26、魔法使いの権利
いとも容易く完璧な猫の姿に変化したプリムローズを目の当たりにして、家族は諦めて遠い目をした。皆、猫は嫌いである。そんなものに化けられて戦々恐々とする傍ら、姫の才能が開花したことは嬉しいと思う。
「僕らの姫は遠くに行ってしまいましたね」
「そうみたいだねえ」
「姫、ほんとうに、もはや」
「姫よ、迷いはないのだな?」
大魔法使いは、人の域をはみ出す存在である。便利に頼られる一方で、怪しい生き物として敬遠もされる。エイプリルヒル王国の城下町にはフォレストがいるため、人々は比較的友好的だとはいえ。
しかし、魔法使いそのものが世界的には稀少なのだ。多くの町や村では、噂でしか聞いたことのない、未知の力を持つ存在である。嫌悪する人もいる。存在を信じず、ペテン師だと決めつける人もいる。
一方で魔法使いは有用である。国の力を左右する。だから国同士は、1人でも多くの魔法使いを手に入れようと争う。国家機密に触れる機会も多い上級の魔法使いは命を狙われることもある。
姫も、フォレストと知り合うまでは魔法についてよく知らなかった。王城に暮らす姫ですらそうなのだ。まして市井の人々からは、御伽噺のようなものと思われても仕方がない。そんな存在になろうとしている。それを思うと、姫はなんだかうそ寒い心地がした。
プリムローズは決意と緊張で少し顔色が悪い。フォレストが長い指でプリムローズの小さな毛むくじゃらの手を労わる。仔猫となった姫の長い髭が春風に靡く。
(それでもわたくし、レシィと同じものを見たいわ)
するすると姫の姿に戻ったプリムローズは、フォレストの手をしっかりと握り返す。それから王様を真っ直ぐ見返し、元気よく答える。
「はい!」
緑の瞳が毅然と輝く。フォレストの大好きな表情だ。大きな体を傾けて、姫の眼差しに惚れ惚れとする。
「うむ、だがな、姫よ。大魔法使いも婚約者も、まだ候補者だぞ?」
フォレストの眉間に皺がよる。
「わたくしの心は変わりませんけども。今は候補者で構いませんわ」
王妃様が満足そうに頷く。兄王子もほっとする。弟王子はにっこり笑う。姫はツンと顎を上げる。フォレストはその様子が可愛いくて、愉快そうに唇をむずむず波打たせた。
その後はまた和やかに茶菓を楽しんだ。やがて王様と王妃様が席を立ち、お茶会はお開きとなった。
「こんなことって、あるんだねえ」
猟犬王子が歩きながら言う。
「一目惚れから一生続くケースはあるけど、数日で大魔法使いって凄いよねえ」
「逸材ですよ」
フォレストは自慢げだ。姫とはまだ手を繋いでいる。兄王子がその手をじっと見る。
「君たち、本当に最近知り合ったんですか?」
「ええ、そうよ?」
「フォレストさんは王宮に出入りしてましたし」
「会うことはなかったですよ」
「レシィ、お城で何してるの?」
プリムローズは、俄に知りたがる。
「魔法相談と、認定試験の試験官だな」
「お城でも魔法相談あるの?」
フォレストは苦笑いをする。
「俺が頼まれるのは、殆どがストーンの捕縛だがな」
大魔法使いが呼ばれるほどの事件は、そうそうない。内容は呆れるようなものであっても、苔桃谷のストーンは大魔法使いだ。普通の人には対応できない。つまみ食いの旅人魔法使いくらいなら、魔法省の役人でも対応できるのだが。
「ああ、あの猫女」
猟犬王子が嫌そうな顔をする。
「今でも魚くさい気がしますよ」
「お兄様方、あのとき訓練場においででしたのね」
騎士の訓練場に大量の魚が降ったとき、王子2人が模範試合を行なっていた。
「なかなかに痛かったんだよ」
「生きてたからビチビチして煩かったですし」
「鱗が反射して眩しかったよね」
「幸い宿舎や更衣室は無事でしたけど」
訓練場を囲うコの字型の建物がある。一部が騎士団の宿舎になっていて、他の部分は更衣室や武器庫に使われている。騎士たちは、そこに避難したようだ。魚は屋外訓練場にだけ降ったのだ。
「ふふっ、料理長が呼ばれたんですってね」
「厨房総出でワタの処理して、処理した側から料理長が魔法で乾燥させてたな」
「その後厨房に運ぶのは騎士団も手伝いましたねえ」
魚は魔法で降らせたからか、地面に叩きつけられ次々降っても傷んではいなかった。
「俺も呼ばれたな」
魚の雨を止めたのはフォレストである。広い訓練場一杯に降り積もる魚の処理も手伝っていったらしい。厨房組が騎士団の水場を借りて内臓処理におおわらわな様子を、気の毒に思って手を貸したという。
料理長は火の魔法で乾燥させたが、フォレストは風の魔法と水の魔法を使った。水で洗い流しながら、風で切ったり乾燥させたりしたのだ。
「まさか、ただ働きじゃないでしょうね」
「あの頃はボランティアだな」
「お人好しすぎるわよ」
プリムローズはご立腹だが、フォレストは面倒臭さそうに鼻の穴を窄めた。
「そのうちわかるさ」
兄2人は少し嬉しそうにしている。フォレストの前では言えないが、末姫がまだ人間らしい感覚を持っていることに安堵したのだ。
「お魚、飽きるほど食べたよねえ」
兄王子が話題を変える。
「あのあと1週間、お魚三昧だったわ」
「ああ、最上のものは僕たちもいただいたし、それ以外は城中の人たちの食事に三食出された」
