59、姫と魔法使いは城下町で折目正しい役人と会う
側からは虚空から物を取り出しているように見える、取り寄せの魔法。これは向こう側にある物をこちら側に持ってくる魔法だ。どこにもない物を出現させているわけではない。また、なんでも勝手に取り寄せてしまうのは犯罪である。あくまで、元から持っている物や使って良いと言われた物を手元に取り出すだけである。
「食べ物は事故が多いぜ」
「そんなことないわよ」
「リムと料理長は気心が知れてるからだろ」
「副料理長にも渡し方を説明しておいてくれたわ」
「副料理長は魔法使いか?」
フォレストの質問に、プリムローズは変な顔をした。
「違うわ。でも、それ今関係ないわよね?」
「魔法に慣れてないと緊張するだろ」
「渡すだけなんだから、平気よ」
「火傷したり、こぼしたりするかも知れないだろ」
「レシィ心配しすぎよ」
取り寄せの魔法は、向こう側にいる人に渡して貰うこともできる。だがこれは、受け取る側が虚空に手を差し入れるだけ。渡す側に差し入れる穴や歪みが見える訳ではない。受け取る側も、手を伸ばした先は見えないのだ。
「実際に事故は起きてんだよ」
「そうなの?」
「取り寄せの魔法は、そのせいで遣い手が少ねぇんだよ」
フォレストは心配そうにプリムローズを抱きしめる。
「でも、壊れた魔法の道具みたいな危険は無いんでしょ?」
「それはそうだが」
プリムローズはフォレストの袖を少し捲る。白く小さな手では、大男のガッチリした腕を回り切らない。捲った袖をしっかりと押さえて、ふっくらと艶めく唇を寄せる。
フォレストはギョッとして眉を上げた。自分は普段、プリムローズのあちこちに唇で触れている癖に、姫から触れられて慄いたのである。
「こら、リム!」
フォレストの顔が赤い。プリムローズはクスクス笑って、何度か腕へのキスを繰り返す。
「ふふふっ」
「何だよ、やめろ」
フォレストは困ったように眼を細める。プリムローズが唇を近づける度に、金の巻き毛がフォレストの剥き出しになった腕をくすぐる。
「さ、ごはん行きましょ。おやつのことは後で考えたらいいわ」
「チッ、まあ、いいか」
2人はパイの受け渡し問題は一旦忘れて、仲良く街へと繰り出した。
2人は階段坂を登ってゆく。ティムとマーサが定食を食べた「マドレーヌの微睡」のある坂を下る途中、横手へ逸れて昇る階段がある。折れ曲がって昇る狭い道は、所々段の端が欠けていた。
階段はよく掃除されているので、苔や汚れはなかった。ゴミなどもなく、足を滑らせる心配はない。だが、隅に抜き残された雑草が花をつけていた。
「可愛いわね」
プリムローズは、魔法と関係のないごく普通の花を見て、なんだかほっとした。2週間以上もの間、毎日何かしら魔法の騒ぎに振り回されている。最初は楽しんでいたプリムローズだが、危険や犯罪にまで関わるようになって、疲れてきた。
プリムローズの雰囲気が緩むと、フォレストの表情も和らいだ。急で狭い階段いっぱいに大きな体を曲げて、フォレストは求婚の髪飾りに口付けを落とす。
「レシィ、階段狭いから気をつけてよ?」
フォレストは振り向いたプリムローズに口付けて頷く。
「もう!言ってる側から!」
プリムローズは軽くフォレストのお腹の辺りをはたく。フォレストの唇は、もう一度プリムローズの口に触れ、菫色の眼を悪そうに光らせた。
プリムローズはぷんとむくれて、マーマレード色の毛が長い猫に姿を変えた。
フォレストがいつも履いている濃紺のブーツが、ガツガツと階段を叩く。猫の姿をしたプリムローズの渦巻く毛の先は、昼の陽射しにきらきら光る。長い尻尾はふさふさゆれて、さかさか階段を上って行く。
白い蝶々がひらひらと行き過ぎる。プリムローズはふと足を止めて、蝶々の行方を追った。階段坂に立つ縦長の建物では、窓辺に花を育てている。高い場所にある窓へと、花の蜜を求めて蝶々は飛んでゆく。
カラン、とドアベルの音がした。プリムローズはふさふさの毛に埋もれた三角のささやかな耳を、ぴくりと震わせ後ろに首を回す。プリムローズの背後で、細い木の扉が内側に開く。
「ウッズさん」
「やあ、これはこれは。フォレストさん」
階段を上から下りてきて扉を開けた人に、フォレストが声をかける。
階段坂の小さな飲食店に入ろうとしていたのは、ロックの事件を担当した魔法省の役人だった。今日は休日らしく、魔法省のお仕着せは着ていない。折目正しいウッズは、休日でも髪をきちんと束ねている。
「おや、噂の姫猫様ですね」
ウッズは、今までプリムローズが猫になった姿を見たことがなかった。自室から万魔法相談所に行く時に、姫は猫の姿で空を飛んだり扉の魔法を使ったり、馬に乗って行ったりと様々である。姫の猫姿を見かけることは、案外珍しいことだったのだ。
「お目にかかれて光栄です。ご機嫌麗しゅう」
ウッズの胸元には、青いアーモンドの花を象るブローチが、きちんと真っ直ぐに留められていた。魔法使いのブローチからは青い光の水玉が、階段やプリムローズに降ってくる。マーマレード色の渦巻く背中は、ゆらめく青い水玉で飾られた。
「ウッズさん、これからお昼ですか」
「ええ。おふたりも?」
