38、始源祭
ペパミントグリーンとグレーのストライプに菫の並んだお散歩ドレスを着た姫が、お祭り屋台の間を歩く。菫色のボンネットが軽やかに揺れ、灰色の靴が城下町の敷石を踏む。昼から始まる物売り屋台はどれも、星乙女が織り出された小さな旗を掛けている。
フォレストはいつもの質素なチュニックに膨らんだズボンを身につけている。その上に羽織った豪奢な銀刺繍のマントを翻し、渦巻く髪を金色に輝かせる姫の手を引く。
少女らしい菫色のボンネットから流れ落ちる金の滝は、歩くたびにさやさやと軽快な音を立てる。肩や指先に触れる巻き毛の感触を楽しみながら、フォレストは高鳴る胸を抑えることなどできない。絡めた指と指から伝わってくる体温は、愛しさに溢れていた。
「ティムの屋台はどこかしら」
「星乙女人形を売る屋台の隣だから、広場の真ん中だろ」
星乙女人形は、始源祭の目玉商品である。観光客のお土産にもなり、マーサのようなコレクターの目当てともなる。恋する2人は共にいる幸せを噛み締めながら、道沿いにぎっしりと並ぶ屋台を楽しむ。
「まあ、これは何?」
「振ってご覧なさい」
見慣れない植物の皮らしきもので編まれた球は、プリムローズの掌で包めるほどの大きさだ。鮮やかな青と白で塗り分けられた球を振ると、涼しい音が聞こえてくる。
「鈴が入っているのね」
「いい音でしょう?」
「ふふ、可愛らしいのね」
「子供やお嬢さん方が投げて遊ぶんですよ」
「まあ、投げるの」
プリムローズは耳の横に球を持っていき、ふるふると揺すった。フォレストは、球を鳴らすプリムローズのほうが鈴の音より可愛らしいと思った。
2人は視線を交わしながら、物売り屋台を覗いて歩く。時折、プリムローズは抱き込まれるようにしてつむじに接吻を受けた。
「レシィ!はしたないわ」
「祭りだろ?見てみろよ」
言われて見回せば、確かに年若い恋人たちはあちこちでスキンシップを繰り広げている。特に髪への口付けは頻繁に行われていた。座っているカップルは、女性から男性への場合もある。或いは幼い子供が、抱っこしてくれている祖父の頭にキスをする。普段の街角では見られない光景だ。
「星乙女の祝福だぜ」
「まあ、ロマンチックね」
「今年一年の幸せを願うのさ」
「わたくし、届かないわ」
プリムローズは不満そうに大男を見上げる。
「リム、可愛い」
フォレストはボソッと呟き、素早く膝を折り身を低くした。次の瞬間、プリムローズは唇に温もりを得る。耳まで色づきながら、姫は急いでフォレストの銀髪に星乙女の祝福を降らせた。
(わたくし、レシィの髪すきだわ)
うっとり余韻に浸る姫の巻き毛には、また口付けが落とされた。
「よう、フォレスト!お弟子さんは順調かい」
「ああ、お陰さんでな」
「フォレストさん、見てってよ。安くしとくよ」
「悪ぃ、籠はいらねぇなあ」
「屋台が傾いて戻らないんだけど、見てくれよ」
「チッ、透け鼠かよ」
相変わらずフォレストは、街のあちこちから声をかけられる。プリムローズはまだ名前を覚えられていなかった。フォレストのお弟子さんと呼ばれている。普段から所構わずベタベタしている為、恋人だとは知られている。
(本当に人気者ね。でも渡さないんだから)
プリムローズは、まだ見ぬ恋敵に対抗心を燃やす。姫の想定では、フォレストはモテモテで油断ならないほどいい男なのである。城下町の現実とはかけ離れた認識なのだが。
「これは笛なのね?」
カラフルに彩色された土の笛は、小鳥の形をしている。売り子が良い音で吹き鳴らす。寄ってきた子供が試し吹きさせて貰うと、弱々しい音になる。
「もう少し強く吹いてごらん」
「ふーっひゅーっ」
子供は何度か鳴らしてみて、最後に大きな音を出す。売り子ほどではないがまあまあ良い音が出て、満足して買ってゆく。
「ぴーっぷーっふょーっ」
3人組の男の子が頼りない音を出しては大笑いしている。美しい音を響かせる若い娘さんが、背の高い若者に褒められている。
「小鳥の笛は人気ね」
「そうだな」
その向かい側では、貝の内側に星乙女が描かれたものが売られていた。
「これはお皿かしら?」
「飾り物だよ」
店番の親爺がチラリと睨んで答える。
「少しずつ違うのね」
「そりゃそうさ、本物の貝殻にひとつひとつ手描きしてるんだからな」
親爺の見せる敵意に、フォレストが不機嫌な表情を作る。
「おじさんが描いたの?」
「はぁ?おじさんて」
「リム」
フォレストは優しく手を引いて、威張り屋の親爺から離れる。
(こんな愛らしいリムを虐めるなんて信じられねぇな)
フォレストはすっかり忘れていたが、プリムローズは豪華なドレスを身につけている。この国の姫だと気づかれなかったとしても、貴族の娘だとは思われるだろう。国民の中には貴族が嫌いな者もいるのだ。
「ジルーシャさんだわ」
「見てくか」
星乙女人形のマントに刺繍を入れたジルーシャは、刺繍屋台を出していた。ハンカチ、小箱、手鏡、帽子、日傘に靴など、さまざまな品物を並べている。
「まあ、どれも素敵ね」
「ゆっくり見てっとくれ」
「これ全部、お祭りのために?」
「あー、今年は全部在庫からだよ」
