47、ふた組みの若者はたわいのない幸せを見つける
星鳩のテリーヌが来ると、マーサはまた泡酒を頼む。ティムは暗闇乙女を頼む。
「あ、私もそっちにします。闇のに変えてください」
「はいよー、闇二つね」
デュンケルは黒い泡酒だ。泡立ちも黒みがかって香り高い。各地にある黒い泡酒のなかでも、暗闇乙女は口当たりが良い酒だった。
「甘みもあって美味しいよねー」
「はい。まろやかなのに強さもあって」
「たくさん呑んでも飽きないよねー」
「ええ。あー、酢漬け鰊があれば良いのに」
「脂コッテリの塩豚鉄板焼きも合うよねー」
「塩豚鉄板焼き!付け合せは山盛りのガーリックポテトですね」
「そう!粗挽き胡椒に乾燥オレガノとローズマリーかけてさあー」
「んーっ、ないのが惜しい!」
「発酵塩甘藍、粒辛子に腸詰!」
「いいですねえー。腸詰めは血入りぉ!いただきたいです!」
「ぷりっぷりに茹で上がった真っ白な雪原もいいなあ」
「なんです?雪原?」
マーサの知らない食べ物が話題に出てきた。ティムはにこにこと教える。
「白くて大きいんだよー」
「それも腸詰めですか?」
「うん!森の国名物なんだぁー。マーサ知らない?」
「ええ」
「今度ご馳走するよー」
「どこで手に入りますか?」
「森の国へ連れて行ってあげるよぉ」
「ええっ遠いですよ」
「細工魔法でも、扉を繋げることができるんだぁー」
「おおっ!」
「いろんなところに呑みに行こうねぇ」
「あっ、そしたら、砂漠の国トゥズの砂馬の涙が呑みたいです!」
「さすがぁ!渋いねぇ」
ティムとマーサが呑兵衛トークを始めてしまった。植物園の異変も紫色の鼠もそっちのけである。呑兵衛がふたり揃って酒の話を始めれば、もう他のことはどうでも良くなる。それはこの広い空の下、どんな時代のどこの場所でも綿々と続く真理である。
「ティムさん、釣り人艇ご存じ?」
「銀波魚のパイが美味しい居酒屋さんだねぇ」
「ええ。月見烏賊素麺も絶品です」
「ポルトベルウォーターの烏賊!暗闇乙女も合うけど、白房果実酒でも美味しいよねぇ」
マーサは激しく肯首する。ムーンライト素麺は港湾運輸大国ポルトベルウォーターの名物だ。材料となる月見烏賊は、夜明け直前の海で藤色の燐光を発する筒形の海洋生物である。特徴的な三角形のヒレが頭についている。
「苦味のある柑橘味噌でもいいですし、真っ赤な唐辛子ソースも美味しゅうございます」
「東の辺境では、黒紫のさらっとしたソースをかけるらしいよ」
「それはまた、興味をそそられますね」
「レモンをぎゅっと搾っただけでも美味しいよねぇ」
「はい!ごく普通の泡酒を、こう、きゅーっと」
「いいねえ」
「歯応えがあるのに柔らかくて」
「何とも言えない風味があるよねえ」
月見烏賊は、毎朝ポルトベルウォーターの港に水揚げされる。これを新鮮なうちに髪の毛ほどの細さに切る。水の魔法使いが細長く切り裂いた月見烏賊を、扉の魔法使いが世界各地の特約店に納品しているのだ。エイプリルヒル城下町の釣り人艇という海鮮居酒屋も、そのひとつであった。
「こんどご一緒しましょうよ」
「うんっ!僕、しばらく暇だよー」
「私も、しばらくは時間の融通がききますよ」
「お城は忙しくないの?」
「宿下りは姫様のお誕生日より後ですが、姫様が魔法のご用でお出掛けの折には自由時間をいただいております」
ティムはキランと空色を輝かす。
「だったら、お昼ご飯にも行けるぅ?」
「はい。早速ですが、明日、マドレーヌの微睡は如何でしょう」
「おおっ、分かってるねぇ」
「後日夕方にもご一緒したいですが」
「うん。でもまずは定食だよねー」
「昼定と昼限定の豆茶ですよねっ」
「行こう行こう」
「参りましょう!」
2人はどんどん計画を進める。行きたい場所や呑みたいお酒、食べたいものを上げては回る順番を決めてゆく。
「マーサ、町の人が呑むお酒や、お城にはない食べ物に詳しいのね?」
プリムローズは折目正しいマーサの変わりように戸惑う。一時的に酔いが回った先程でさえ、生真面目さが目立っていた。それが今や、本能のままに酒席の欲望を語る。
薄茶の瞳は星のように輝き、繰り出す言葉はやや早口になる。大きなジョッキを上げ下げする手も、忙しなさを加速する。
対するティムは輝く笑顔で距離を詰め、声には星屑を塗したような華やかさを添える。ティムのジョッキも、中身がどんどん減ってゆく。フォレストは眉根を寄せて2人を見ている。
「星乙女人形のコレクター仲間に、町っ子がいるんです」
プリムローズの問いかけに、マーサは一旦ジョッキを置いた。
「まちっこ?」
「あ、城下町出身者を町っ子というんですよ」
「そうなの」
「はい。城内居住区出身者は内っ子と呼びます」
「あ、聞いたことあるよー。対立してるって」
「それぞれのプライドがありますからね」
「外国人には優しいのにねえ」
城下町では、外国人より城内居住区出身の貴族のほうが遠い存在だ。それでいて町っ子のプライドは高い。城下町にも建国以前からの血筋があるのだ。この土地に根を下ろし、この土地の歴史を築き上げた者達として、誇りを持っている。
「外国人は、お客様ですからね」
