19、プリムローズは昔の王様に魚の名前を教える
プリムローズは活き活きし出す。フォレストは眉間の皺を呼び戻す。
「あ、いや、どうだろう」
「だって、名前を呼んだってことは、ご存知だったってことでしょ。怪魚の名前を」
「生きた怪魚を売りつけた商人から教わったそうだ」
「生きた怪魚!」
「池も壊れてるし、死んだとは思うけどな」
影を落とす壊れた魔法の道具と同じように、魔法だけが残っているのだろう。
「ええー、残念」
「その時、王様は怪魚の飾りがついている鏡を貰ってな」
「何それ、見たいわ」
「鏡から現世は見えるけど、現世から鏡の中は見えないし声も届かないんだそうだぜ」
「怪魚の飾りなんて、面白いわね」
魚が大好きな姫様は、王様そっちのけである。
「怪魚の名前さえ忘れてなければ、その鏡から自由に怪魚の城へ出入り出来たんだろうにな」
「書いとけば良かったのにねぇ」
「そんときは覚えたと思ったんだろ」
「甘いわね」
「まあ、そんなもんじゃねぇの?」
フォレストは目尻を下げて、プリムローズの方へ少し屈む。プリムローズは恥ずかしさに耐えられず、距離を取る。フォレストは、可愛くてたまらないというように眉を下げきって距離を詰める。
「王様は多分、怪魚の鏡がある広間にいる」
「行ってみましょう」
「怪魚の名前、俺は知らねえから王様に教えてやってくれよ?」
「えっ、レシィは知らないでどうやってここに来たの?」
「廃墟側の鏡に残っていた魔法を辿ってきた」
「やっぱりレシィは凄いわ」
フォレストは鼻の付け根を赤くする。
「で、怪魚はなんて名前なんだよ」
「ミラーリミラーリイクテュース。迷宮の鏡魚よ」
プリムローズがその名を唇に乗せると、鏡が一斉に鳴り出した。カシャカシャと物が砕け続ける騒がしさ。光の反射も激しくなり、眼を開けていられない。
「なんだ、すげえ魔法の流れが」
「あっ、これ、さっきの」
鏡の音が水音に変わる。遠くから巨大な魔法の塊がくねくねと迫ってくる。
「怪魚か?」
「そうね」
「まて、怪魚もこの鏡の城で生きてきたのか?」
「そうみたいだわ」
壁も床も天井も、鏡となって反射しあう中、暗い紅色の魚が無数に泳ぐ姿を見せた。
「可愛い」
「え、なんだか乾いた血の跡みてぇ」
「この魚は澄んだ池や湖に住んで、湖底に鏡の迷宮を作るのよ」
姫の語りは熱を帯びる。その瞳は、フォレストを見る時とはまた違った輝きを放つ。ギラギラと貪欲である。そんな様子を見る時にも、フォレストの瞳には柔らかさがチラつき、口元はピクリと動く。
「400年ほど前を最後に、怪魚の目撃記録は消えたわ」
「そんな昔に」
「ええ。この迷宮もきっと、とっても古いのね」
「そんな頃の魔法が、まだ生きてんのか」
フォレストは王様のバックルについていた炎石の気配を辿る。プリムローズに合わせてゆったりと歩きながら、鏡の中を自在に泳ぎ回る赤黒い怪魚を眺める。
「古代の魔法は凄えなあ」
「そうね。それに、美しいわ」
「まあ、好みはそれぞれだけどな」
「鏡から出たら、影を作る道具も見に行くでしょう?」
「そうだな。少なくとも確認には行かねえと」
王様は大事ないなどと曰うが、やはり壊れた道具が魔法を垂れ流しているのは危ない。どんな事故が起こるか分かったものではない。
現にジルーシャは、目が見えないだけでは済まなかった。指も動かなくなって、怒りっぽくなっていた。
「あの魔法、悲しそうだったわね」
「土地の思い出を巻き込んじまったのかもな」
「廃墟ですものね」
