20、ジルーシャと精霊
墓地の跡地に到着した。ここもあちこち木の根に持ち上げられてはいる。だが王様は、割れた墓石の中に家族の墓を見つけた。
「よく分かったわね。名前もすり減って見えなくなってしまっているのに」
「あの姿見はの、現世の城を隈なく見渡すことが出来るのじゃ」
「便利ね」
「便利じゃ。お陰で王子の戴冠式も姫の旅立ちの儀式も、見ることは出来た。参加は出来なんだがな」
「そう」
「そして、妃の埋葬も、王となって老いた王子の葬式もな」
王様は、辛そうに眼の付け根を摘む。むくっとした白い手が、涙を堪えた赤い眼を押さえて耐えていた。廃墟の風が、かつてこの城を治めた者の緑色に波打つ髪を、労わるように撫でてゆく。
フォレストは墓跡を見下ろし、黙ってプリムローズの肩を抱き寄せる。姫は頬を薄く染めてフォレストを見上げ、そっと身を寄せると墓石に視線を落とす。
王様は懐から掌にのる大ぶりな懐中物入ペンダントを引っ張り出した。開くと苔色の髪束が入っていた。
「王妃の髪じゃ。遠い森から来てくれたのじゃ。お祭り見物にの。花の国の春祭りは有名だったからのう」
王様は愛おしそうに髪束を見つめる。
「余はまだ青年王子でな。先祖返りの人ならざる色合いを不気味に思われておった」
「そんな」
「それでも王家の務めとして、祭りで花を配っておったのじゃ」
王様が夢見るような瞳を見せる。
「なんて綺麗なお髪でしょう、と森の少女だった妃は褒めてくれたのじゃ」
フォレストは、初めてプリムローズの金髪が流れる様を見た時を思い出す。プリムローズは、青く仄かな魔法灯にゆらめく銀の髪を思い出す。
「家族の励ましはあったというて、薄気味悪いとばかり謗られてきた髪じゃ。うっとりと褒められることなど初めてでの」
王様が照れて頬を赤くする。釣られて2人も互いを盗み見て赤くなる。
「まあ、それが馴れ初めじゃ」
涙が薄らと王様の赤い瞳を霞ませる。2人は黙って寄り添って、王様の遠く幸せな日々に思いを馳せた。
黙祷が済むと、王様は2人に先程拾った壊れた道具を渡す。
「直るかの?」
「直せます」
「この前ここに来た人は、目が見えなくなるだけじゃなくて、指も動かなくなったし、様子もおかしくなったのよ」
「それは済まないことをし申した」
「これ、もうこのお城には要らないんじゃないかしら」
「ううむ、確かに左様じゃな」
「リム、欲しいのか?」
「違うわよ」
プリムローズはむっとする。
「しかし、直すにしても対価がないのう」
「少し情報をいただければ」
「なんじゃ?」
「目が見えなくなった人が、ここで聞いたっていう歌があるんですが」
「ん?」
「それ自体には魔法の力はないようなんですけども」
「それで?」
「何の歌なのか教えていただきたくて」
「どんな歌かな?力になれるかわからないが」
フォレストは軽くハミングする。
「おお、星乙女の哀歌じゃないか。しかし、ここで聞いたとな?ここにはもう、余がおるばかりじゃが」
「歌い手の心当たりはありませんか」
「星乙女の哀歌?」
フォレストとプリムローズが同時に別々の質問をする。2人は視線を交わしはにかみあった。王様は、ありし日の王妃様を思い出したのか、2人へ慈愛に満ちた眼差しを向けた。
「星乙女と親しかった精霊が、星乙女の死を悲しんで歌ったという歌じゃ。森の民が伝える秘曲だが。あの日、森の民がこの丘に訪ねて来たという憶えはないぞよ?」
王様は少し考えてから、はっとした様子で付け加えた。
「そういえば、森の民は訪ねて来なかったが、精霊の気配だけはあったの」
「ジルーシャさん、この遺跡みたいになってる廃墟を、お屋敷って言ってたわよね。廃墟のお屋敷、って」
「そうだな」
「何?いくらなんでもこの状態で、廃墟とはいえお屋敷と呼ぶのは、いささかおかしいの」
王様も不思議そうな声を出す。
「精霊がそう見せていたのかしら?」
「いや、精霊の館に招かれたのやも知れぬ」
「ジルーシャさんは、そこで精霊の歌を聞いたのでしょうか」
「可能性はあるぞよ」
「ねえ、ジルーシャさん、精霊の助けでこの秘境みたいな丘を登ったのかしら?」
「ジルーシャさんが精霊と親しいなんて聞いたことないが」
フォレストが眉を顰めると、王様が答える。
「精霊は突然誰かを気に入ることなどザラじゃよ」
「じゃあ、人形に歌わせたのも精霊?」
「そうかも知れねえな」
「ジルーシャさんが咎められて、悲しんだだけ?」
「あり得るな」
「秘曲ゆえ歌詞は乗せずに旋律だけだったのじゃろ」
ジルーシャさんの件は、どうやら解決したようだ。魔法の出どころがわからないと、目先の対処では、場合によっては取り返しのつかない事態を呼ぶ。ジルーシャさんに掛かっている魔法の効果を取り除いても、すぐに同じ魔法をかけられる可能性があった。
「魔法を取り除いて、道具を直して止めれば解決かな」
「取り除けるのね?」
「それは大丈夫そうだった」
「流石ね」
プリムローズがにこにこすれば、フォレストの目元に朱が差す。
「来てみて良かったわね」
「そうだな」
プリムローズが微笑み、フォレストの目尻に微かな皺が寄る。
「王様、貴重なお話をありがとうございました」
