32、魔法使いたちの散歩
途中休憩を挟みながら、3人はひたすら岩原を彷徨った。ティムには道筋が見えていたのかもしれないが。
「一旦帰ろうかぁ」
青褪めた月明かりの中で、ティムの空色の瞳が奇妙に光る。くりくりと無邪気な眼をして、人懐っこく笑う。昼の光を浴びる時には、ほんわかと親しみやすい顔立ちなのだ。しかしいま、月光の波に洗われてティムの呑気な表情が非在の様相を帯びていた。
プリムローズは身震いする。くっついて移動していたフォレストに震えと不安が伝わった。菫色の瞳が心配そうに姫を見る。
「大丈夫か?」
「ええ、待機小屋に戻りましょう」
フォレストに気遣ってもらっただけで、プリムローズは元気を取り戻す。見上げたはずみで近づいた顔に赤面するが、フォレストは軽く唇を合わせてくる。
(嬉しいけどっ、嬉しいのですけれども!)
プリムローズはフォレストのマントに潜って、顔の赤さを隠そうとする。フォレストは喜んで背中を丸く曲げ、マントの中の大事な人をぎゅうっと抱きしめる。ティムはそろそろ慣れてきて、何もなかったように振る舞った。
「まだ時間はあるし、一眠りしておこうかぁ」
「リムは部屋戻りな」
「そうさせていただくわ」
扉さえあれば、フォレストとプリムローズは好きな場所を自由に行き来できる。
「出る時には呼びに行く」
「あら、夜中は良くありませんわ」
フォレストはハッと赤くなる。
「悪ぃ、また俺」
「ふふっ、大丈夫よ。ノックして頂戴?マーサには言っておくわ」
「頼む」
「大魔法使いなのに、大変なんだねぇ?」
「うーん、急に生活を変えられないわ」
プリムローズは家族と仲が良い。お城のみんなにも可愛がられている。虹色ブローチを認められていれば、本来なら人間の決まりごとは無関係だ。そこは王族であろうと貧民であろうと同じこと。だが、愛情深い家族や気心の知れた仲間との生活は、突然切り捨てるほうが不自然だ。
「そういうの、2人似てるねぇ」
ティムはにこにこ納得したように頷く。
「いいなぁ、好きだなぁ」
言いながら、ティムは顔の脇に飛んで来た物体をこちょこちょとくすぐる。それは、三角形の板にしか見えない。臙脂色でティムの顔と同じくらいある。ティムにくすぐられると、幼い子供のような笑い声をあげた。
「本当の自由って、君らみたいなのかも知れないねぇ」
ティムは三角形の先端へ、赤ん坊のほっぺたに贈るようなキスをする。三角形はチカチカと光り、高速回転をしながら薄れて消えた。
「んー?行っちゃったかぁ」
ティムはちょっとがっかりしたように首を傾げ、それからまた2人の方を向く。
「僕は、もうちょっと受け継いだものに従っていたいけどねぇ」
ティムの目は相変わらず、月光と光珠が投げる命のない青白さに沈む。
「どう言う意味だ?」
「わたくし、王家の伝統と淑女の嗜みに従っておりますわよ?」
プリムローズが淑女の嗜みに従っているかどうかは議論の余地がある。しかし、荒れた生活を送っているわけでもない。王族として批判されずに過ごせてはいる。王城内ではファンクラブとして、桜草愛好家倶楽部などというものすら設立されている。
「んー、そういうんじゃなくってさぁ」
ティムは両腕を伸ばして振り上げる。そして振り下ろす反動で、膝を曲げる。また伸ばすと同時に前へとジャンプした。ぴしゃん、と水音がする。足元の湿った岩に少しずつ水が溜まっている。子供の爪ほどの大きさで人型をした何かが、その僅かな水の中を悠然と泳ぎ回っていた。
「君ら、自分の意思で、そうしたいから、形だけ真似てるだけだよねぇー?」
プリムローズはゾッとした。自分の家族や友人への愛情は紛い物だと言われた。今は腹が立つ。だが、時が経てば?