「はい。ここは色々選べますから」
プリムローズの正面からは、虹色ブローチと銀糸が跳ね返す眩しい光も振り撒かれる。フォレストが動くと豪華なマントが重たげに揺れる。
プリムローズは店に入るために人間の姿に戻る。
「おかみさん1人できりもりしている小さなお店ですけど、種類が多くて子供でも肉体労働のおじさんでも満足出来ますよね」
「リムの気にいるもんもあると思うぜ」
「ほんと?」
「魚料理が人気なんだよ」
それを聞いて、プリムローズの眼は途端にいきいきと輝きだす。
「どんな?どんな魚があるの?調理方法は?」
「入ればわかる」
「たくさんありますよ」
3人が店内に入ると、店の奥から威勢の良い声が飛んでくる。この店のおかみさんだ。
「ウッズさん、いらっしゃい!空いてるとこに座って」
店内は大きなテーブルが2つほどあるだけだった。どちらも相席である。
「じゃ、おばさん、またくる」
「まいどー」
「ごっそさん」
フォレストたちと入れ違いで帰るお客さんもいた。
「ウッズさん、お久しぶり!」
帰りがけのお客のひとりがウッズに話しかけた。
「おや、マイラさん。暫くでしたね」
「元気だった?」
「はい、お陰さんで」
「それじゃまたねー」
ウッズはこの店の常連のようだ。テーブルにつくと、また別の人からも声をかけられている。
テーブルの上に置かれた木の板には、たくさんの料理名が載っている。曜日毎に品揃えが違うらしく、板は何枚か用意されているとのことだ。星乙女亭の真似らしい。
プリムローズのお目当ては、勿論魚料理だ。今日はスープ、重ね焼き、トマトソースの焼き魚、茹でて野菜と一緒にマスタードソースをかけたもの、などがあった。
「これ全部ひとりで?」
魚以外にも様々な品が用意できると書いてある。プリムローズは驚いた。
「昼だけやってるんですよ。どれも温め直して出せる料理だそうです」
「売り切れたら店仕舞いだってよ」
「まあ、温める魔法が使えるのかしら?」
「道具ですよ」
「メンテナンスは俺が請け負ってる」
「まあ、そうなの」
ウッズは意外そうな顔をした。
「時間外にいらっしゃるのですか?」
「道具の調整はそうだ」
「食事にはよく?」
「しょっちゅうじゃないが、そこそこ来るかな」
「案外会わないものですね」
「そうだな」
ウッズとフォレストは、魔法省の仕事で何度か会ったことがある。しかし、城の外で行き合うのは初めてだった。だが、大衆食堂の気さくさからなのか、フォレストの敬語は自然にとれていた。
「ウッズさんは町に住んでるの?」
フォレストに合わせて、プリムローズも気やすい口調で話しかけた。ウッズは真面目だが堅苦しくはない性格らしい。すんなり姫と大魔法使いの気軽さを受け入れた。
「ええ。元は弱小貴族なんだけど」
ウッズが返事を口にした時、最初に注文した水が大ぶりの水差しで運ばれてきた。この店は、料理の種類が豊富な代わりに飲み物は水とレモン水しかない。ただしこの水は、フォレストが管理する魔法の道具で濾過された特別に美味しい水である。
今日は3人ともレモンなしの水を頼んだので、まとめて水差しで来たのだ。ウッズは素焼きのコップにつぎ分けながら、話を続けた。
「思い切って魔法記録官の試験に挑戦してみたら受かって。せっかくだから、生活費の安い城下町に引っ越したんだ」
ウッズも魔法使いではあるので、生活は自由だ。生まれはともかく現在では身分の外にいる。貴族だと住む場所にも色々と制約がある。ごく一部の例外を除いて、貴族はエイプリルヒル城内にある居住区に住んでいる。
「私の家は、祖母が外国貴族の出身だから、国外にも親戚がいるんだが」
水に続いて、頼んだ料理も運ばれてきた。おかみさんはきびきびとよく動く。ウッズは野菜や肉の入ったスープを、フォレストは大盛りの魚と野菜を受け取った。プリムローズの前には、魚のスープが置かれる。
「魔法使いになったと言ったら、物凄く盛大なお祝いをしてくれた」
「魔法使いは珍しいからな」
「親戚は初めて見たって言ってたよ」
「まあ、それは驚いたでしょうね」
「ええ。それに、私の受かった青色ブローチは下から2番目だと言っても、とても喜んでくれた」
エイプリルヒルにいると感覚が麻痺するが、諸外国では魔法使いが少ない。魔法省に魔法使いがいない国もある。そうした国をまとめて請け負う諸国兼任のアドバイサーのような魔法使いがいるのだ。
「実際に魔法使いになったら、自由なことが多くて楽しいですから、親戚にも勧めたんですが」
「才能がなかったか」
「はい。残念ながら」
プリムローズの頼んだ魚のスープには、5種類もの魚が入っていた。すり身団子にして、スープの浮き身になっている。すり身団子には、スパイスやハーブ、あるいはすり潰した野菜と混ぜて、スープ腕に色とりどりの華やぎを添える。店の窓辺で育てた薬草も加えて、食欲をそそる香りに仕上がっていた。
「さて、いただきましょうか」
「そうだな」
「ええ、食べよう」
3人はいそいそとフォークやスプーンを手に取った。
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続きます




