54、魔法細工師と水色の雲
定食屋「マドレーヌの微睡」は、エイプリルヒル城下町の階段坂に店を構える、比較的歴史の浅い店である。昼間には、昼定食と豆茶、そしてアルコールを少し提供している。この定食と昼限定の豆茶が、ファンの間で好評なのだ。
昨夜、始源祭の晩にランチの約束をしたティムとマーサは、早めの昼に「マドレーヌの微睡」で待ち合わせをした。マーサは、プリムローズが万魔法相談所に出勤中、自由時間である。休憩ではないので、一応は勤務中だ。ただ、昼休憩をいつ何処で取っても良いため、城下町でランチも可能なのだった。
マーサはお城のお仕着せからエプロンだけ外してやってきた。髪はきっちりと纏めている。
「マーサ!」
「ティモシーさん。お待たせ致しました」
「待ってないよー」
ティムは先に店内にいて、豆茶をゆっくり飲んでいた。マドレーヌの微睡は厳しくない定食屋で、ランチタイムの待ち合わせ客にも寛容だった。本命は夜のアルコールも出す定食屋営業なので、昼は趣味のようなものだった。
店主の妻が健康茶に凝った時がある。店舗の裏庭で、煮出して飲むと脂を洗い流すと言われる豆を育てていた。当時、豆茶は流行していたので、おかみさんが飲みきれない分は店舗で提供された。それが昼間のメニューとなり、「マドレーヌの微睡」の看板メニューのひとつとなったのだ。
「今日定食なんだか聞きました?」
「うん。マスの塩焼き」
「美味しそうですね!」
「マーサ、マス好き?」
「ええ。紅くて綺麗ですしね」
「うん。綺麗だよねぇ」
そこへ、店の親爺が注文を取りに来た。
「何にしましょ?」
昼定食のほかに、夜にも出す食事ものがいくつかあった。
「昼定食にする?」
「はい、マスですよね」
「マスだよ!塩焼きだ」
「それ二つ」
「はいよー」
「あと豆茶をお願いします」
「僕にも、豆茶おかわりね」
「毎度っ」
ティムとマーサは注文を終えると雑談を始めた。
「昨日の植物園の話、どうなったんだろうねえ」
「今朝は姫様が、万魔法相談所に依頼が来るのを待つと仰ってましたが」
「ご飯食べたら、行ってみようかあ」
「植物園にですか?」
マーサはぶるっと震えて肩をすくめる。
「違うよ。レシィのとこだよ」
「それなら」
マーサはほっとして頷いた。ティムもにこにこしながら同意する。
「流石に、何が起きてるのかはっきりしない所には行きたくないなあ」
「そうですよねえ」
「レシィたちなら、依頼がなくても出掛けて行きそうだけどねえ」
「もって午前中ですかね」
「だねぇ。植物園の人が相談に来るまでじっと待ってるとか、できないと思うなぁ」
フォレストとプリムローズは、この2人から全く信用されていなかった。フォレストはお人好しで、魔法が原因で困ったいる人がいれば放っては置かれない。プリムローズは好奇心旺盛で、気になることがあれば何処へでも出掛けてゆく。
「2人とも、行動力あるからねぇ」
「そうですね。様子を見に行ったほうが良さそうですね」
ドアが軋んで次々に客が入ってくる。マドレーヌの微睡は人気店である。店内はざわざわと愉しげな会話に満ちていた。ティムとマーサもお喋りをしながら料理を待つ。
「桜草愛好家倶楽部はどう?」
「今朝は特に何もなかったです。姫様に直接何かしてくるわけではないですからね」
「そっかあ」
豆茶が運ばれてきた。マスの塩焼きはまだ来ない。豆茶の香ばしい香りを吸い込んで、マーサの顔が綻ぶ。その様子にティムも頬を染めた。
「はあ、ここの豆茶は落ち着きますね」
「そうだねえ。ゆったりするねえ」
取手のない筒型の器は、素朴な素焼きだ。マーサは貴族の娘だが、少し変わっているようだ。
「マーサはなんで城下町の食べ歩きをするようになったのー?」
ティムは不思議に思う。エイプリルヒルの貴族は、城内の居住地区に住んでいる。城下町まで降りてくることは殆どないのだ。
「子供の頃、父に星乙女人形の屋台に連れて行って貰ったのです」
「町の始源祭に来たの?」
「ええ。父も星乙女人形を集めておりまして」
「へえー」
「その時、父が城下町のコレクターと知り合って」
「庶民のコレクターと?」
「ええ」
マーサの父は、身分にこだわらない気さくな人であるようだった。城下町のコレクター仲間に教わった庶民の店に、時々マーサを連れて訪れるようになった。
やがてマーサは、プリムローズ姫のお世話係としてお城に上がった。プリムローズは活動的で、常にマーサが付き従う必要がなかった。マーサは真面目に働いたので、次第に自由が拡大したのだった。
2人は町の食堂で提供される素朴な味を楽しんだ。定食は量が多かったが、マーサはペロリと平らげた。
「マーサよく食べるねえ。お城の仕事は大変?」
「そんなこともありませんけどね。広いので、よく歩きますけども」
「ここまでは馬車?」
「いえ、馬で参りました」
「馬に乗れるんだねえ」
「あまり好きではないですけどね。歩くよりはずっと速いですから」
お喋りしながら折れ曲がった階段を上ってゆく。上りきったところには、ずんぐりした栗毛の馬が鉄の手摺りに繋がれていた。手摺りの脇には小遣い稼ぎの馬番がいる。この少年は色々な雑用をして家計を助けているようだ。
