6、姫と魔法使いは森へ行く
フォレストは、魔法の風で籠を編む。プリムローズが目を輝かせて見ていると、温かな空気にほんのりと薄紅の色がつく。色づいた風は細く糸のようになって複雑に絡み合い、フォレストが胸に抱えられる大きさの繭みたいな形を作った。
プリムローズが薔薇色の指先でそっと触れると、ふわりと春の気配がした。
「それじゃ、猫に変えるぞ」
「お願い致します」
「風の籠は揺れるかもしれねえよ」
「平気よ」
再びマーマレード色の仔猫の姿になった姫は、軽やかな跳躍で風の籠に乗り込む。くるりと正面を向けば、菫色の瞳と出会う。
「行くか」
(出発!)
フォレストは片手を振って何か呟く。鎧戸が音もなく締まり、入口のドアは自然に開く。階段を降りて通りに出るが、籠はちっとも揺れなかった。
「フォレストさんおはよう」
「うす」
「よう、フォレスト、仕事かい」
「まあな」
通りを行けば、あちこちの窓や店先から銀髪の魔法使いに声がかかる。
「またどっかで魔力爆発か?」
「いや、大丈夫だ」
「ならいいけど」
「こないだの男の子、どうなった」
「魔力循環が安定して退院したよ」
「そう、よかったあ」
時には立ち止まって、詳しく聞きたがる人と話をしてゆく。
(引っ越して来たばかりかと思ったけど)
フォレストが住む家の一階部分にある万魔法相談所は、カウンター以外何もない。だからプリムローズは、フォレストが引っ越し直後だと思ったのだ。
(でも、私のことを聞く人はいないわ)
憮然とした顔で薄紅色の荷物を胸に抱えた大男である。否応なしに目立つはずだ。自然に荷物へと視線が集まっても納得できる。
(まるで見えてないみたい)
フォレストが抱える風の籠も、その中に座っているプリムローズも、人々は気にしなかった。籠の一部は開いているので、よく見なくても姫が目につく。マーマレード色に渦巻く毛長種の仔猫だ。瞳はくりくりと緑色に輝く。これだけ愛らしければ、声をかけられそうなのに。
表通りをお城と反対方向に抜けて降れば、町の門に行き当たる。フォレストは、門番に向かって無愛想に声を掛けた。プリムローズは、この厳つい大男が不審者扱いされやしないかと心配になる。
「おはようございます、フォレストさん」
(えっ?)
「行ってらっしゃいませ」
(虹色ブローチの魔法使いは、普通の人とは違うのね)
見た目や言動で侮られることなく、街の人には慕われ下級役人には尊敬されているようだ。何もない怪しげな事務所だが、表通りに住居兼用の建物を借りている。いや、もしかしたら、所有しているのかも知れない。食べ物も上等だった。
門番は丁寧に頭を下げる。顔パスなのか、手続きもなく通された。フォレストは濃紺のブーツでドカドカと荒っぽく草原に出る。街の外では畑仕事の人々がポツポツと散らばって働いていた。草原は緩やかに上り坂となり、ふたりは程なく森に入る。
木漏れ日は届くが肌寒い。驚いたリス達が必死で木の幹を登ってゆく。長年積もった落ち葉がゴツいブーツに踏まれて砕ける。
「大丈夫か?揺れるか?」
太い木の根を越えた時、フォレストは姫を気遣い籠を覗き込む。仔猫の視界いっぱいに、銀の眉と菫色の瞳が広がった。森の緑を映した銀髪がぱらぱらと顔を遮って落ちる。
(綺麗だわ)
プリムローズは水晶宮の魔法使いが新年に見せてくれる、光のショーを思い出す。細い銀の筋に赤や緑の光の粒が戯れあそぶ夜空は、華やかで楽しい。
(でも、フォレストさんの髪に流れる葉っぱの影は、優しくて静かだわ)
見惚れていると、フォレストの瞼に力が入る。
「疲れたか?」
(大丈夫よ!)
