45、姫と魔法使いは大衆食堂で噂を聞く
プリムローズたちから少し離れたテーブルで呑んでいた青年に、合席となった新しい客が話しかけている。青年は飴細工屋台を開いていた人で、相客は恰幅の良いおじさんと丸い体型のおばさんだ。
「はは、なんとかなりましたっす」
「そうかい?魔法使いも酷い奴がいるねえ」
「苔桃谷の魔女といい、変な色の髪した奴は信用ならねえ」
「けどあいつ、お城務めらしいっすよ」
「本当かい?」
「あんな紫色の頭した奴がかい?」
中年夫婦が疑わしそうな声を出す。
「そっす。役人が謝罪させに連れて来た時に名乗ってたっす」
「謝るだけじゃねえ」
「火事になったかもしれないってのに」
「お城務めが聞いて呆れるよ」
「本当だよ」
魔法で暴れた飴細工の生き物たちは、火を使う屋台の火種をひっくり返したのだ。フォレストとプリムローズが消し止めなければ、始源祭会場のあちこちで火の手が上がっていただろう。
「そこは明日、フォレストさんにお礼しに行くっす」
「あっちにいるみたいだよ?」
「今は邪魔したくないんすよ」
「そうかい、まあ、そうだよな」
飴細工屋は気の小さい男のようだ。プリムローズは金色の細眉をひそめて、フォレストの腕にそっと指先を触れる。
「ねえ、今の聞こえた?あの紫の人、お城の魔法使いですって?お見かけしたことないわ」
「紫頭?それ、桜草愛好家倶楽部のロックじゃないですか?」
マーサが険しい顔をする。
「ん?誰それ?桜草愛好家倶楽部ってなあに?」
「わたくしも知らないわ」
ティムは質問しながら、呑気にマーサの茹で豆に手を伸ばす。マーサは快く豆の皿をティムの方へと押しやる。
「エイプリルヒル王城には、姫様のファンクラブがあるんです」
「チッ、過激な連中なんだ」
「フォレストさんと姫様が婚約予定なのが気に入らないんですって」
マーサはピクルスの残りを勢いよく齧って咳き込む。ティムは背中をさすって良いものか迷う。伸ばしかけた手が空中で止まった。プリムローズに求婚用の髪飾りを、うっかり挿してしまった時の失敗を思い出したのだ。
「ええー、余計なお世話だねぇ?」
「その通りですよ」
「2人見てたら、幸せな気持ちになるよぉー?」
「姫様のお決めになったことですのに」
桜草愛好家倶楽部に敵認定されている銀色の大魔法使いは、全身で不快感を表す。最近フォレストは嫌がらせに遭っていた。
魔法省の事務所で長時間待たされたり、悪質な悪戯をしたストーンを連行した時にお茶が出なかったり。フォレストが暴力的だとか、放蕩者だとかいう根も葉もない噂を流されたりもした。
噂は、城の出入りの商人たちを通じて広められる。桜草愛好家倶楽部には、城下町から通いで勤めている下働きの者もいる。お陰で、フォレストを良く思っている人々からプリムローズは評判が悪い。直接関わった刺繍職人のジルーシャや人形作りのボブなどは別だが。
末姫様を応援する筈のファンクラブなのに、まるっきり逆効果である。
「流石に足をかけたり物を投げたりはねぇけどな」
「レシィにそんなことしても無意味だねー」
「連中もそれくらいは分かるみてぇだぜ」
「私を口実にしてレシィに嫌がらせをするなんて、酷すぎるわ」
プリムローズは当事者なのに、愛好家倶楽部の存在を知らないようだ。
「そんなことをしているくせに、姫様の桜草紋に因んで、桜草愛好家倶楽部というんですよ」
「へえー、プリムちゃん人気者だねえ。可愛いもんね。町にもあったら僕も入っちゃうなあ」
「陰ながら応援するだけなら良いんですけどね」
「レシィを悪く言うなんて、許せないわ」
プリムローズはお冠である。
「プリムちゃんがやめてって言ったら?」
「余計過激になりそうですよ」
「えー、何それ?もう処罰しちゃえばぁー?」
「ティム、時々強いな」
「それか、お城の仕事やめちゃいなよ、レシィ」
「そうは言ってもなあ」
「悪いのは桜草愛好家倶楽部だけですからね」
プリムローズはため息をつく。フォレストはいらいらと舌打ちをする。
「普通のファンはやめていって、今は殆ど過激派しか残っていないのかもしれません」
マーサは腹に据えかねるという様子で大きなジョッキでエールを煽る。
「あ、マーサ、そんな一気に呑んで大丈夫ー?」
ティムが焦る。
「ティモシーさんの仰る通り、処罰でも粛清でも出来たらいいのに!」
マーサはごくごく呑む合間に息巻く。
「会長に会ってみたらどうかなあー?」
「誰が誰と会うんですか?会長と姫様を会わせるとか言い出すんじゃあないでしょうね?そんな過激な団体の親玉と、姫様を、会わせるなんて!」
マーサの剣幕にティムがたじろぐ。マーサはまたぐびっと煽る。ティムは半笑いでちびちび呑む。
「レシィとプリムちゃん2人でさあ?あと、王様にも同席して貰ったらいいんじゃないかな?」
マーサがダーン!と音を立ててジョッキを置いた。
「ティモシーしゃんっ!流石れす!冴えてるッ」
「え、マーサ、大丈夫?」
先程まで淡々と呑んでいたマーサが、いきなり怪しい呂律で管を巻き出した。やはり頭に血が昇ってペースを上げたのが良くなかったらしい。