「ありがとう」
「どうぞご贔屓に」
マーサは馬番の少年に小銭を渡して栗毛を受け取る。今日の昼はマーサしか預けなかったようだ。ティムは少し気の毒に思う。
そこからは馬車も通る広い道だ。宿屋の前で、荷物を抱えて驢馬を引いている旅人を見かけた。なにやら浮かない顔で急いで驢馬に荷物を積もうとしている。
「まさかこんな遠くにまで紫の鼠が出没するとはなあ」
「月見烏賊の配達に便乗したんじゃないのか?」
「どうだろうなあ」
ティムは思わず足を止める。ティムに合わせて馬には乗らずに引いていたマーサも立ち止まる。
「あの、紫の鼠をご存知なんですか?」
マーサが旅人に声をかけた。2人組の旅人は、びくりとして顔を見合わせる。
「以前、遠いところで出たのでしょうか」
重ねて尋ねるマーサに、旅人たちは口早に答える。
「ポルトベルウォーターってとこで、1年くらい前に随分悪さをしていたんだよ」
「船荷が駄目になったり、玩具が暴れて子供が大怪我をしたり」
「そいつは人間だって噂もあった」
「顔中に石や金属をつけて、髪は紫色なんだそうだ」
どうやらロックのことで間違いないらしい。
「ポルトベルウォーターの魔法省が捕まえようとしたんだがな、失敗した」
「いつのまにか居なくなったんだが、それまではみんな怯えて暮らしてたよ」
「気の毒だが、ここもしばらくはそうなるだろうよ」
「じゃ、俺たち行くから」
「荷物にあれが潜り込んだら大変だからな」
旅人たちはそそくさと宿を離れる。マーサとティムは会釈をして、万魔法相談所の方へと急ぐ。
「ムーンライト素麺の入荷を利用して引っ越したのでしょうか」
港湾運輸大国ポルトベルウォーターで扉の魔法使いが、取引先の外国へと扉を繋げた時、鼠の姿で素早く移動したのかも知れない。ちょうどロックがエイプリルヒルに来た頃なのだが、そのことをティムたちはまだ知らない。
「あり得るねえ」
ティムはにこにこしながらも、気掛かりな様子を見せる。
「子供が大怪我するような事故まで起こすなんて」
「そんな方が姫様のファンクラブにいるなんて、びっくりしました」
「特に理由はないのかも知れないねえ」
クランベリーデイルの魔女ストーンは、一応の理由がある。猫が大好きなストーンは、猫が嫌いでご禁制とされるエイプリルヒル王城に、しばしば嫌がらせをはたらく。プリムローズを猫にして厳重注意された後も、相変わらずお城に嫌がらせを続けている。
だが、今のところロックの動機はわからない。旅人たちの話の様子だとポルトベルウォーターでも、動機は分からなかったようである。
栗毛を引くマーサと並んで、ティムは石畳の坂道を行く。午前中にフォレストが、水色で雲形の焼き菓子を買った菓子屋に通りかかる。
「あっ、雲形焼きがまだあるよ」
「初めて見ました」
「すぐ売り切れちゃうからねぇ」
マーサは噂だけしかしらず、この水色に染められたとても甘い食べ物を見たことがないという。大人気ですぐに売り切れてしまうのだ。
「食べてみる?すっげぇ甘いよー」
「酸っぱいお茶と合うと聞きましたが」
「あ、合うかも知れないねえ。僕は豆茶か、何も入れない紅茶と一緒に食べるかなあ」
「ティモシーさん、食べたことおありですか」
「うん、たまに食べるよ。しょっちゅうは要らないんだけどねー。時々食べたくなるんだぁ」
紫色の鼠については、今話してもこれ以上分かることはなさそうだ。2人の話題は食べ物に移る。
「買ってみます」
マーサは菓子屋の扉を開ける。ティムも付いて入る。
「やあ、ティム」
「おじさん、こんにちは雲形焼きちょうだい」
「朝方フォレストくんが12個も買ってったよ」
「12個も?」
「お弟子ちゃんと分けて食べるつもりみたいだったよ」
「ふうん。そしたらお土産はやめとこ」
今日の分の甘いものは十分である。それ以上は要らない。
「マーサどうする?」
「姫様付のみんなに買って行きます」
マーサはお城の同僚に買っていく。人気で滅多に手に入らないお菓子だ。きっと喜ばれることだろう
マーサが菓子箱を抱えて馬を引こうとする。ティムは慌てて箱を受け取ると、マーサはにこっと笑う。
「ありがとう」
「いつでも持つよー」
ティムは胸がドキドキして、マーサの顔をまともにみられなくなった。マーサの笑顔は、ティムを有頂天にさせたのだ。ティムのそんな様子を見て、マーサもほんのり頬をそめる。
万魔法相談所の外壁には、鉄の輪が埋め込んである。鉄の輪は、ドアと窓の間に3箇所ある。馬や驢馬等を繋いで置くための道具だ。この輪もフォレストの作った物である。ここに繋いだものは、生き物であれなんであれ盗まれることはない。
「マーサ安心してねー。ここに繋いどけば盗まれないよー。フォレストが作ったんだあ。便利だよねえー。」
ティムはそう言って感心する。フォレストはティムの自慢の友達なのである。
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