30、ティモシーは飾り細工の材料を取りに行く
始源祭が近づくある春の午後。プリムローズが猫にされてフォレストと出会ってから、はや1週間が過ぎていた。エイプリルヒル王国の城下町には、柔らかな春の雨が降っている。仔猫姿のプリムローズを瀕死に追いやった、あの春の嵐が嘘のような、平和な光景であった。
フォレストとプリムローズは、カウンターに風の椅子を並べてお茶を飲んでいる。ここは、大魔法使いフォレストの万魔法相談所である。2人が座っているのは、その相談カウンターだ。休憩室のテーブルではない。しかも、玄関ドアに背を向けている。
今日の椅子は緑と菫色の大きな格子模様である。椅子はぴたりとくっつけていた。
「わあ、いい香りねえ」
「だろ」
「こんな芳しいお茶、お城でも出たことないわよ?」
「フッ」
ほわほわとティーカップから立つ湯気越しに、緑と菫の瞳が笑みを交わす。フォレストは上半身を折り曲げた。プリムローズは頬を染めて恋人の方へ身体を向ける。互いにティーカップを手にしたまま、軽く唇を合わせた。
「やあね、お行儀悪いわよ」
「リム」
「何よ」
「フッ、可愛いな」
(きゃーっ)
プリムローズは顔の熱さが落ち着かなくて、それこそお行儀悪い速さでカップを空けた。
「このお茶は、魔法がかかっているのかしら?」
「いや、海の向こうで採れる珍しい茶葉なんだ」
「海の向こう!」
「ああ、師匠が物を取り出す魔法を使って渡してくれた」
プリムローズが知り合ってから1週間、フォレストの口から師匠の話題が出るのは初めてだ。
「レシィのお師様、どんな方?」
プリムローズが無邪気に聞くと、フォレストは幾つもの感情が入り混じった表情を見せた。
「あの、言いにくかったら、いいんだけど」
「ストロウ師匠は、気ままな旅人だな」
「旅をしてらっしゃるのね?」
「いつも、な」
フォレストの眉間に皺を認めて、プリムローズは軽く口を窄める。
プリムローズが再び口を開きかけた時、最近よく聞く呑気な声が扉を開けて入ってきた。油を引いた革マントを入り口脇のフックにかけると、人懐っこい青い眼が室内を見渡す。
「レシィいる〜?」
お茶を飲んでいた2人が揃って玄関ドアのほうへと身体を捻る。ティムはいつものように、明るい笑顔で挨拶をした。
「やあ、レシィ、プリムちゃん」
「チッ」
ティムは、プリムローズがここエイプリルヒル王国の末姫だと解ってからも、気安くプリムちゃんと呼んでくる。姫だと知った時には狼狽えたが、それはほんの一瞬だった。その図太さで、ティムはフォレストに舌打ちされまくっても友達で居続けているのだ。
「レシィ、今年も手伝ってくれる?」
「今夜か」
「うん」
「何?」
フォレストはティムに珍しいお茶を注ぎながら、眉を寄せた。プリムローズは知りたそうなそぶりを見せる。
「こないだ言ってた、飾り細工の材料を採りに行くんだ」
「え、入荷するまで作業出来ないって仰ってらしたけど、ご自分で採りにいらっしゃるの?」
「へへー、そうなんだぁ」
「自分で採るのが一番安心できるよな」
「自分で連れてこないと、あんまり信用してくれないんだよねぇー」
ティムがへらへら笑う。
「連れてくる?信用する?え?材料よね?え?何?生き物?まさか、ひと?」
プリムローズが混乱する。
「魔法素材だからな」
「魔法素材って、いきもの?ねえ、レシィ、まさか人間じゃあないわよね?」
姫の顔から赤みが失せる。
「やだなあ、プリムちゃん。魔法に生き物や生き血を使うなんて、頭のおかしい人間達の戯言だよぉ」
ティムの目つきがややおかしい。先程までと変わらずに他意のない笑顔なのだが、常より白眼が増えるほど見開いている。プリムローズはゾッとして自らを搔き抱く。
「チッ、やめろ、ティム」
フォレストの頼もしい腕が巻き毛の姫の肩に回り、菫色の瞳がチラリと愛弟子を励ます。プリムローズは、細く息を吐き出した。
「ちぇー」
ティムはつまらなそうに言って、くふふと笑う。
「いい加減にしろ」
「もう、怖いなあ、レシィ」
「で、結局、素材はどんな物なの?」
プリムローズは機嫌悪そうに声を低くする。ティムはキョトンとして青い目を姫に向けた。
「チッ、なんだよ、ティム」
「ハハハッ!えー、もう師匠に似てきたよーぅ」
ティムはお腹を抱えて笑い出す。フォレストは口をへの字に曲げてティムを眺める。
「ひーっ、ああ、お腹痛い、ふーうっ」
ひとしきり笑ってから、ティムは大きく息を吐き出す。それからフォレストに出された珍しいお茶に口をつけた。
「んーっ、美味しい。いい香りだねぇー」
「それで、どんな素材なの?」
プリムローズが食い下がる。
「見たほうが早い」
「えっ、レシィ、プリムちゃんも連れてく気?」
「いいの?」
「行くか?」
「いや、駄目でしょー、プリムちゃんお姫様だよねぇ?」
困り笑いのティムがプリムローズとフォレストを交互に見る。フォレストはがっしりした親指を反らして、プリムローズの襟元を指す。
プリムローズは、真っ白な角の丸い襟を誇らしげに持ち上げる。ライムグリーンも春らしいチェックのお散歩ドレスに映える、純白の襟だ。その襟先には、アーモンドの花を象る大魔法使いの虹色ブローチが燦然と輝く。
