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姫は猫、魔法使いは大男  作者: 黒森 冬炎
第一章、姫と魔法使い
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3、プリムローズ姫のときめき

 フォレストはミルク壺を机に置き、壁際の棚に向かう。


(あのミルク壺、まだミルクが入っているのかしら)


 ミルク壺は、質素な部屋に不似合いなほど滑らかで光沢のある乳白色の陶器である。どこを見ても無地だ。中程に向かって膨らんだ水瓶のような形が愛らしい。広めの口にはコルク栓が嵌まっている。フォレストは器用そうな長い指でキュッと音を立てて開け閉めした。


 この壺は、フォレストの大きな手にすっぽりと隠れてしまう。そんな小さな壺なのに、昨日の晩から延々と木のボウルを満たし続ける。


(魔法の壺だわ)


 プリムローズ姫は、興味津々である。


(お城の厨房にもないのに)


 お城の料理長から聞いたことがあるのだ。汲めど尽きせぬ魔法の竈や壺の話を。


(小さいけど、たしかに魔法の壺よ)


 いくらでも出て来るのなら、入れ物は小さくてもよい。むしろその方が嵩張らない。


(でも、マントは豪華なのに、それ以外は本当に質素)


 入口の壁に下がったマントは、華やかな銀糸で一面の刺繍を飾った豪奢な絹物だ。それだけがこの部屋の中で異質だった。窓さえ一つしかない、魔法灯も小さく弱い。



 魔法使いはとても珍しい存在である。お城の魔法灯を点す係も1人しかおらず、聞けば太陽が傾き始める少し前から作業を始めるのだという。お城の明るい魔法の松明やランプを灯せるだけの強い魔法が使える人は、その人しかいないのだとか。


(フォレストさんの方が、魔法上手そうよ)


 お城の魔法灯係は、料理長と同じく曲がった杖を振りながら長い呪文を唱えていた。2人とも使える魔法はひとつだと聞く。料理長は火を操るだけ、魔法灯係は灯りを点けるだけ、それぞれひとつだけ。


 フォレストは、魔法灯を点けるのも消すのも、何か一言呟けばそれで終わり。物を虚空から取り出せる。綺麗な水を出して食器を洗う。仔猫の毛を温かい風でふわふわに乾かす。使える魔法は沢山ある。


 初めは、この部屋を仄かに照らす魔法灯を見て、フォレストは弱い魔法使いなのだと思った。


(小さな明かりが好きなのかもしれないわ)


 プリムローズ姫は想像する。華やかなマントに身を包む立派な青年が、優しく光る青い光の中に浮かぶ。その姿を胸に描くと、プリムローズは息苦しいような感じがした。


(なんて優しいお姿なのかしら)



 プリムローズの目線の先で、フォレストはごちゃごちゃした棚に手を伸ばす。先ず、棚に置かれた箱から、新鮮な野菜とハムを取り出した。


 たいして大きくもない木箱なのだが、大きめの葉物野菜と根菜が出てきた。箱には魔法が掛けてあるのだろう。何か呟いて虚空からナイフを取り出すと、机の上で野菜を小さく切った。ナイフは魔法の水で洗われて、乾くとまた虚空に消える。フォレストは、ボウルにハムサラダを盛り付ける。


 じっと眺めているのを誤解したのか、フォレストはハムの切れ端を差し出してきた。プリムローズは、せっかくなので食べてみる。


(美味しい)


 ハムは、王宮で王族が食べる高級な肉と遜色のない味だった。


(料理長から貰った賄い肉は、もっと硬くて味わいもなかったわ)


 プリムローズ姫は、厨房に遊びにゆくとお城で働く色々な人用の様々な食べ物を分けてもらうのだ。初めは難色を示していた料理長だった。


「毒でも入れられたらどうなさる」


 全くその通りである。だが、プリムローズ姫の好奇心は(おさま)らない。根気よく通って、とうとう料理長を説得してしまった。2人だけの秘密ということで、こっそりと様々なものを食べさせて貰えるようになったのだ。



(このハムも、パンもミルクも、王族の食事と殆ど変わらないわ。この人一体何者なのかしら)


「美味いか」


 フォレストはまた、厳つい銀の太眉を少しだけ下げる。その微かな笑顔に、プリムローズの心は喜びに湧き立つ。


(わあ)


 仔猫な姫の瞳が金緑色に輝く。


「もうねえぞ。あんまり食べると腹壊すからな」


 ハムにときめいたと思われたらしい。



 そこへ虹色の光りを帯びた銀の花びらが舞い込んで来た。まだ窓を開けていないのに、鎧戸をすり抜けて入ってきた。


 (お城から魔法の伝書だ)


 伝書魔法は、送る方も受け取る方も魔法使いだ。


(しかも、王宮と契約した特別な魔法使いだけが使える筈よ)


 この魔法は、メッセージを伝える相手の特性を表す形になる。


(やっぱり優しい人なんだわ。花びらで象徴されるなんて)


 プリムローズは嬉しくなった。仏頂面に隠された柔らかな心を、なぜか自分のことのように誇らしく思う。改めて注目すると、魔法の花びらはフォレストの方へひらひらと寄って行く。


 伝書魔法は、重要度に応じて纏う光が違う。


 (秘密通信用だわ)


 虹色の光は、国家機密レベルだ。


 (授業で習ったから知っているのよ)


 国家機密レベルのメッセージを受け取るとなれば、いよいよフォレストはただの魔法使いではない。



 フォレストは、花びらを捕まえて何事か呟く。魔法が展開されて(いろ)とりどりの光の粒に変わる。プリムローズにはわからなかったが、それはメッセージとしてフォレストにきちんと伝わったようだ。


