36、フォレスト少年は魔法使いになる
月光の降り注ぐ森の底でしばらく待っていると、茶色い髪の少年が身体全体に黄色い蛇を巻き付けて戻ってきた。蛇は大人の男の太腿くらいの太さがあった。それを何重にも身体に巻き付けて、腕にまで巻いてやってきたのだ。
フォレスト少年は口をぎゅっと結んで目が離せない。
「ただいまー」
呑気な声に少しだけ安心したフォレストは、ふうっと息を吐き出すと質問した。まだ目つきは険しい。
「それがスパイクミズチ?」
「うん、そうだよー。美味しいんだよぅ」
蛇を巻き付けた少年はにこにこ笑う。蛇の黄色が青い月の光で不穏な色合いに見える。少年の髪と目も月の光に包まれて、どこか死を思わせるものになっていた。
「じゃあ、いこうか」
「うん」
フォレスト少年は、眉間に皺を残したままでついてゆく。好奇心が勝ったのだ。
森を抜けると、草原地帯に出た。森の縁にほど近く町が見える。海はまだ見えない。
「あの町に住んでるんだぁー」
茶色い髪の少年は、大蛇でぐるぐる巻きになりながら、スイスイ草原地帯を進む。
「それ、どうやって歩いてんだ?」
フォレストの目には、足もぐるぐる巻きで動けないように映っていたのである。
「この大鎌は魔法の月の下では、飛ぶことができるんだよ」
「へぇー」
「君も掴まりなよ。その方が楽だよ?」
フォレストは、もっと早く言ってくれればいいのに、と思う。茶色い髪の少年は、にこにこ笑っている。
「ところで君、名前なんていうの?僕、ティムだけど」
フォレストが大鎌の先に掴まると、ティムが人懐っこい笑顔で名前を聞いてきた。
「レシィ」
フォレストはぶっきらぼうに答える。
「レシィかぁ。よろしくね」
「うん」
フォレスト少年は、眉間の皺をそのままにして頷く。
月の光が波打つ草原地帯には、フォレストが見たことのない生き物たちが集っていた。青みがかった桃色の靄には、つぶらな瞳が金色にふたつ。ゆっくりと漂うまんまるで赤い毛玉には、よく動く小枝のような脚が何本もある。その幾つかの先端には、目玉がついている。
紫色の胡麻のような群れもいる。その群れは、青白く染まった草の陰から前触れもなく飛び出す。
「わっ」
「大丈夫だよー。ここの生き物には毒がないからね」
紫色の胡麻はまた、一団となって草の中へと潜ってゆく。フォレストは大鎌の柄を握る手に力を込めた。
「ほら、もう町だよ」
町は舗装のない道から始まって、次第に砂利道を挟んだ家並みとなる。
「ただいまー」
ティム少年は、蛇とフォレストをくっつけたまま、木造家屋の窓から飛び込む。
「えっ、どうしたの、その子?」
「誰だ?」
中にいた大人の男女が険しい顔で咎める。
「森にいたの。なんとか村のレシィ」
「ベルフルームのレシィ。よろしく」
フォレストがぞんざいな挨拶をする。大人たちは不審の目を向けている。
「母さん、早くお刺身にしてよー」
「その子どうすんの」
「親御さんが心配するだろう」
大人の意見に、ティムは不服そうに眉を下げる。
「えー?レシィ、おやつに帰らないといけない?」
「いつも夕飯まで遊んでる」
フォレスト少年は、いつも一日中1人で過ごしていた。そうでなくともベルフルームの子供たちは、一日外で遊ぶ。お昼やおやつは自力で調達するほどに逞しい。子供が行かれる範囲に猛獣が出ないので、大人たちも安心していた。
「ベルフルームの子供はみんなそうだ」
「ブルーウィードの町でも、狩に出る日の他はだいたい同じだねー」
「ブルーウィードってここ?」
「うん」
「お友達は」
「はぐれたのか」
大人たちはまだ警戒を緩めない。
「森を探検してたら、ティムに会った」
「ねえ、早くしないと不味くなっちゃう」
ティムは大蛇を身体から解く。解いた側からぐるぐると綱のように重ねてゆく。
「仕方ないねえ」
ティムの母親が大鎌を受け取って、とぐろを巻いたスパイクミズチの死体に触れた。そのまま大鎌で奥の部屋まで押してゆく。
「ドライウッズ王国から人が来るのは初めてだ」
「父さん、レシィの村、ベルフルームだよ。ドライウッズオウコクじゃないよー」
「ティム、ブルーウィードは月の国にあるだろ?」
「うん」
「それとおんなじだ」
「あ、そっかぁ」
ティムの父親は壁際から陶器の水差しを持ってきた。
「ほれ」
差し出された素焼きのコップには、冷たい水が入っている。フォレストは俄に喉の渇きに気づく。
「わあ、ありがとう!」
フォレストが破顔した。子供らしい笑顔に、ティムの父親もやっと安心したのか、頬を緩めた。
それから2人は良く遊ぶようになった。ブルーウィードには小柄な子供たちもいた。フォレストはベルフルームよりも楽しく過ごすことができた。
「レシィのご家族には月の国出身者がいるのかい」
ある日、ティムの父親が聞いてきた。
「いない」
「それじゃどこで月の国の言葉、それもブルーウィードなまりなんか覚えたんだい」
「え?」
フォレストはきょとんとした。
「ブルーウィードは古代精霊語も混ざってるから、土地のもん以外上手に話せない筈なんだがなあ」
「コダイセイレ?なに?」
ティムまでがキョトンとした。