「お水ひとつくださーい」
「はーい」
ティムは心配そうにマーサを見る。
「酔ってましぇんよッ!奴らに鉄槌をくだすまれは、酔っぱらってなんか、いらえましぇんッ」
「や、落ち着いて、マーサ、ね?プリムちゃん、王様にも相談してみたら?そしたらマーサも安心でしょ?」
「ロック!あの紫ピアスめぇー!」
「そういえばあのひと、顔中に金属や色石つけてたわね」
「チッ、悪趣味だな」
ティムはふと泡酒を呑む手を止める。
「あれ?会ったのー?紫髪君と」
「ティム、飴屋の騒動見てなかったのか?」
「何かあったのー?桜草愛好家倶楽部と関係ある?」
「あ、いや、昼間祭りでちょっとした騒動があってよ、犯人がその紫頭だったんだ」
「わたくしたちで捕まえたのよ」
「姫様っ!流石れす!レシィさんも!流石姫しゃまのおししょしゃまー」
プリムローズは顎を反らし、フォレストは軽く金の巻き毛を撫でる。マーサはちょっとご機嫌になり、エールのおかわりを頼んでティムを困らせている。銀波魚の唐揚げも追加した。到着した水は美味しそうに飲み干すと、足取りはしっかりとして席を立つ。
「ちょっと席を外しましゅねぇー」
「マーサ、途中までついてく?」
「ティモシーさん!デリカシー!アウッ!メッ!」
「ええぇ」
「だめれすよー、れでぇに着いてまわっちゃあぁ」
「ああもう、心配だなぁー」
「へへー」
マーサはにこにこしながらテーブルを縫って行く。プリムローズが手柄を立てたので嬉しいのだ。
「あんなにこにこ可愛い顔して、変な人に声かけられないかなぁー」
「マーサは普通の女性ですものね。ちょっと心配ね」
何かがあっても、マーサには抵抗する手段がない。武芸の心得もなければ魔法使いでもないのだ。護身術すら知らない、普通の貴族令嬢である。
フォレストは、星乙女炭酸水が入ったジョッキの取手から指先を少しだけ浮かす。不機嫌そうに眉を寄せたまま、大魔法使いは何か早口で呟く。
「安全の魔法ね?レシィありがとう」
「流石だなぁ」
「ティムの祝福で十分だけどな」
夕方にティムとマーサが交換した「星乙女の祝福」のことである。魔法使いによる真心からの祝福だ。しかもティムの実力だと、効果は永続である。この先一生、マーサには幸運が続く。
「でも心配だよー」
「チッ、仕方ねえな」
フォレストも、好きな子が心配な気持ちはよくわかる。友達が安心してくれるなら、ちょっとした魔法くらいお安い御用だ。
一息ついて、ティムは話題を戻す。
「それでプリムちゃん、大丈夫だったのー?そのロックって言う人。レシィも何もされなかったぁ?その人、魔法使いなんでしょうー?」
「俺たちは特に」
「屋台を荒らしたのよ。面白いからですって」
「んんー?レシィとプリムちゃんが一緒にいたのに、それだけぇ?会ったのに?何にも言われなかったぁ?」
ティムは首を捻る。
「ファンなんでしょう?その人、プリムちゃんのー」
「マーサの記憶が確かなら、そうみたいね」
「変じゃなぁい?話をしたがったり、会えて嬉しそうだったり、逆にプリムちゃんを攻撃してきたり、そういうの、全然なかったのー?」
「確かに妙だな」
フォレストは眉間に皺を寄せる。
「でしょー?桜草愛好家倶楽部って、何がしたいんだろうねぇー」
「ティムの言う通り、直接会長から話を聞くのもいいかもな」
「嘘つくかもしれないけどぉ、一度会ってみるのはいいと思うんだよねぇ」
「昼間の飴屋で起きた騒ぎの話かい」
「植物園にも、紫色の鼠が出たらしいぜ」
隣のテーブルから、職人風のおじさんが話しかけてきた。
「植物園にー?今日?」
「いや、少し前だ」
「その話知ってるよ。友達が植物園で働いててさ」
そのテーブルから、別の人も会話に加わる。
「何があったの?走り回っただけじゃあないんでしょう?」
「そうなんだよ」
隣の人は身を乗り出す。
「そいつが出た後は、何かしら植物がおかしくなるんだ。紫の鼠は、けっこう前からちょろちょろしだしたんだって。」
「通報した?」
「たぶんしてないよ。怪しんではいるんだろうけど、証拠もないし」
「今日の騒ぎが起こるまで、魔法使いだなんて分かんなかっただろうしなぁ」
フォレストは興味を示して眼光を鋭くする。
「植物がおかしくなるって、どんな風になるんだ?」
「私は聞いただけなんだけどさ、どぎつい色になって枯れたり、御伽噺の魔物みたいな形に捩れたり、ドクロみたいな模様が浮き出したり、普通の病気じゃ見たことがない症状を引き起こすらしいよ」
「まあ、植物がかわいそうね」
「酷いことするもんだねぇー」
「チッ、ろくでもねぇな」
そこへ、反対側の隣りからも証言が寄せられる。
「植物園なら、昨日から大騒ぎだよ」
「また紫の鼠?」
「そうらしい。紫色の鼠が出たあとで、蓮池の葉っぱが一斉にチカチカし始めたんだ」
「チカチカするって?」
「点滅してんだ」
隣の人は、実際に見たらしい。プリムローズはデザートのシャーベットを掬いながら熱心に聞いている。マーサも戻ってきた。
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