 フォレストは厳しい顔つきをする。慌ただしく食卓を片付けて、豪奢な刺繍マントを羽織った。それから、はっと気づいた素振りをする。フォレストは急いでベッドの元へ戻る。片膝でベッドに乗って手を伸ばし、青い木の鎧戸を細く開く。


「窓を細く開けておくから、好きに出入りしたらいい」


 ベッドから降りて床を見下ろしながら、フォレストは姫君だった仔猫に話しかける。


「みゅうぅ」


 お礼を言おうとしたプリムローズ姫だったが、やはり口から漏れるのは猫の鳴き声。フォレストに言葉は通じない。


(フォレストさんの仰る言葉が分かるだけでも良かったわ)


 フォレストは無口なほうなので、彼の言葉が理解出来たところでプリムローズに情報はそれほど入らない。だが、人間の言葉が全く分からなかったなら、どんなにか心細いことだろう。たとえ一方的だとしても、話しかけて貰えるだけで少しは不安が薄らいだ。



「じゃあな」


 野太い声をかけて、フォレストは扉を開ける。


(待って!)


 プリムローズは追いかける。先程到着したのは、お城からの秘密通信だ。うまくすれば、お城の関係者と会えるかもしれない。


「こらこら、着いてきちゃ駄目だ」

(着いてゆくわよ)

「お城に呼ばれたんだ」

(私も帰るわ)

「お城は猫ご禁制だ」


 フォレストはまた扉に向かう。翻る藍色のマントの裾に、プリムローズは思い切り飛びつく。


「あっ、こら」


 フォレストは勢いよく体を捻って裾を見る。だが、声を荒げることはない。プリムローズはしっかりとマントの高級な絹に爪を立ててぶら下がる。


(お城に帰るわ)

「そんなに必死になられてもなあ」


 フォレストの太い銀眉が下がる。やや眉間に皺を寄せ、苦笑いを浮かべる。


(あら、可愛らしい困り顔)


 フォレストの分厚い掌に包まれて、プリムローズはマントから引き剥がされる。


(何だか胸が苦しいわ)



 視線を下げると、マントの首元が見える。昨日は雨で目がよく見えず、壁にかけたときには背中側しか見えなかった。


 (新年のお祝いにいらっしゃる、大魔法使いのマントに似てるかも)


 お城に来る大魔法使いは、白いお髭のお爺さんである。新年の出し物として、魔法の人形芝居を観せてくれるのだ。お爺さんは、この世の何処かにあるという、水晶で出来た宮殿に暮らしているのだそうだ。


 胸まで届く尖った大きな襟に、魔法使いの印に似たブローチが見える。虹色に光るアーモンドの花の形だ。普通の魔法使いには階級があり、下から赤、青、緑、紫、黄色、透明、である。大魔法使いのものは虹色だ。


(正体を隠して街場で暮らしているのかしら)


 お城に来る大魔法使いは、豪奢なマントを身につけていた。藍色のビロードに、金糸銀糸の葡萄唐草の縁取りがある。襟は大きく尖って胸まで届く。


(でも、マントの生地が違うわ)


 刺繍も違う。


(大魔法使いは1人じゃないのかもしれないわね)


 思い巡らすプリムローズ姫をそっと床に下ろすと、フォレストは少し乱暴な口調でもう一度言う。


「王様は猫がお嫌ぇだから、お城に近づいただけで酷ぇ目にあうぞ」


 プリムローズは、昨日の恐怖を改めて思い出す。


(お城に戻ればなんとかなると思っていたけれど)


 怯えて震えるマーマレード色の仔猫を見下ろし、フォレストの銀髪がサラリと流れる。


(美しい髪ね)


 今は魔法灯が消えて、昨夜見た幻想的な輝きは失せた。しかし、髪そのものが繊細に煌めいている。


(手入れをすればさぞかし素敵でしょうに)


 フォレストの髪は伸びかけの半端な長さで、荒く櫛を入れただけだ。耳の下辺りで無造作に括った銀の毛束が、首から背中へと垂れている。前髪は目にかかるほどで、まばらに落ちている。昨日は雨に濡れてペタンとしていたが、今は乾いてやや広がっていた。


「じゃあな」


 声をかけられて、我に返る。お城に戻るのは得策ではない。だが何とかして王様に、自分が仔猫になってしまったことを知らせなければ。


 (一体どうしたらいいかしら?)


 逡巡していると、その隙に魔法使いフォレストは虹色の渦になって消える。ドアを使うと仔猫について来られると思ったのだろう。


 (えっ?こんな魔法見たことないわ。この人やっぱり只者じゃないわね)



 フォレストが戻るのを待つ間、特にすることもないので部屋を探検する。


(お城の用事は何かしら)


 まずは机の下を歩くが、これといった発見はない。


(わたくしの失踪のことかもしれないし)


 机の下から出ると椅子に飛び乗る。魔法ストーブや机よりは低いが、床からは見えなかった情景が目に入る。


(そうじゃないかもしれない)


 ベッドはフォレストが抜け出したまま、くしゃりとシーツや上掛けが寄っていた。青く塗られた木の鎧戸は、仔猫が自由に出入り出来るように細く開けてある。その幅だけ、朝日が眩しくベッドから床に縞模様を作っていた。


(お向かいまで遠いわね)


 万魔法相談所は、表通りに面した建物のようだ。通りの向こうに、向かいの建物が鎧戸の隙間から見えている。


(表通りのお店は、高級店だって習ったわ)


 魔法使いは稀少な存在だから、当然かも知れない。


(怪しんだりして悪いことしたわねえ)


お読みいただきありがとうございます

続きます

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