「うーん、そうだな。この町の言葉は、月の国の者でも難しいんだよ」
「わあっ、僕たちすごいねっ、レシィ!」
ティムが空色の瞳を輝かせると、フォレストもニコリと笑って頷く。ティムの父親は笑ってティムの頭を撫でる。
「ティムはこの町の子だろう」
「僕、すごくないの?」
「そうじゃないけど、生まれた時から知ってるのと、後から知るのじゃちょっと難しさがちがうんだ」
「ふーん?」
ティムは面白くなさそうに口を尖らせる。ティムの父親は、息子の頭をくしゃっとしてからフォレストに向き直る。
「旅人にでも会ったのかい」
「ベルフルームと一緒の言葉だよ?」
「えっ?」
ティムの父親が目を見張る。
「そんな小さいのに、言葉の魔法使いなのか!レシィは凄いぞ!ティム、お前の友達は大したもんだよ」
「俺、魔法使いじゃないよ?」
「レシィ、聞いた言葉を自然に話せる方法を習ったんじゃないかい?」
フォレスト少年は銀色の頭を横に振る。
「こりゃたまげた。魔法使いっていうやつは、勝手にできるようになるんだなあ」
ティムの父親は魔法使い実在派だが、本物の魔法使いに会うのは初めてだった。月の国にも魔法使いが少しはいたが、国外れの町ブルーウィードでは見たことがない。だから、魔法使いは存在しない派も多い。実在派でも魔法使いが徒弟制だという事実は知らない。普通は習わないと魔法を覚えないのも知らなかった。
「レシィ、魔法使いなのっ?」
ティムの顔がぱあっと輝く。
「え、違う」
「分かってないのか。レシィ、君はいま、言葉の魔法を使ってるんだよ」
「え?」
「普通の人は、知らない言葉を話すことは出来ないんだ」
「でも、ベルフルームと同じ言葉だよ」
「よし、ベルフルームに行ってみよう。そしたら分かる」
ティムの父親は行動的だった。住居の一階にある日用品の店は母親に任せて、少年ふたりを引き連れて隣国へと向かう。
ティムが操る魔法の大鎌は、道具に魔法が込められているタイプだ。起動に魔法はいらない。魔法使い以外でも使える。ティムの父親には全く魔法の才能がなかったが、のちの魔法使い2人と一緒に大鎌に掴まってフォレストの村まで旅をした。
「きゃーっ」
「うわぁーっ」
大鎌に掴まり飛んで来たのだ。村人たちは仰天する。
「ちょっとあんた、何事なの!」
騒ぎに駆けつけたフォレストの母親が金切り声を上げた。
「ティム、言葉分かるかい?」
「わかんない」
「な?」
地上に降りたティム親子は、フォレストの母親に挨拶をする。フォレストが状況を説明すると、村長さんに相談することになった。村長さんは領主様に知らせて、知り合いの魔法使いを師匠として紹介してもらう運びとなった。流石に領主様は、魔法使いが徒弟制だということを知っていたのである。
その時紹介されたのが、ストロウ師だ。ストロウ師匠は旅の途中でふらりと寄っては、フォレストに魔法や外国のことを教えてくれた。その中に、『星乙女の春の国』という御伽噺もあった。そのモデルとなる国が実在すると知り、フォレストとティムは、いつか一緒に行くことを約束したのだった。
フォレストはいつのまにやら大男に成長した。不機嫌は変わらず、村の仲間とはあまり仲良くできないままだ。
ある日、妹に文句を言われた。ベルフルームでは、村祭りの時にカップルイベントがある。パートナーとダンスをしたり、ペア競技をしたりと盛り上がる。
「お兄ちゃんが魔法使いなんかになるから!男の子が怖がって彼氏がぜんぜん出来ないよっ!このままじゃ、お祭りで独りになっちゃう」
しかし、父親は淡々と指摘する。
「いや、お兄ちゃんは魔法をたくさん使えない頃から怖がられてたぞ」
フォレストが思い切り口を曲げると、母親が笑い出す。
「何言ってんの、さ、お夕飯だよ。食べよ、食べよ」
村人たちは、体も大きくなったフォレストと直接向き合えなくなった。その結果、家族が嫌がらせを受けることもある。フォレストの才能が開花して領主様の仕事を請け負うようになり、更に状況は悪化した。領主様のライバル貴族や、貴重な魔法使いを利用するべく狙う王様、そして外国のスパイまでが小さな村にやってきた。
「師匠、国に逆らったら家族が危ない。どうしたらいい?」
事態を重くみたストロウ師匠は、フォレストに提案した。
「レシィ、早く認定受けろ」
「受けたら安全になるのかよ?」
「自分が犯罪者にされちまったら、家族を助けられないだろ」
ストロウ師匠は、まずは自分の権利を獲得して、家族を守れる地盤を作るというのだ。
「無認可の野良魔法使いだと、魔法使いの権利が認められないからな。嫌がらせや逆恨みの冤罪を受けかねない。魔法使いは、けっこう妬まれたり怖がられたりで、嫌われてるからなあ」
「わかった。受けるよ、俺」
「どこで受ける?」
「選べるの?」
「どこで受けてもいいんだぜ」
「じゃあ、アーモンドのブローチがいい」
フォレストは、ストロウ師匠が着ている立派なマントの大きな襟に光るブローチが好きだった。それは、憧れの国エイプリルヒル王国が発行する魔法使いの証だ。
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続きます




