50、姫と魔法使いは偽の呪いを調査する
大白鷲草は、紫色の髑髏に似たシミが出ただけだった。枯れたり音や光を出したりはしていない。
「昼間に巡回中の職員が、白鷲草の根元を鼠が走っているのを見かけたんです。しかも紫色だったと」
植物園長が紫色の鼠のことを話し始めた。
「最初は見間違いだと思ってたんですよ。見た本人も。他の植物にもおかしなことが起こり始めて」
園長は話しながら、次の被害植物へと向かう。被害に遭った植物がある場所は、植物園のあちこちに分かれているらしかった。
「毎回、植物園のどこかで紫色の鼠が目撃されましてね。そしたら、最初に見た人も口に出せるようになって」
その人は生真面目だったので、滅多なことを言ってはいけない、と黙っていたらしい。だが、次々に件の鼠が目撃されて、やっぱり自分は見間違えではなかった、と安心したようだ。
紫色の鼠が目撃された時間はバラバラだった。植物園の中であることだけが共通していた。園内で目撃された直後に出勤してきた職員たちは、通勤路では見かけていないと口を揃える。
「2番目に発見されたのはこれです」
一行は、植物園の作業用具小屋脇にやってきた。深い木箱に枯れた花が土ごと掘り起こされて入っている。花はもと赤だったらしい。黒茶色でカサカサになっている。葉と茎は濁った青だ。土は特に変色していない。
「この植物は?」
掘り起こして移動されてしまっている為、説明書きの立て看板は見当たらない。
「はい。これはシシオウノタテガミソウと言って、元々の葉はライオンのタテガミのように黄色っぽい茶色なんです」
濁った青ではなかったようだ。
「葉に囲まれた赤い花が口のように見えて、囲んだ葉がタテガミに見えるからシシオウノタテガミソウと名付けられたとも言われています」
名前の由来は諸説あるらしい。
「おかしな色になったので、念のため土ごと取り除いたんですが」
園長は、箱の側にある棚から移植ゴテを取り出す。
「周囲には影響がなかったし、土もなんともないんですよ」
移植ゴテで掬った土を見せられても、プリムローズには何も分からない。せいぜい、刃物などの危険物が混ざっていないかどうかを判断する程度だ。
「レシィ、何か気になることある?」
フォレストは差し出された土の上に手をかざして集中する。魔法の残滓を調べているのだ。プリムローズが猫にされた時や、星乙女人形が不気味なハミングを始めた時と同じ方法をとる。
園長は息を詰めてフォレストを見守る。
「だいぶ時間が経っちまってるから、土には何にも残ってねぇな」
フォレストは次に枯れた植物を調べる。
「変化が永続する魔法がかかってる」
「やはり魔法ですか」
「これは2週間くらい前に枯れたんですね?」
「はい、ちょうどそのくらいです」
2週間前と言えば、プリムローズとフォレストが出会った頃である。プリムローズは不安そうにフォレストを見上げる。
「レシィ」
「まだ何もはっきりしてねぇ」
「そうね」
2人は桜草愛好家倶楽部の敵意を思い出さずにはいられない。だが、それが植物園の異変にどう繋がるのかは見当もつかなかった。
「園長さん、さっきの髑髏模様もそうなんですが、かけられた魔法はずっとそのままで、でも、周りに影響はないですよ」
「影響無いと言ってもねえ。一日中点滅したり、夕方になるとうるさい音が鳴ったり、断続的に異臭がしたり」
園長はため息をつく。
「そういうのは無くても、いろんな植物に怨念みたいな恐ろしい模様が浮き出してるし」
「だから呪いだって言われたのね」
「全く、とんだ迷惑ですよ。呪いだなんて」
「まあ、少なくとも呪いではありませんね」
フォレストは眉を寄せる。
「チッ、めんどくせぇ隠蔽しやがって」
「どういうこと?」
「魔法の面を呪法モドキで覆ってんだよ」
「ジュホウモドキ?」
「何ですか、それ」
聞きなれない言葉に、園長もプリムローズも疑問を口にする。
「呪いっぽく見せる技術だな」
「え、そんなのがあるの?」
「ある」
相変わらずフォレストは端的な説明しかしない。要するに、呪いが実在しようがしまいが、呪われているように見せかける方法があるということらしい。
「そいつを使うと、魔法の気配が撹乱されて面倒なんだ」
「何の魔法だか分かりにくいの?」
「元の魔法と組み合わされて、思いがけない効果がでることが多いな」
「じゃあ、植物を助けることは出来ないの?」
プリムローズの質問に、園長が不安そうに顔を顰める。
「時間をかければ、枯れたの以外は元に戻せる」
フォレストの力なら本当は枯れたものも戻せるのだが、生命の掟に逆らうのは魔法使いの倫理規定に違反してしまう。世に言う禁術とか禁忌とか言われる類の技術である。
園長は更に他の植物のある場所へと移動する。歩きながら弱音を吐いた。
「王様から預かっている大切な植物園なのに、呪いの噂ですっかり人が来なくなりましてね」
園長は貴族である。今回の事態は、施設管理の責任だけではなくて、臣下としての忠義まで問われる可能性がある。王家が運営している施設が呪われたなど、大変なゴシップだ。
「そうねえ。ちゃんと犯人を捕まえないとね」
