61、マーサは魔法細工師に常識を説く
マーサは、目の前に置かれた銀色の小さな人形を見る。人形はマーサの方を向いて、横座りしている。上向きに角度をつけられた口のない顔は、何故か問いかけるような表情に見えた。マーサの瞳に似た薄茶色に加工された魔法鉱石は、好奇心に満ちた少女のようだ。
「どうやって使うんでしょう?」
「手足も首も動くからさ、コップの縁に自由に飾ってみてよー」
「まあ」
「汚くはないよー?自動消毒機能もついてるから大丈夫だよー」
「ええっ。自然に汚れや毒が洗い落とされる機能ですよね?王族食器の加工に使われると聞きましたが」
とんでもない高機能品に、近くの席で聞き耳を立てていた人々が青褪める。ティムは涼しい顔である。
「うん。呪いもとけちゃうんだー」
「ええっ、そこまでのものは、見たことがありません」
「あれえ、エイプリルヒル王族って、魔法使いと仲がいいのにねえー」
マーサは呆れた。ティムは、自分の技術が想像を絶する高みにまで到達していることに無頓着なようである。食器の加工をする職人は、そこまで高度な機能をつけることはできないのだ。
「ティモシーさん、こういうのをホイホイ人にあげてないでしょうね?」
マーサは心配になった。
「ええー。僕、レシィほどお人好しじゃないよぅ」
「ならいいですけど」
マーサは尚も疑わしそうにティムを見る。
「マーサ、ほら早く使ってみてよ?ごはん冷めちゃうよー」
ティムに笑顔で促されて、マーサは恐る恐る金属の人形を手に取る。奇跡なんじゃないかとさえ思える高機能製品だ。普通の人には、気楽に触れるようなものではない。
(全く、人の気も知らないで。確かに万が一壊してしまったとしても、一瞬で直してしまうんでしょうけど)
「少なくとも3000年くらいは壊れない筈から大丈夫だよー」
伸びかけたマーサの手が止まる。周囲の人々の手も止まる。スケールが違いすぎて、最早どういう事なのだか理解が追いつかない。
「マーサが生きてる間くらいなら、メンテナンス不要だよ?もちろん、念のために時々みてあげるけどねー」
「はあ、魔法使いは私たちと時間の感覚が違いすぎますね」
「えっ」
「私は3000年も生きてませんよ」
「そんなの解ってるよぅ」
ティムは悲しそうに笑う。マーサは単純に思ったことを口にしただけだ。しかし、ティムにとっては、思いもよらない拒絶に聞こえた。張り切って渡そうとした温度調整人形も、まだ手に取って貰えない。
「僕、向こう側には行かないよ?僕は人の時間を生きていたいんだ」
「向こう側?」
ティムは改めてマーサの眼を覗き込む。薄茶色の生真面目な瞳に、明るい空色が映り込む。伸びやかな空色に陰が差すのを認めて、マーサの胸がちくりと痛んだ。
(この人を悲しませたくないわ。ティモシーさんには、ずっとにこにこ呑気な笑顔でいてほしい)
ティムの心を気遣って眉を寄せるマーサを、ティムは言葉の意味が分からないのだろうと受け取る。
「大魔法使いの生きてる世界のことだよ。人と人ならざるものの境目の時間」
「境目の?」
「大魔法使いは、完全に人間を辞めちゃってるわけじゃないでしょ。だから、境目」
「私たち普通の人間とは、やはり感覚が違うんでしょうね」
「時間や空間っていう感覚は無いんじゃないかな。レシィもプリムちゃんも、ちょっとそういうとこ、あるでしょ?」
時間を守らないとか、平気で何処にでも入り込むとか、そういうことではない。2人とも、とくに不都合がなければ決まり事は守る。ロックやストーンのような無法者とは違う。
だが、現実の世界に阻まれることは想像していないところがあるのだ。どんなことも、思いついたら実現できるという感性を持って生まれたように見える。
「確かに自由な方々ですね」
マーサはマイルドな言い方で同意する。
「うん。レシィは、ちっちゃいころからそんなだったな」
「姫様もそうですね。伸び伸びとお育ちになられました」
「それに、プリムちゃんもけっこう頑固だよね。レシィはお人好しだけど、自分が嫌だと思うことはしないし」
「ティモシーさんも、私から見ればかなり自由ですが」
「うんまあ、魔法使いだからねー」
マーサは、その範囲のことを言っているのではなさそうだ。お城の魔法使いたちは、確かに自分の好きなように伸び伸びと生活している。
火を操る料理長は、料理長という仕事が楽しそう。庭園の散水担当者は、ひたすら水を撒くのが好きだ。彼は水撒きに特化した魔法使いである。魔法灯係は生活の為だが、実家の星乙女亭や街の仲間と過ごす休日の為に、単調な仕事をこなしている。
だが、ティムの生活はそれとは多少違った。彼は、もし水撒きマニアだったとしても、お城に就職はしなかっただろう。月の国にいる師匠のことは尊敬している。その下について勤勉に教えを受けた。だが、諸国遍歴の修行に出て、好きなように細工を作り、好きなように定住した。
ティムは、またいつ旅に出るかわからない。決められた魔法の習得よりも、思いつきでどんどん改良するオリジナルの魔法の創作が好きだ。自由の度合いが、普通の魔法使いの常識を外れている。
