46、プリムローズの親孝行
隣の席の人から、紫色の鼠について思いがけない情報がもたらされた。植物園での異変は、まだ町の噂になっていない。お城にも届いていなかった。
「蓮の葉が点滅する?」
フォレストは、それが大騒ぎになるほどのことなのかと思ったようだ。水晶宮のお爺さん魔法使いが行うショーでも、光の明滅はある。それはむしろ観客に喜ばれているのだ。
「赤や緑や、紫や黄色や、植物園の周りにある道にまでどぎつい光が漏れてくるんだよ」
「それは迷惑だな」
「鎧戸の隙間からも入ってくるんだ」
「眠れないわね」
「そうなんだよ。うち、植物園の近くなんだけどさ。ほんとに困ってるんだよね」
蓮の葉に起こった点滅は、どうやら酷く不快なもののようだった。楽しむゆとりのある人は少ないだろう。
「行ってみるか」
「レシィ、ちゃんと営業して来なきゃだめだよー?」
ティムは、フォレストがまたボランティアを始めるのではないかと心配したのだ。ここにいる大男は、時間のかかる調査や高度な魔法行使を、平気で無償提供してしまう。街の人々のなかには、蔑視しながらも良いように利用する者もいる。それが1人や2人ではないから、ティムはやきもきしているのだ。
「迷惑じゃなければ、友達に声かけとくよ?万魔法相談所に依頼したら、って」
植物園スタッフに友達がいる人は、幸い魔法使い差別主義者ではなかった。
「レシィ、依頼が来るまで押しかけちゃダメよ?」
プリムローズは釘を刺す。だが、自分自身も首を突っ込みたそうな雰囲気を醸し出す。マーサはもう酔いが醒めたのか、姫の好奇心に目敏く反応する。
「姫様」
「なによ、マーサ」
「いけませんよ?」
「何がよ」
「惚けないでくださいまし」
「やあね、なあに?」
プリムローズは知らん顔で茹で豆を摘む。
「点滅する蓮の葉、ご覧になりたいのでしょう?」
「それはそうね」
「観に行くだけ、という言い訳は通用しませんよ?」
「植物園の見学もダメなの?」
「点滅する蓮の葉や恐ろしい形になった植物を観たいだけですよね?」
「そんなことないわ」
「紫の鼠を探したいのでしょう?」
「何を言ってるの、マーサ。植物学のお勉強だわ」
プリムローズはつんと済まして言い逃れをする。
「植物学のお勉強なら、王宮植物園や城内の温室で良いですよね」
「あら、城下町の植物園も王立なのよ。マーサ知らないの?」
「存じております。町の植物園は分園でございますね」
「分園て、格下って意味じゃあないのよ?」
「左様ではございますが」
「お城には無い植物が、いっぱいあるに違いないわ」
プリムローズは畳み掛ける。ティムはにこにこと様子を見守っている。フォレストは口をへの字に曲げて、通常運転である。
「それ、おかしな症状が現れた植物のことですよね」
「違うわよ。それ以外にも、分園でしか観られないものがあるのよ。きっと」
「きっと?きっとですか」
マーサは呆れる。
「展示目録を確認なさったら如何ですか?」
「そうね、そうさせていただくわ」
マーサは要らぬ知恵をつけてしまったかと後悔する。
「桜草愛好家倶楽部の活動と関係があるのかどうかも気になるよねぇ」
ティムがのんびりと発言する。フォレスト、プリムローズ、マーサの3人がはっとしてティムを見る。愛好家倶楽部の件はすっかり忘れていたのだ。
「何ですか?その倶楽部っていうのは」
隣の席から質問が来る。
「お城にはプリムちゃんのファンクラブがあるんだってぇー」
プリムローズは、お城の末姫だということを特に隠してはいない。公表もしていないので、知らない人が殆どなのだが。
「へえ!お弟子さん凄いねえ。お城にファンクラブがあるのかい」
「お貴族様だろうとは思ってたけど、お城にファンクラブがあるとはねえ」
「城下町に住んでるメンバーもいますよ」
「知らなかったなあ。あんた、知ってた?」
「知らねぇな」
「あたしも知らん」
「知らないよねー」
両隣のテーブルにいた人達は、誰も愛好家倶楽部の存在を知らなかった。
「フォレストさんの取り巻き連中が堂々とお弟子さんの悪口言ってる時には、庇う人がいるけどね」
「ファンクラブは聞かないよね」
「お世話になった人はお弟子ちゃんを褒めてるけど、団体って感じじゃないよね」
「悪口は取り締まるように申請致します」
「マーサ、やめた方がいいよー」
「なぜですか?不敬罪ですよ?国によってはその場で切り捨て御免です」
「怖いなぁ」
ティムはへらへら笑う。エイプリルヒルは長閑な国である。王族の悪口程度、自由に言える善政が敷かれている。
「王族への悪口なんて、ある程度放っておくほうがいいんじゃないのぉ?無理に抑えようとすると、叛乱とか起きちゃうかもよー」
「そもそも、リムは大魔法使いだからな。法的には王族籍から離れてるだろ」
魔法使いに国籍はない。だから、王族籍もなくなる。そうなると、エイプリルヒルでも取り締まられるほどの危害を加えられても、加害者に不敬罪は適用されない。
「あ、それはお誕生日に離れることになってるの」
「姫様が大魔法使いの認可を受けたことは公表されていないんですよ」
「え、それ、どっちも国際魔法法違反じゃないのぉ?」
