは気にしない。色々と寛容な人物である。
「これは見事な」
「そんな。これくらいしか出来なくて」
「仕事は何年くらい?」
初歩の業務用魔法が褒められて、ウッズは驚く。
「かれこれ5年ですか。14の年にお城に上がりまして」
「ほう。5年間ひたすらに研鑽した結果か」
フォレストはまた、ウッズの記録をまじまじと見る。
「いや、お恥ずかしい限りだよ」
「これ、まだ伸びそうだけどな」
「えっ」
「完成度が素晴らしい。とっくに応用も創作も手がけることが出来るレベルだぜ」
「それは」
「上級の魔法は学ばないのか?」
「いや」
ウッズは複雑な顔をする。彼は自分の力を正確に把握していなかった。だが、過小評価したり、気後れして修行を怠ったわけではないのだ。彼は、単純に「その先」に興味がなかったのである。
彼は小役人としての日常に満ち足りていた。幼い頃に偶然身につけた技術が、記録の魔法と呼ばれることを聞き齧ったのが発端だ。弱小貴族である父に相談したら、魔法省の魔法記録官を紹介された。弟子入りしてすぐ認可試験を勧められた。そして、今に至る。
「あの、試してみても良いかな?」
「ああ、どうぞ」
ウッズは空中に浮かせた記録の魔法が示す文字を読む。黒く真っ直ぐな杖でトンと地面をつくと、少しの問題もなくふわりと浮く。完全にフォレストと同じだけ浮き上がる。
「ほう。いっぺんで成功したな!」
「記録魔法を挟んでるから」
「ああ!なるほど」
フォレストは感心して手を打った。
「レシィ、どういうこと?教えて?」
プリムローズはフォレストのマントをつんと引っ張る。
「記録魔法は、出来事を言葉にして記録するんだ。文字だったり、音だったり、絵だったり、残す形は色々なんだけどな」
どうやら、言葉以外のものも記録出来るようだった。
「それで、ただ記録して溜め込むだけじゃ仕方ねえだろ?だから、取り出して読んだり聞いたり見たりするのも記録魔法にあるんだ」
「私たち魔法記録官は、再生と呼んでるよ」
ウッズは、フォレストと全く同じようにすとんと草の上に降りる。バランスも崩さず、見事な着地だった。
「ウッズさん、やっぱり、バランスが良いなあ」
「ありがとう」
「記録魔法の再現効果だけじゃねぇぜ」
「そうでしょうか」
ウッズは嬉しそうに杖を握りしめる。
「ああ。なあ、リム」
「そうね、風がなんだか、私のと違うわ。レシィのは似てるけど。でも、やっぱり違う」
「うん。ウッズさん、今度、刺繍職人のジルーシャさんに話を聞いてみるといい」
「ねえ、レシィ、もしかして精霊?」
「えっ、精霊?」
ウッズは驚いて目を丸くする。
「まだ分からねぇけどな。風との親和性は並外れてる」
「確かに風と触れていると、とても楽しいけど」
「もしかしたら、空中に文字を書く魔法を何年も毎日続けていたからかもな」
「風の精霊が気にいる魔法だったのかしら」
「ジルーシャさんのほうが知ってると思うぜ」
フォレストにも精霊のことはよく分からない。
「レシィ、精霊とは会ったことないのよね?」
「ない。リムもだろ」
「ないわ」
「そしたら、今はこれ以上のことは分かんねえな」
「そうなんだ」
ウッズは穏やかに頷く。
精霊の話は一旦忘れて、フォレストは飛ぶ魔法の続きを教える。
「じゃあ次は真っ直ぐ動いてみようか?」
「はい!」
ウッズはまた、フォレストの呪文を空中に記録する。今度は浮き上がったまま、真っ直ぐ前に進む。その後で後ろ、横、斜めにも進む。それから円を描いたり、八の字になったり、ジグザクやら四角やら、さまざまな図形の軌跡を描く。
「うん、じゃ、次は高さだな」
ここまでの練習は、全て一度で成功させた。次の段階に進み、高さを少しだけ上げる。
「あら?」
プリムローズが巻き毛を抑える。草原の四方から、ウッズに向かって風が集まってきた。優しくあたたかな春の風だ。草の間を吹き抜けるその風は、遠い昔の誰かのことを歌っているかのようだった。
(聞き取れないわ)
プリムローズは耳を澄ます。だが、フォレストが「文字」の本を読んだ時と同じように、どうしても音を捉えることが出来なかった。
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続きます