「わたくし、エイプリルヒルのプリムローズは、この度、久遠の自由を手に入れましたのよ」
ふふん、と顎も胸も反らして、姫は挑戦的に瞼を半分下げる。室内の青い魔法灯と窓から差し込む午後の陽が、プリムローズの長い金色の睫毛にちらちらと踊る。
愛し気に見つめるフォレストの腕は、未だプリムローズの肩に回っていた。プリムローズは、愛する師匠の腕を頼もしく感じて寄りかかる。
ティムはその様子を見て首を傾げた。
「ねえ、さっきからおもってたんだけどさー?」
丸顔の顎先に手を添えて、ティムは気になっていたことを尋く。その手は、職人らしく指のあちこちが硬い。特殊な工具を持つのか、どの指の中程にもタコがある。火傷の跡や切り傷もある。
「お弟子だからって、今日、レシィちょっとベタベタしすぎじゃないかなぁー?」
それを聞いたプリムローズは、ますますふんぞり返ってティムを見上げる。
「あら、レシィは婚約者ですわ!」
「候補だけどな」
「え、誰の?」
「チッ、この状況でそれ聞くか?」
「わたくしのですわ!」
「え、え、え、」
ティムは限界まで目を見開く。先程わざと怖そうに開いた時よりも大きく。
「うっそーぉー」
「本当でしてよっ」
「え、へ?や、いつからぁ?」
「一昨日からですわ」
「え?ねえ、レシィ、プリムちゃんとはいつ知り合ったの」
「1週間くらい前だな」
「え?何、何やってんのぉ、君らー」
ティムの顔から完全に笑顔が消える。笑みの代わりに困惑の色が広がる。それでもまだ、口調はのんびりとしたままだった。
フォレストは目に見えて不機嫌になる。プリムローズの可愛らしい口も、一緒になってへの字に曲がる。
「チッ、うるせえよ」
「余計なお世話です」
「いやまあ、そうなんだろうけどさぁー」
フォレストが姫の肩を抱く指先に、ぎゅっと力を込める。プリムローズは、両手をそっとそこに添えた。ティムはその3つの手の甲をじっと見る。
「ええー?1週間ねぇー?」
「チッ、茶が冷めた」
フォレストは、ティムと自分が飲みさしていた2人分の冷めたお茶を温める。プリムローズには新しく注ぐ。
熱いお茶を一口飲むと、プリムローズが口を開く。
「それより、いつ出かけるの?服装はどうしたら良いかしら?」
「え、あぁ、うん、まあ、プリムちゃんも大魔法使いだし、格好はどんなでも良いかなーぁ?」
ティムは諦めたように笑うと、また一口お茶を飲んだ。
「あら、そう?」
「お茶飲んだら出られる?」
「すぐ行くか」
「わかったわ」
「じゃあ、そうしよ」
ティムは弱々しい笑顔で2人の姿に目を注ぐ。
「1週間で婚約ねーぇ」
「チッ」
「いいでしょ、別に」
「はーっ、レシィ、常識人だと思ってたのにぃー」
フォレストは仏頂面でお茶を飲み干す。プリムローズも優雅に飲み終わり、ティーカップをカウンターに置く。ティムの分も合わせてさっと片付けた銀髪の大魔法使いは、顔の脇で手を振る。無言のまま、掌をドアに向けて軽く促す。出かける合図だ。
「怖いなぁー、もう」
「チッ」
フォレストはプリムローズの手を取ると、椅子を解いて風に戻す。そのまま表通りへ出るドアを開けた。
「レシィ、ここは?」
「待機小屋だ」
ドアは街路ではなく、板張りの小部屋に繋がった。
「毎年一度だけ、条件の合う夜に生えるコケがあるんだよ」
「それが魔法細工の材料なのね?」
「うん」
「今年はあとどのくらいだ?」
「今年の条件、真夜中なんだよねぇ」
ティムが青い眼をくりくりさせて、申し訳なさそうにプリムローズへと眼を向ける。
「毎年条件が違うの?」
「うん」
「生える場所も違うの?」
「それは同じなんだ」
「毎年違うなら、どうやって条件がわかるの?」
「細工師だけが使える魔法があるんだよー」
「ちょっと特殊な魔法でな」
「へへ、レシィも使えないんだぁ」
「まあっ」
プリムローズは大きく開いた口を、慌てて手で覆う。プリムローズの姿は陽の光で金色に縁取られている。待機小屋の中には西日が長く差し込んでいて、ここはエイプリルヒル城下町よりも夜が早い場所なのだと解った。
「プリムちゃん、綺麗だねぇ」
金の縁取りで風景から切り取られたような姫を、ティムは惚れ惚れと眺める。ティムは人形の装身具という繊細な飾り細工の専門職人である。細やかな美しさに魅せられた魂の持ち主だ。晴れた青空を思わせる瞳には、賛美の色が浮かぶ。
フォレストは、握り続けていたプリムローズの手を更に近く引き寄せる。手首を回転させ、肘から下に力を込める。すると華奢な姫は、金の巻き毛に空気を含ませながら、大男のお腹より少し上あたりにぽすんとぶつかった。
「レ、レシィ!」
姫はパッと顔を上げる。赤くなって抵抗するが、余計に抱き込まれてしまう。
「焼餅焼き過ぎると、真っ黒焦げで捨てられちゃうよー」
ティムは口を尖らせた。美しいものを隠されてご不満らしい。
「下見に行くか」
フォレストはティムを睨みつけながらも、材料採取に意欲を見せる。ティムはすぐ笑顔に戻り、張り切って待機小屋の外へと向かう。
「うん!足場の確認しておこうねぇー」
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続きます