「いや、またいつでも遊びにおいでなされ」
「ええ!怪魚にも会いたいもの」
プリムローズが俄に溌剌とした声を上げる。フォレストは呆れてため息を吐いた。
「そうだ、王様」
プリムローズが別れ際にふと言い出す。
「王様のご親戚に、ストーンさんていらっしゃる?」
「えっ?リム、何でまた」
「あのひと、緑の髪と赤っぽい眼をしているでしょう?」
「そういえば、森の民の特徴だな」
王様は記憶を手繰り寄せる。
「ストーンか」
「ご存知?」
プリムローズが身を乗り出す。
「クランベリーデイルに住んどる魔法使いか?」
「そう、そのひとよ」
「親戚ではないが、たまにここを訪ねてくるぞ」
「迷宮に?」
「ああ、あやつも怪魚のことを知っておってな」
「怪魚の名前、教えてくれなかったんですか」
プリムローズは憤慨する。
「いや、教わろうと思いつかなくてな」
「でも、ストーンさんは、王様が出られないって知っていたんでしょ」
「いや?わしが迷宮におることも知らなんだな」
「え?」
「申したろう。そちらは200年ぶりのお客人じゃ」
「そういや、リムも俺と一緒にあの部屋に行くまで、王様とお会いしてなかったよな」
「迷宮では隣におっても気づかぬことすらあるからのう」
「あら」
プリムローズはなんとも言えない顔をした。
怪魚の丘での調査が済んで、2人は万魔法相談所にやって来る。カウンターの上には、ティムが横たわっていた。
「えっ」
「降りろ、ティム」
「あっ、やっと来たー」
「カウンターに乗るな」
「えー、じゃあソファ置いてよー」
ティムはカウンターから飛び降りる。
「何サボってんだ。仕事は」
「星乙女の髪飾りは完納したよ。他の仕事もひと段落したから、ジルーシャさんの事件を手伝えるよ」
ティムはプリムローズに近づいてくる。
「僕、役に立つよ、プリムちゃん」
「チッ」
フォレストはずいっと一歩前に出て、ティムとプリムローズの間に割って入る。
「何だよレシィ、感じ悪いなあ」
「暇なのか」
「暇っていうか、ジルーシャさんのこと、気になるでしょ」
「チッ、ちょっと待ってろ」
フォレストはティムを待たせてプリムローズを2階へ連れてゆく。
「今回使う道具は、俺の部屋限定を解除しねえとなんねえ」
「解除を見せてくださるの?」
プリムローズは眼を輝かせる。
「助手なら覚えて貰わねぇとな」
部屋に入ると、マントから影を作る道具を取り出し、棚からは針金のようなものを取った。フォレストのマントで遮られていた影の魔法がブワッと広がる。
「こっちは大したことない」
フォレストは何事か呟きながら、針金のようなものを操る。それほどかからずに、道具は影を吐き出すのをやめた。その間吐き出されていた影の魔法も消える。
「これが要ると思う」
直した道具をマントに入れて、棚から布に包まれた棒状のものを取り上げる。
「見てな」
「はい」
フォレストが布を開く時、魔法の言葉と仕草が複雑に展開された。
「リムも鍵に加えといたからな」
通常、魔法の道具は途中で使い方を変更出来ない。フォレストはやりたい放題なんでもありである。
(改めてカッコいいわぁ)
プリムローズはうっとりと眺め、顔を上気させた。道具は薄く細い香木を連ねた扇のようなものだった。フォレストの部屋でしか効果を発揮しない限定の魔法が掛かっているということは、かなり貴重な道具なのだろう。
「そういえば、相談所に鍵は掛けてなかったの?ティム居たけど」
「ティムは表のドアなら自由に出入りできるようになってんのさ。あ、わかってねぇかも知れねぇけどよ、リムは扉の魔法が使えるから、鍵とか無意味だぜ」
「あ」
プリムローズは気づいていなかったが、確かに扉の魔法が使える魔法使いにとっては、あらゆる扉は出入り自由だ。鍵の意味など存在しない。
「ティムとは仲良しなのねぇ」
「チッ、興味持たなくていい」
「何でよ?レシィのこと知りたいわ」
「うう」
2人は仲良く言い合いながら階段を降りてゆく。
「行くか」
「うん、早く行こう」
フォレストが声をかけると、ティムは先に立ってジルーシャの刺繍店へと急ぐ。
「ジルーシャさん、精霊の館に招かれたのか?」
フォレストは相変わらず直球だ。
「聞いてきたのかい」
「廃墟の王様に会ったのさ」
「ふうん。残念ながらあたしは会えなかったけどね。ティム坊、貝殻小箱持っといで」
ティムが赤ん坊の拳ほどしかない丸い箱を棚から取って来る。蓋と側面には薄くて緑色をした貝殻が並んでいた。
「開けてごらん」
ティムが開けると、そこには森と精霊と星乙女の刺繍が1つに施された刺繍ボタンが入っていた。
「こいつを刺し上げた時に、精霊がやってきたんだ」
「古いものみたいだが」
「子供時代の傑作さね」
「子供時代の!」
プリムローズが感嘆の声を上げた。
「それ以来、精霊たちがあたしに刺して欲しい物語や風景を紹介してくれんのさ。怪魚の丘にも連れてってくれて、そっからお屋敷に行ったんだよ」
ジルーシャが小さな箱を閉じ、ティムに預ける。
「全部繋がったな」
「そうね」
「え、なに?また僕仲間外れなのぉ?」
ティムは情けない声を出す。