「はい。植物が元に戻るだけでは、信頼を取り戻すことは難しいでしょうから」
フォレストが難しいと言ったので、園長はすっかり気落ちしている。
「植物を戻すのは量にもよるが、犯人探しは今日中に出来ると思うぜ」
フォレストは犯人逮捕の糸口を掴んだらしい。現行犯と違って、痕跡がない魔法は犯人特定が困難だ。状況から明らかであっても、証拠が無ければ魔法使いの権利に阻まれる。
「特殊な魔法だから特定は簡単だろ」
「偽装した甲斐がないのね?」
「呪い騒ぎが狙いとしか思えねぇな」
「ここの職員への私怨でしょうか」
「さてなあ」
「それとも王家への?」
園長は青褪める。エイプリルヒルは長閑な国だ。王家に仇なす者が現れるなど、建国以来予想もされなかったことである。庶民によるのびのびとした悪口は別だ。衛兵や騎士たちの小さな不満は、むしろ拾い上げられてよりよい国が目指される。
「王家に恨みがあるなら、なんでここなのかしら?王宮にある本園や薬草園、城内の温室とか庭園もあるし」
「チッ、もしそうなら、遠くからじわじわやるつもりなんだろ」
「ねえ、それが本当なら、桜草愛好家倶楽部がおかしくなったのも、関係あるんじゃないかしら?」
そもそも、桜草愛好家倶楽部はプリムローズのファンクラブなのだ。短い期間に過激派だけになってしまうと言うのも、すこし変な話だ。
もしかしたら、フォレストへの敵意を利用して、うまくプリムローズのことも恨むように仕向けているのかもしれない。ひいては、エイプリルヒル王家そのものへの不信感を狙うのでは、とプリムローズは思った。
(弱そうなところから潰していこうとしたって、そうはいかないんだから!)
「その話はあとでな」
「あの、桜草愛好家倶楽部とは?」
「必要があれば後で説明いたします」
「そうですか」
園長はそれ以上追求せず、到着した場所の植物について説明をする。
「これはカメノツメサキという薬草なんですけど」
蕾が陸亀の曲がった爪先に似ていることから名付けられたのだという。薬になるのは実だ。今は葉を茂らせているだけで、花は秋口に咲くのだという。
「なんだか葉っぱが変ね」
カメノツメサキは、ハート型の肉厚な葉っぱだ。それが何やら複雑に絡まり合って恐ろしい怪物のような姿を示す。
「あちらのマルノミヘビノキも枝が怪物みたいですし、ここからでも見えるそちらのコイヌノタカラモノはズタズタになってなんだか幽霊屋敷のカーテンみたいです」
広い植物園を驢馬車や徒歩で動き回りながら、園長は次々に異変が起きた植物を紹介してゆく。
「ずいぶんあるな」
「はい。日に日に数がふ、」
園長は急に言葉を切って、あっと声を上げる。フォレストとプリムローズは既に猫の姿で走り出していた。途中でフォレストは銀色の鳥になり、空中を進む。
夏に咲く花木のコーナーを、紫色の影が走る。船形の葉が幾重にも重なるまっすぐな木の幹を、長い裸尾を揺らして駆け登る。樹皮には焦げたような筋が残る。筋よく見れば、なにやら苦悶の表情を浮かべた人の顔が浮かび上がってくる。
「チッ!決まりだな!」
フォレストは舌打ちを響かせて急降下する。鳥にも舌はある。まして銀の鳥はフォレストが変化した魔法生物である。舌打ちくらいは自由自在だ。
紫色の鼠は、ビクッとして一瞬足が止まる。フォレストの声を出す銀色の鳥を見上げて、鼻をひくひくさせた。フォレストとプリムローズは、動物の姿に変わっても人間の言葉を話すことができる。だが、通常の魔法使いは動物に変化したら言葉は話せないのだ。
プリムローズもフォレストも、その隙を逃さない。マーマレード色の猫は尻尾をふさふさ振りながらまっすぐな幹に爪を立てて、猛烈なスピードで駆け登る。鼠は枝へ逃れて隣の木へと移る。
ざざっと音を立ててフォレストが枝を分ける。鼠は慌てて方向を変えたが間に合わない。鋭い爪がネズミの体をむずと掴む。プリムローズは地面に降りて人の姿に戻る。
地上でやきもきしていた園長の目の前に、紫色の鼠を掴んだ銀色の鳥が降りてくる。フォレストは人に戻ると、鼠を魔法の籠に閉じ込める。籠は物を取り寄せる魔法を使って、フォレストの部屋から持ってきた。
「園長さん、一旦魔法省に行って参ります」
「戻るの?」
「ああ。植物の状態を戻すのも契約のうちだからな」
「はあー、解決ですね。よかった、ありがとうございます」
犯人が捕まったので、園長は一安心だ。だがフォレストは眉間に皺を寄せたまま。
「まだ処罰がどうなるか未定だからな」
王家への不信感を煽る目的だったとしても、それを裏付ける証拠はない。言い逃れをされたら、軽い処罰の愉快犯扱いになる。ストーンの悪戯同様に、繰り返されることだろう。
「チッ、面倒臭ぇことするんじゃねえよ」
紫色の鼠は、籠の中から灰色の目に憎悪を湛えてフォレストを睨みつけて来る。フォレストは、今回は飴細工屋台の時とは違って、鼠を人へは戻さない。籠に捕まえたままで王城に行くことにした。
「担当官がまともだといいんだがな」
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続きます