魔法使いが国から利用されないように、認可を受けるのだ。認可を受けた瞬間に、魔法使いたちは国際魔法法の適用内に保護される。そのため、魔法使い認定試験を行った国は、魔法使いが新たに認可されたら速やかに公表することが義務付けられている。
同時に、魔法使いは、あらゆる国籍が取得できないことになる。つまり、王族籍からも除籍される。
「多少手続きが遅れるくらいは黙認されるんじゃない?」
「まあ、確かに。魔法使いに危険や大きな不利益がなければな」
「お誕生日パーティーが終われば婚約者も正式に決まるし、外国にお嫁に行かなくても良くなるわ。外国籍にも入らないってことでしょ。そしたら完全な除籍が出来るのよ」
「え、プリムちゃん?ちょっと待ってー!」
ティムがガタンと椅子を鳴らして声を上げる。
「どうしたの?ティム」
「レシィとの婚約が延ばされてるのって、お見合いパーティーするからなの?」
「ティモシーさん、そんな言い方はお品がありません」
マーサが注意するが、ティムはお構いなしに続ける。
「お誕生日のパーティーで、外国の王子様に会って婚約者を決めるってことだよねえ?」
「元々はそうだけど、レシィがいるから、形だけよ。お国の体面があるのですって」
「形式だけならわかるよ?でも、除籍手続きが済んでないってさぁー」
ティムは明らかに動揺している。両隣のテーブルは、プリムローズがお城の姫様だったことを知ったショックで沈黙に支配されていた。
「ねえ、大魔法使いが婚姻外交に利用されるとかぁ、あり得ないんだけど?」
ティムの笑顔に迫力が出る。マーサは驚いてティムの顔を眺めた。
「エイプリルヒルの魔法省は何やってんのー?下手するとさあ、エイプリルヒルは危険国認定だよ?魔法使い全員退去措置とられちゃうよー」
「ええっ?」
プリムローズが青くなる。
「いや、ちょっと待つのはティムだ」
フォレストが太い銀色の眉を怒らせて指摘する。
「エイプリルヒル王家は、世界でも稀に見る魔法使いと交流がある一族だろ」
「それだからって、魔法使いを政治に利用していいことにはならないよー!」
「お互いに多少の融通を効かせたっていいだろ」
「多少って」
「ティム、大丈夫よ!形だけなんだし」
プリムローズはティムを宥めようとする。マーサはぐびりと酒を呑むと、ティムに身体ごと向き直る。
「ティモシーさん」
「はい」
「心配し過ぎです」
「でもさあ」
「エイプリルヒル王家は魔法使いと仲がいいので大丈夫ですよ」
「うーん、レシィとの婚約を発表するのはなんでダメなの?」
「遠方から既に到着なさっておられる方々もおありなんです。急にもういいですってわけにも」
「プリムちゃんの王族籍を抹消しないのはどういう意図?パーティーは婚約発表会に変更すればいいでしょ」
ティムの指摘はもっともだ。
「お互いの体面を保つだけなら、プリムちゃんの大魔法使いとしての権利を侵害する必要ないよね?」
マーサの顔が強張る。
「リスクが大きすぎない?国際魔法省連盟から危険国認定されたらー、エイプリルヒル王国の立場が相当悪くなるよねぇ」
「そうだな」
フォレストは目を吊り上げて不機嫌に唸る。
「リムはどうしたい?」
「お国に迷惑はかけたくないけど」
プリムローズは細い金色の眉を寄せる。
「確かにおかしいわね。そのお陰でお祭りのお小遣い貰えたんだけども」
「え、除籍するとき支度金出るでしょ」
ティムは世事に長けているようだ。遍歴修行をしてきただけあって、こうしたまやかしには敏感なのだった。
「除籍したら護衛もつかなくなるじゃありませんか」
「プリムちゃんとレシィが揃ったらー、国が幾つも落とせるけど?あとたまに僕もいるしー」
「私も姫様のお世話ができなくなります」
「それは寂しいわねぇ」
「そこは仕方ないでしょー」
「お城に住めなくなりますよ」
「どのみち、お誕生日が来たら婚約先の外国に行く予定だったのよ」
「エイプリルヒルにいる間は、お城で暮らせるじゃありませんか」
「お父様がたと離れるのは寂しいけど」
プリムローズは細かいことを考えて魔法使いの道を選んだわけではなかった。
「でも、後悔はしてないわ」
フォレストはプリムローズの肩を抱く。
「ちょっぴり親不孝なんですもの、お国の体面を守るお手伝いくらい致します」
フォレストは眼を細めて、恋人の巻き毛に口付けを落とす。
「ふぅーん?」
「チッ、リムが良いって言ってんだから、ほっとけ」
「そうですよ、ティモシーさん。それより紫頭です。野放しにして良いんですか?」
「そうだねえ。はっきりそいつが植物園を荒らしてるとは解ってないからねえー」
「桜草愛好家倶楽部との関連も気になります」
ティムは一旦、魔法使いの権利のことは考えるのをやめた。当人が納得しているのだし、義務と言っても所詮は魔法使いの定めた決まりごとだ。そもそも、国際魔法法は、魔法使いが気ままに暮らせるようにする為の法律だ。本人が良ければ、それで良いのである。
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続きます