エイプリルヒルに工房を開く前は、ティムは旅暮らしであった。仲の良い家族を故郷に持つティムにとっては、ここも仮の宿かも知れない。マーサはふと寂しくなった。
「ティモシーさん、いつか故郷に帰るのですか?」
「時々帰ってるよ?最近はあんまり行かないけど」
「引っ越すという意味です」
「今はエイプリルヒルが気に入ってるから、戻らないかな。レシィたちもいるし、マーサとも、こうして仲良くなれたしね」
ティムの笑顔にマーサは、はにかんで俯く。ティムは照れたマーサのしおらしい様子に落ち着かなくなる。高鳴る胸を誤魔化すように話題を変えた。
「ねえ、マーサ、冷めちゃうよー」
「そうですね。すみません」
マーサは微かに微笑んで頷く。手元の人形を持ち上げると、しばらくあれこれ曲げてみた。それから、ごく大人しい少女が腰掛けているような形で、熱い薬湯の入ったコップの縁に座らせた。
金属の人形は、お行儀よく足を揃えて膝を曲げ、軽く開いた両腕を脇についてバランスを保つ。薄茶色に光る魔法鉱石が、無邪気にマーサのほうを見ている。
「そしたら、好きな温度を想像しながら飲んでみて」
マーサは人形を外そうとする。
「そのままで使うんだよー」
「落ちませんか」
「落ちないよー。落ちないように作ったからねえ」
おっかなびっくり素焼きのコップを口に運ぶ。周囲の人々も横目で見ている。ティムの周りだけ、王族付きスタッフ専用食堂に緊張が走る。
「あっ」
マーサは、一口飲んで眼を輝かせる。
「理想の温度です」
マーサは真っ直ぐにティムの目を見て、喜びを告げる。ティムの心臓は騒がしい。いつもの何倍もにこにこしながら、自分も薬湯に口をつけた。しばらく話していた間放置されていたが、薬湯はまだあつあつだ。
「これ、普通の素焼きのコップなのに全然冷めないねえ」
ティムはあつあつが好きなのだろう。冷めないことが嬉しいようだ。
「薬湯に入っているハーブに、お湯に溶けると冷めにくいものがあるんですって」
「そうなんだあ」
「私も薬草には詳しくないんですけども」
「ちょっと気になるねぇ」
「これ、真夏でもこんなだから、冷まして飲むことも出来なくて」
「夏に熱いの飲みたくない人には、困っちゃうんだねー」
その気持ちは理解出来るにしても、ティムは熱いままでよいようだった。むしろ、真夏こそ熱々を飲みたがるタイプかもしれない。
とにかく、人形の効果は気に入ってもらえたようだ。ティムは、満足そうなマーサを見てほっと肩を下げる。
「ふう、良かったあ。急拵えだし、使い勝手があまり良くないかなあと思ってね」
「とても便利ですよ」
「見た目もシンプルでしょ?言ってくれたら、色々と変えられるよ」
ティムは、次は見た目にも手を加えたい。これはあくまでも試作品なのだ。今はマーサにモニターとして協力を頼んでいる。女性の視点で意見を貰えば、貴族女性向けのデザインで売り出せるかもしれない。
「まだ改良するんですか?」
「うん。マーサの意見が聞きたいなあ」
「もう充分過ぎるくらいですが」
「これ、今のところは温度を変えるだけなんだけど、変えた温度をそのまま保つ機能も付けるか迷ってるんだぁ」
「それは便利ですね」
「そう思う?」
「はい」
「じゃ、付けよう」
ティムは銅色の筆で軽く人形を撫でる。また短い一節を歌う。人形の見た目は何も変わらないが、作業は成功したようだ。ティムは人形からマーサへと視線を移す。
「コップから落ちないようにはなってるから、これを乗せたままにしておけば、長く席を外しても大丈夫だよ」
「それは助かります。急に呼ばれる時もありますからね」
「この前みたいに、急に話しかけられて冷めちゃうこともあるしね」
2人は、精霊湖でのティータイムを思い返している。あの時は、ロックの道具で洗脳された桜草愛好家倶楽部の紳士たちに邪魔されたのだ。お茶は冷め、炭酸水はぬるくなってしまった。フォレストがあっという間に元に戻したのだが。
マーサは、気の抜けた炭酸水をフォレストが戻したことも思い出す。そもそもそれが、この人形が誕生するきっかけであった。
「これ、抜けてしまった炭酸は元に戻せますか?」
「あ、温度だけしか考えてなかったぁ」
ティムはうっかりしていたようだ。
「そしたら、理想の状態に変わるようにしとくよー」
ティムはまた魔法を使う。なんでもない顔をして、次々と高度な魔法を繰り出すティムに、周囲の人々は驚嘆の眼を向ける。
「炭酸の強さとか、甘さや酸っぱさ、あとミルクやクリームを足すこともできるようになったよー」
「ええっ」
もはや、液体さえ器に入っていればどんな飲み物でも準備できそうだ。
「これ、水をお酒に変えることも出来ますか?」
呑兵衛がそこに目をつけない筈がない。
「出来る筈だけどねえ。仕事が終わったら、一緒に試してみようかー」
「はいっ、是非」
ティムはすかさず夕方にも会う約束を取り付ける。
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