「そういう壁は感じないけどなぁー」
「それは、ティモシーさんが仲間になりそうな人だと思われたからじゃないですか?」
「ティムは人当たりがいいからな」
フォレストはいつものように口をへの字に曲げる。
「レシィだって頼られてるでしょー」
「街路清掃作業員になったばかりの頃は、言葉が出来るのを却って怪しまれたけどな」
「レシィ、虐められたの?」
「レシィはいっつも怒ってるからねー」
「チッ、うるせえ」
「ほらー」
ティムがけらけら笑う。マーサもホホホホと朗らかに笑う。
「酷いわ!ふたりとも」
プリムローズが気色ばむ。そこへ、暗闇乙女が到着した。
「ねえ、星鳩の炙りは出来ない?」
「あればチーズレモンソースで」
酔っ払い2人が無茶なことを言い出す。
「ごめんなさい、今日はお祭りだから無理ですよー」
2人は揃って肩を落とす。始源祭の夜は、星乙女亭も大賑わいだ。メニューの品数はかなり絞って提供している。今日はテリーヌだけを用意している星鳩は、普段ほかの料理でも使っていた。刺身でも食べられる新鮮な星鳩を、軽く炙っただけの「炙り」は人気メニューのひとつだ。
一見素朴なこの一品は、実は混雑時には向かなかった。注文が入るたびに肉をスライスして一枚ずつ炙って提供する。しかも、何種類もの薬味やソースから好みのものを選べるのだ。
店員のお姉さんは、酔客の我が儘に慣れっこだ。変わらぬ笑顔で去ってゆく。
「あっ、唐揚げふたつ!」
「ピクルスもふたつ!」
「はいよー」
始源祭の翌日、プリムローズは万魔法相談所で待機していた。昨夜出会った人が、植物園務めの友人にフォレストを紹介してくれることを期待しているのだ。
「お祭り、楽しかったわね」
今日もプリムローズは風の魔法で編んだ籠椅子に座って、万魔法相談所一階のカウンターに向かう。相談所には、相も変わらずカウンターしかない。書類や記録といったものは存在せず、備品の一つも見当たらない。カウンターの内側はがらんとしている。
プリムローズたちは、なぜか入り口のドアに背を向けて座る。毎日、窓や入り口に背を向けている。相談所の奥の壁には、高い位置の明かり取り窓が横長に空いているだけだ。特に裏通りが気になるというわけではなさそうだった。
「そうだなあ」
プリムローズの頭には、昨日フォレストが贈った求婚の髪飾りが華やぎを添えている。フォレストは愛し気に巻き毛を見下ろした。
「星乙女亭も、行かれて良かったわ」
フォレストは頷いた。菫色の瞳には、姫の淑やかな微笑みが映る。やんごとなき姫君の姿を見せながら、その魂は何物にも囚われない。自由であることは、暴虐とはかけ離れている。家族を思い、まじめに勉強し、自ら選んだ魔法の道を真っ直ぐに進む。
「気に入ったか?」
「ええ、とっても」
「また行くか」
「お城に住んでいる間、夜は難しいわね」
「そうだったな」
「どれも見た目が素敵で味も良かったわ」
プリムローズは始めての外食を思う存分楽しんだ。途中、町の噂で気分を削がれたが、おおむね平和であった。星乙女亭では、始源祭の特別メニューを堪能した。
「あっ、おまけ。シンブル見せてくださる約束でしょう?」
始源祭限定メニューのおまけで付いてくる、革製の刺繍用指貫をシンブルと呼ぶ。フォレストはこれをコレクションしているのだ。親指に被せるサックのような形をしていて、側面に簡略化した星乙女が描かれている。フォレストによれば、年によって絵柄が変わり、本体となる革も色や厚みが違うとのこと。
「ゆっくり見てもらいてぇからなぁ」
「あとで?」
「今は、仕事が来るかもしれねぇから」
「わかったわ」
自慢のコレクションなのだろう。プリムローズに、ひとつひとつ丁寧に解説しながら見せたいのだ。あわよくば、姫もおまけコレクター仲間に引き込もうという魂胆も見え隠れする。
フォレストは眉間の皺を伸ばして眉尻を下げる。
「リムの髪は星乙女みてぇ」
プリムローズの黄金の巻き毛に節のある長い指を梳き入れて、フォレストはご満悦である。うっとりと頬を金髪に寄せると、軽く唇で触れた。
プリムローズは頬を染めて瞼を下ろす。半分下りた瞼の縁を飾るのは、綺麗にカールした金色の睫毛だ。長閑な昼前の光が、奥の明かり取り窓から落ちてくる。
姫の緑色の瞳は、波立つ草原のように光を揺らす。数えることもできないほどに、姫はフォレストとの幸せを思い出す。出会ってから今日まで、町で、森で、庭園で、幾つもの拉致もない時を過ごした。
(不思議なことも体験したけど)
フォレストの愛情深い指の動きに髪を預けて、プリムローズは満たされる。
(ただ一緒にいるだけで)
プリムローズは、フォレストの逞しい腕に寄りかかる。武人ではないが、12の歳から肉体労働をしてきた大男である。それなりに発達した腕は、小柄な姫の半身をすっぽりと包み込む。
(なんて幸せなんでしょう)
2人はいつの間にかぴたりと寄り添って、うとうとし始めた。万魔法相談所に訪問者があることをすっかり忘れてくつろいでいる。
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続きます