プリムローズは、眼で伝えようとする。
「悪ぃ。俺のペースで来ちまって」
(わたくしは元気よ)
「ちっちゃな猫の姿だもんなあ」
(座ってるだけだから)
「そうでなくても、姫様だしな」
(お城の壁も登れるわよ)
「ちょっと休憩するか」
フォレストはさっと当たりを見回す。辺りに人がいないのを確認したのだろう。風で編んだ薄紅色の籠に軽く掌を当てると、何事か呟く。するとたちまち姫は薄紅色の椅子に座って、木漏れ日の森にいた。素早くマントを脱いだフォレストは、相変わらず寝巻きのプリムローズをそっと包む。
プリムローズはこれまでずっと大切に育てられてきた。誰からも愛されて、丁寧に扱われている。だが、フォレストが掛けてくれたマントは、自分を夢の世界へと誘う。土と木と、そして紙と革の匂いがプリムローズを柔らかに囲む。
「寒くないか?」
「ありがとう」
プリムローズは、涙を溜めて頬を染める。
「どうした?どこか痛めたか?」
「いいえ、違うの。わたくし、とっても嬉しくて」
姫は胸がいっぱいなのだ。色付き始めた想いを寄せる殿方のマントの縁に、そっと手を添えて俯いた。フォレストの胸に木漏れ日は溢れる。豪奢な銀糸の刺繍に柔らかく流れる金髪は、小暗い森を眩しく照らす。
プリムローズは、ゆっくりと目を上げた。フォレストの眉間から皺が消え、唇の力も抜けている。注意深く姫を見て、困っているところはないかと様子を伺う。
どこかで小鳥が囀っている。何かが飛び立つ羽根の音が鳴る。風が枝々を渡り、葉擦れの音は漣のようだ。遠くで沢が呼びかける。ふたりはじっと向き合っている。ふたりながらに朱の差す頬を隠しもせずに見つめ合う。
鳥の声が急に騒しくなった。翼を畳んで錐のようになった灰色の鳥が、木立から矢のように飛び出す。フォレストは咄嗟に何か唱えた。真緑に血走っていた鳥の目が正常に戻る。
「魔毒草だな」
「目が緑になって暴れる毒がある草ね?」
「よく知ってるな」
「魔法植物学の授業で習ったの」
普段は無毒なのだが、花時に花粉が水に浸かると神経毒が出てくるのだ。その条件下だけで毒になる魔法植物である。毒は水に溶けてから15分程度で消えてしまう。しかし、有毒の間は猛毒なのだ。
「万が一人が飲んだり、凶暴化している生物が人を襲ったりしたら厄介だな」
「探して通報ね?」
「処理できる範囲なら、俺が片付けてく」
「そうね、早い方がいいわ」
「報告は後でいいだろ」
どのみち、毒性魔法植物の処理はフォレストの仕事なのだという。フォレストは万能魔法使いなので、様々な魔法絡みの仕事が舞い込む。
「それで万魔法相談所なのね」
「あんまり色々頼まれるからよ。もう商売にしてもいいんじゃねえかって言われてさ」
「え、頼まれるって、まさか、無償で?」
「まあな」
「もしかして、王宮からの依頼でも?」
「そうだな」
「今回の私のことも?」
「いや、相談所開いてからはちゃんと報酬貰ってる」
プリムローズは一旦安堵する。だが、すぐに次の疑問が湧き出た。
「今までどうやって生活してたの?」
「俺、街路清掃員だから」
「何ですって?」
「道の掃除するひと」
虹色ブローチを賜わる大魔法使いの無駄遣いである。街路清掃員が受け持つのは、町の道路を掃除する仕事だ。街路清掃員に魔法は必要ない。低賃金の王宮直轄職員である。
「え、魔法は人助けに使うだけだったの?」
「そうだよ」
「むしろ、よくおかしいって気付いたわね」
「親切な友達が、料金を取ればって教えてくれて」
「王宮庭園の散水係だって、高給取りなのよ!」
魔法使いは稀少なのだ。人間スプリンクラーな散水魔法で仕事を得た散水係は、下から二番目の赤色ブローチだ。それでも魔法が使えるというだけで王宮に雇われた。彼は、街路清掃員とは比べ物にならない収入を得ている。
「俺、そういうの知らなかったんだよね」
「お父様に抗議しなくちゃ」
プリムローズの決意にフォレストは口を曲げた。
「今はちゃんと貰ってるからいいんだよ」
「でも」
「過ぎたことだろ。飢えてたわけでもねぇしよ」
「魔法の道具って高いんじゃない?」
「だいたいは作れるから」
「材料だって貴重でしょ?」
「勝手に採っちゃダメなやつは諦める」
「革表紙本も」
「あれは貰いもんだ」
本当にお金をかけない暮らしをしてきたようだ。そして、その暮らしに疑問も不満もないようである。仕事にするのを勧められたので、そういうもんかな、と思っただけ。
「美味しいもの食べられるようになって良かったでしょ?」
「いや、食事は別に変わってねえよ」
「え?王宮と遜色ないものご馳走してくださったじゃない」
フォレストがくれたミルクも、パンも、ハムのかけらも、みな上等だった。街路清掃員の給料では、けして口にできない品質である。
「食品箱が好きな味にしてくれるから」
「あの箱、そんなことまで!」
プリムローズは目を丸くする。大魔法使いにとって、金銭は必ずしも必要ではないらしい。
「やっぱり虹色ブローチの魔法使いって、凄いのねえ」
「凄くはねえよ。魔法を使えると色んなことが楽だけどな」
「魔法使いでも、普通はそんなに色んなことできないのよ」
「それくらいは知ってる」
フォレストは少し不機嫌になる。
「ごめんなさい」
「いや、いい」
気まずい沈黙が落ちる。そこへ、また目が緑色に変わった生き物が来た。今度はリスである。木の枝や幹にぶつかりながら猛烈なスピードで走っていた。このリスもフォレストが魔法でさっと治す。
「行ってくる」
フォレストは魔毒草を探しに森の奥へ向かう。プリムローズも慌てて立ち上がった。だが、マントが大きすぎて転びそうになる。フォレストはすかさず魔法で助けてくれた。
「座ってなよ」
確かにプリムローズ姫がついて行っても、出来ることはなさそうだ。
「そうね」
「その椅子に座ってりゃ、安全だから」
「動かないわ」
「そうしな」
首のあたりで束ねた銀色の髪がぴょこぴょこ跳ねて遠ざかる。大きな足がザクザクと枯れ葉を踏む音が静かな森に響く。その音を心地よく感じながら、姫は大人しく待つ。
足音が去って、姫は森の中でひとりきり。なんだか伸び伸びとした気分である。姫は気ままにお城を歩き回っていた。体を動かすことが好きで、城壁にすら登る活動的な姫だった。だが考えてみると、ゆったりと一人で過ごした記憶はない。
いつも誰かの目があった。それを煩わしいとは思わないのだが、清々しい森の香りと長閑な鳥の声に浸っていると、心が解放される感じがした。
お読みいただきありがとうございます
続きます