(真似事、ヒトモドキ。御伽噺の怪物みたいだわ)
大魔法使いは、いつか人間らしい感情を失うのだろうか。人への気遣いに見えるものが、本当は自分勝手な気紛れに過ぎない行いへと変わってしまうのか。
「それが、僕ら普通の魔法使いと、超えてしまった君たちとの違いだと思うんだよねー」
「チッ、ごちゃごちゃうるせぇよ」
「レシィ、わたくし」
緑の瞳に影がさす。フォレストは優しく巻き毛を梳きながら、顔のあちこちにキスを降らせる。
「レシィ」
「心配すんな、リムは大丈夫だ」
「レシィ、誤魔化さないで教えてあげたらぁ?」
「チッ、何を?」
フォレストが剣呑な雰囲気を出す。ティムはにこにこしながらスキップで進む。
「でもね、好きなんだぁ、そういうの。あえてそっち側には行かないんだけどねぇ」
ティムは、首に巻きつく蛍光オレンジの鎖を両手で解く。僅かな間だけ、その鎖を眺めていたが、やがてポイっと投げ捨てる。
「僕もねぇ、プリムちゃん。つい昨日まで、レシィもプリムちゃんも、踏みとどまってるんだと勘違いしてたの」
ティムは人懐っこい笑顔を見せる。
「びっくりしたけどさ、レシィが国なんかに縛られんなって言ったり、君たちが1週間で婚約しちゃったり」
「びっくりさせて悪かったかしら?」
プリムローズはおずおずと空色の瞳を見上げた。月光の雫は絶え間なくティムを打つ。
「いや、いいんだ。びっくりしたけど、好きだからね」
ティムは足元に寄ってきたヒラヒラしたものに飛び乗る。若い男が上に乗るには少々頼りなく思えるが、破れも割れもしなかった。それは、黄色とクリーム色で海藻のような質感をしていた。
「大魔法使いってさ、結局のところ、好きなように生きてるんだよねぇー」
「チッ、よせ」
ティムはヒラヒラに足をつけたまま夜空へ舞い上がり、逆さまになって降りてきた。湿り気を含んだ茶色の髪が岩原に向かって下がる。剥き出しの額には青白く月光が揺れている。
「そんなの、とっくに知ってるだろ、リムも」
フォレストが飽き飽きしたと言うように、ティムの空色を睨み付ける。
「つまりさ、理を求めるのが普通の魔法使いならぁ、自分が理になっちゃったのが大魔法使いなんだねぇー?」
「やだ、我儘ってことかしら?」
「ええ?うん、そうだね。それ以上だけどねぇ」
「それ以上?」
「チッ、もういいだろ」
フォレストは強引に話を終わらせる。
「ほらリム、寝とかねぇと」
「そうね」
「ティムは、ほんと、そういうのやめろ」
「ええー、睨まないでよねぇ、怖いなあ」
フォレストは何かの魔法を使い、一気に待機小屋まで戻ってきた。待機小屋のドアを外側から開けると、内側はプリムローズの部屋だった。
「あら?こちらはまだお夕飯前ね?」
王城側は、空がまだ明るい。フォレストと万魔法相談所のカウンターで仲良くお茶を飲んでいた時と、だいたい同じ時間である。
プリムローズは、岩原で夕飯を食べていなかったことに気がつく。岩原を彷徨った時間は、とても長く感じた。魔法をずっと使っていたので疲労もした。だが、不思議な岩原では全くお腹が空かなかったのだ。
「そしたら、寝ておかなくてもいいのかしら?」
「あっちとこっちは時間の流れが違うからなあ」
「ご飯の後で間に合う?」
「うーん、あっちの時間が先に進むとか、速く進むとかじゃねえんだよ」
ドアを開けたまま話していると、フォレストの後ろからティムが口を挟む。にこやかな魔法細工師の背後では、真っ暗な空に青い月が浮かぶ。奇妙な生き物たちも行き交っている。それらは、プリムローズの部屋へと入ってくることはなさそうに見える。こちら側には見向きもしない。
「出かける時には声かけるねぇー」
「わかったわ」
フォレストは両手をプリムローズの顔に添えて、両脇の髪を後ろに流す。姫の小さな顔は、すっかり恋人の手の中に隠れてしまう。名残惜しそうな菫色を、緑の瞳が切なく迎える。
「それじゃ、後でね?」
「ああ」
熱情を伝える指先が、プリムローズの頬を撫でる。
「リム」
プリムローズの眼差しにも、ほんのりと熱が篭もる。
「好きだ」
「ふふっ」
「フッ」
ふたりは幸せそうに笑い合い、そつと眼を閉じ唇を重ねる。プリムローズの可愛らしい手が、控えめにフォレストの髪へと伸びる。垂れ下がる銀の髪が姫の薄紅の爪先に触れた。フォレストは少し驚いて眼を開く。
「星を宿せる銀の髪」
プリムローズは小声で歌う。
「それは?」
「新年の人形芝居に出てくる歌よ」
「水晶宮の爺さんか」
「ええ」
「始源祭でも人形芝居をやりにくるけど、その歌は聞いたことねぇな」
それを聞いてプリムローズが眼を輝かせた。
「まあ、お祭りにも水晶宮のお爺ちゃんが魔法の人形芝居を出すの?」
「演目は星乙女だな」
「建国伝説ね?」
「そうだな。祝祭劇だ」
「わあ、楽しみ」
「魔法人形芝居好きなのか」
フォレストは眼を細める。
「ええ。水晶宮のお爺ちゃんのは、特に好きよ」
「派手だからなあ」
「ええ。魔法で作る光や花や、聞いたことのない音楽で、毎年楽しませて貰えるの。他の人には出来ないわ。」
(可愛いなあ)
プリムローズが夢中で魔法人形芝居を語るのを見て、フォレストはプリムローズが可愛くて抱きしめる。花のような唇にまた口付けようと鼻を傾ける。
「始源祭には、魔法人形芝居の一座がいくつか来るよ!」
大きな恋人の背後から、明るい声が邪魔をする。フォレストは無視してそのまま恋人の唇に触れる。
その時、姫のお世話係が待機する部屋のドアがカチャリと開く。お仕着せの若い女性マーサが、ドアを細く開けてわざと見える位置に立つ。
「あはっ、マーサの顔ったらぁ、あははっ」
愉快そうに笑うティムの声に、プリムローズはフォレストの影からひょこっと後ろを覗く。
「ティム、マーサと知り合いなの?」
「わっ、プリムちゃん、可愛いいっ」
「チッ」
「ティモシーさん、お久しぶりです」
「改まっちゃって!でも、顔」
「相変わらず良く笑いますよねえ」
マーサは呑気な笑い声と僅かな茶色の髪に、呆れた顔で対応した。プリムローズが釣られて笑う。フォレストはそれが気に食わない。マントを心待ち広げて、後ろに立つティムの視界を完全に塞ぐ。
「それじゃ、夕飯に遅れると悪いから」
離れ難い思いをなんとか押し込めて、フォレストはプリムローズを囲っていた腕を解く。プリムローズも寂しそうにしながら、指先を小さく波打たせて微笑んだ。
(ああ、指先で手を振ってる!指先バイバイ可愛い)
フォレストは思わずもう一度唇にキスしてから、ドアを閉めた。
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続きます