「星乙女人形のマントが間に合っただけでも、たいしたもんだ」
「相談屋の坊のお陰で、マントを縫い直さなくてもよくなったからねえ。」
ジルーシャはしみじみと言う。
「本当に助かったよ」
フォレストは鼻の辺りを赤くしてわざとらしく遠くを見た。
(ふふっ、照れたレシィ可愛い)
プリムローズは、大判ノートを手に取った。クリーム色のシルクを被せた表紙には若草色の鳩が一羽、大きく羽を広げていた。躍動的なその姿にプリムローズはすっかり感心してしまう。
フォレストが頬を緩めて財布を取り出す。と、その時。離れた場所で騒ぎが起こった。子供が泣き出し、女性が悲鳴をあげる。男性が叫ぶ。
「チッなんだ?」
「何か飛んでるわね?」
叫び声が聞こえてくる方向には、色鮮やかな何かがふわふわと漂っている。春風に甘い香りが混ざって流れてきた。
「飴?」
「飴みたいな匂いだな」
プリムローズは、刺繍ノートを置いて騒ぎの方へ歩き出す。
「行ってみましょう」
「そうだな」
魔法がらみのトラブルが予想されるのだ。どのみち万魔法相談所が頼られる。2人は呼ばれる前に出向く。人混みを魔法ですり抜けながら騒ぎの中心へと向かう。
「やっぱり飴だったわね」
「チッ」
食べられる色素でとりどりに彩色された鷹や虎が、素早く宙を動き回っている。飴細工の動物たちは、せいぜい大人の人差し指ほどしかない。足や羽は硬く止まったままだ。鳴き声はなく静かだ。時折、周囲の食べ物屋台を襲撃する。単独の場合もあれば、集団の場合もある。
「壊さないでくれー」
飴屋の兄さんが半泣きで叫ぶ。食材を散らかされた焼き物屋や汁物屋が調理器具を振り回す。エイプリルヒル王国の飴細工は、工程が複雑で着色には特殊な環境が必要だった。悪戯三昧とはいえ、細工品を叩き割られてしまったら、飴屋の兄さんは大赤字である。
「じゃあ弁償してくれんのか!」
具材の器を地面に落とされてしまった、揚げ物屋台のおじさんが怒鳴る。
「酷いじゃないか!」
炭火にぶつかられて、あわや火事になりかけた串焼き屋台のおばさんが憤る。
「俺なんにもしてねぇよー」
情けない声を出すのは、飴屋の兄さん。
「チッ、またお前かよ」
フォレストは野次馬の中にいた真っ赤なローブの腕を掴む。苔桃谷の魔女ストーンである。ストーンはかじりかけの野菜スティックを片手にぽかんと口を開けた。
「は?え?なに?」
「さっさと元に戻せ」
「はあー?」
「なんだ、違うのか?」
「違うね!」
「悪ぃ」
「ほんっとにいけ好かない奴!」
「悪かったよ」
冤罪であった。プリムローズは落ち着いて質問する。
「ストーンさん、怪しい人は見なかった?」
「知らないよ」
「飴屋さんは?」
「解らない。急に動き出したんだ」
「チッ、仕方ねぇな」
フォレストは指を少し振って、何事か呟く。たちまち祭り屋台はすべて元通りになった。
「まだ引っ張ってやがる」
フォレストは菫色の瞳に怒りを漲らせて、ぐるりと祭りの会場を睨め回す。眼差しには魔法を乗せている。悪戯魔法の跡を辿っているのだ。
「あー、面倒臭え」
フォレストは激しく舌打ちしながら、濃紺のブーツもどかどか鳴らして屋台の間を縫ってゆく。プリムローズは小走りについて行った。ストーンは忌々しそうに鼻を鳴らす。
「フンッ、なんだい馬鹿馬鹿しい」
屋台の人々は、犯人を見つけたらしいフォレストに後を任せることにした。祭りは何事もなかったかのように、元の愉しげな賑わいを取り戻す。
フォレストは道端で銀色の大猫に姿を変えた。プリムローズもマーマレード色の猫に変わる。視線の先には、紫色の鼠が走ってゆく。屋台と屋台の間にある僅かな隙間を駆け抜け、路地に入る。ちょろちょろと走り回り、石壁や窓枠を登る。
フォレストはしなやかに跳躍し、力強い腕の一振りで紫色の鼠を叩き落とす。
「ギャッ」
待ち構えていたプリムローズが両手で背中を押さえつけた。
「観念なさいましッ!」
フォレストも飛び降りてきて、鼠の変身を無理矢理に解く。人に戻った姫の輝く巻き毛に、派手な紫髪の少年が見惚れた。少年は耳や眉や鼻に金属だの宝石だのをつけており、吊り目の奥には反抗的な灰色の目が燻っていた。
「チッ、祭りだってのに」
フォレストとプリムローズは紫髪の少年を引っ立てて、王城の魔法使い控え室こと取り調べ室に行く。しばらくして魔法省の役人が来た。担当官は魔法使いで、幸いフォレストへの偏見は無かった。
「ご協力ありがとうございます」
「じゃ、頼んだ」
「ねえ、なんであんなことしたの?」
フォレストがさっさと始源祭見物に戻ろうとすると、プリムローズが好奇心を覗かせた。
「面白いから」
「面白くないわよ!」
「リム、担当官に任せて行くぞ」
万魔法相談所の業務は、身の上相談ではない。思春期の反抗心に寄り添う仕事とは違う。
「え、そう?」
「こういうガキは相手にしてたらきりがねぇよ」
そういうフォレストも16歳である。
「はんっ」
紫髪は下唇を突き出してソッポを向く。フォレストは舌打ちとともにひと睨みをくれると、プリムローズの手を取って始源祭の会場へと戻る。
お読みくださりありがとうございます
続きます