「料理長の魚料理のレパートリーは凄かったですね」
「ええ、ちっとも飽きなかったわ」
王家の三兄弟は明るく笑う。巡回騎士が微笑ましそうに立ち止まる。遠くで犬が鳴いている。
「じゃあ僕、犬たちの所にいくよ」
「私も仕事に戻る」
王子たちが、分かれ道でそれぞれの仕事に戻る。義姉たちもまた、それぞれの予定に向かう。プリムローズはマーサに連れられて自室へと帰ってゆく。フォレストは名残惜しそうに姫の背中を見送った。
プリムローズは部屋へと続く廊下を歩きながら、先ほどの会話を思い出していた。
(前にも少し怒ってらしたわ)
魔法使いの権利に関係することなのだろうか。プリムローズは、魔法での人助けと報酬のことを考える。
――大魔法使いが国なんかに縛られてんじゃねえよ
フォレストは礼儀正しい人物である。日常では粗暴だが、ひとたびお城に上がれば、美しい所作と丁寧な物言いで男振りが格段に上がる。
(他の大魔法使いは、礼儀作法なんて守らない)
王国民としてのフォレストは、元は街路清掃員をしながらの魔法ボランティアである。見かねた同僚の勧めで万魔法相談所を開いてからも、料金は破格の安さ。それでも豪華なマントを纏い、宮廷料理と遜色ない味の食事を摂る。
部屋は質素で、マントの下も素朴。髭は剃っているし清潔だが、髪にも肌にも手入れをしている形跡はない。朝はのんびり遅めに起きて、靴や靴下はだらしなく脱ぐ。
(大魔法使いは気ままだわ)
フォレストがエイプリルヒル王国の王族へ礼節を尽くすのは、ただ彼がそうしたいからに過ぎない。飽きたら酷い目に合わせる可能性もあるのだ。
(そんなこと、レシィはする筈ない)
考え込みながら扉を開ける。心配そうなマーサに付き添われ、薄荷色に菫の花が一面に咲く膝掛け椅子に沈み込む。
(レシィと話さなきゃ)
「マーサ、ディナードレスを選んでおいて」
「え、姫さま?」
プリムローズは、とうとう自室から既に猫の姿で出発した。姫の行動力に振り回される長年の侍女は、ため息をつく。
(弓矢の的になったら如何なさるんでしょう)
姫は今や、風の魔法で弓矢でも投石でも避けられる自信がついていた。マーサはそんなことを知るはずもない。うら若い乙女の顔に疲労が色濃く影を落とす。そうしてマーマレード色の仔猫が風に乗って天翔るのを、鬱々とした表情で眺めていた。
「レシィ!」
「窓から来んなって!」
フォレストがなんらかの魔法を使って、既に部屋にいるだろうと踏んだプリムローズの読みは的中した。
「ねえ、魔法使いの権利について教えてよ」
「凶悪犯罪でも犯さねぇ限り、何人も俺たち魔法使いに指図できねぇのさ」
「誰よりも偉いってこと?」
「そういうんじゃねえよ」
「じゃあ、どういうこと?」
「お前さ、城から猫で来たんじゃね?」
「解るの?」
「解るぜ」
プリムローズの心臓が走り出す。尊敬と愛情が掛け算となり、心臓に鞭打たれる心地がした。
(息が苦しい)
プリムローズの陶然とした顔に、フォレストは少し眉根を寄せる。
「チッ、いい気なもんだぜ」
「えっ?」
フォレストはため息をひとつ大きく吐き出すと、片手で乱暴に姫を抱き寄せる。
「そういうとこな、既にリムも大魔法使いってことなんだよ」
「解らないわよ!」
プリムローズがむくれると、フォレストは破顔する。
(ええぇぇー?何よもう。ドキドキさせて!)
フォレストは金の巻き毛を長い指で梳く。蕩けるような菫色がプリムローズの緑に降り注ぐ。
(あ、どうしよ)
「俺たちはな、」
菫色の瞳をした大柄な魔法使いは、低く甘い声で囁く。
「人間の作った枠組みなんざ、気にしなくていいんだぜ」
プリムローズの視線は菫色をした誘惑に絡め取られる。フォレストの指に力が籠り、姫の可憐な唇に優しい唇が微かに触れた。
「俺たちは好きに生きていい。何者にも捉われず、何人にも頭を下げる必要はねえ」
自信に満ちたフォレストは、姫の気持ちを抱き寄せる。
「だがな、あんまりそれだけじゃ、家族がやられんだろ」
(やられる?)
「まあ、別に、反撃も護衛も、出来んだけどよ?」
「え、ねえ、やられるって何?」
「嫌がらせとか、処罰とか、色々だな」
「そんな。訴えたらいいわよ」
「仕掛けて来んのはご近所だろ、王家だろ、しまいには他所の国の国家元首だろ」
相変わらずプリムローズの髪に指を潜らせながら、フォレストは語る。
「どこに訴えんだよ?被害者が魔法使いじゃねえから、魔法使いの権利は適用されねぇしよ」
「酷いのね」
プリムローズは改めて、魔法使いと世の中の現実を知る。いつになく傲然として言葉数も多いフォレストだが、姫は恐ろしいとは思わなかった。
「馬鹿じゃねぇかと思うけどな。どんなに弱い魔法使いでもツテを頼って上級者に頼みゃ、国のひとつやふたつ、簡単に消せるのにな」
「あ、え?」
「ん?」
どうやらプリムローズは、魔法使いという存在を、あまりどころか全く知らなかったようだ。戸惑い言葉を失うプリムローズの頬を包んで、フォレストはまた口付けを落とした。
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続きます