「沢山の悲しい思いが漂ってるんだろうよ」
ドアを開ければ磨き抜かれた黒い鏡石の床が広がる。
「滑りそうね」
「そうでもねぇさ」
「魔法の城だから?」
「それもあるな」
「魔法使いだから?」
「まあ、そうだな」
2人は、話すうちに中央の大きな鏡までやってくる。
「おや、姫君と会えましたな」
「ええ」
「こんにちは、昔の王様」
「こんにちは、遠い時の姫君」
「怪魚の名前は、ミラーリミラーリイクテュース。迷宮の鏡魚ですわ」
「ほほぅ!姫君よ、なんとご親切な」
王様は大きく手を打って喜びを表す。だが、改めて鏡の外に眼をやると、顔を曇らせた。
「王様?」
プリムローズは心配そうに声をかける。可愛らしい声が広間に反響した。2人についてきた怪魚が鏡の海を抜けて跳ねる。天井を抜けた怪魚は、壁へと飛び込み潜る。廃墟の王様は、虚な目でその様子を眺めている。
「妃も王子も王女も弟たちも友達も家来も、愛馬も犬猫ですらもういない。今更現世へ出て行って、一体どうなる」
「王様」
「いざ怪魚の名を知って、現実が見えてしまったのじゃ。鏡の外を見よ。住まう城とてもうありゃせぬわ」
「ですが王様。外に出れば墓場の跡地に行かれますよ」
王様の目に弱く光が戻る。
「おお、確かに。墓参りはせねばの」
「そうよ、王様。ねえレシィ、お城を元には戻せないかしら?」
「戻しても、お世話する人々が居ねえと」
「さよじゃ。城は1人には広すぎるぞよ」
「じゃあ、そうねえ」
プリムローズは、フォレストを見上げる。フォレストは姫の緑色の瞳を見つめて、いつものように口を曲げた。
「チッ、森の民を探すか」
「えっ、森の民?」
「王様のご先祖だよ」
「そうじゃな、余は先祖返りじゃ、寄せて貰えれば恩の字じゃなあ」
「森の民って今でも居るの?」
「さあなあ。精霊の眠る洞窟を守る村なら、なくなることもねえとは思うが」
姫は王様の昔話を聞いていなかったので、納得出来ない顔をした。
「それもいいけど、今度こそ怪魚の名前をメモしておけば、鏡の迷宮に住み続けることも出来るんじゃない?」
「む!」
王様はびっくりしたように大きな声を出す。
「その手があったか!」
そしてまた、王様の顔が暗くなる。
「しかし、この迷宮にある物はみな鏡に映った幻影じゃ」
「じゃあ、森の民を探す?」
「ううむ、不確かではあるが」
「ねえ、旅をするなら現代のお金がいるんじゃない?」
王様はガッカリする。
「余は既に身ひとつじゃ。金に変えられる物も残ってはおらぬ」
「ここに住むしかないのかしらねえ」
「ここに居れば食べ物も要らぬしの」
「まあ、気が向いたら旅に出ればいいですよ」
フォレストは、大魔法使いの感覚でものを言う。だが、手詰まりの王様にとっては、そうした気楽な言葉が救いになった。
「すまぬが、メモを書く道具を譲ってはくれぬか?」
「レシィ、書く物ない?」
「おう」
フォレストは虚空から羊皮紙と羽ペン、そして魔法のインクを取り出した。
「このインクで書いた文字は消えることがねえ」
「ほほほぅ!これはこれは、ご親切な!重ね重ね御礼申すぞよ」
「まあ、勿体ないお言葉ですわ」
王様は気弱で優しい人だった。王者の力を誇示する炎石をバックルに嵌めては居るが、魔法使いや遠国の姫に礼をつくす。フォレストは、せいぜい褒めて遣わすとでも言われるかと思っていた。
「楽にせよ、200年ぶりの客人よ。わが花の国は、客人を敬う伝統があるのじゃよ」
怪魚の丘一帯の国は、花の国と言うようだ。昔、丘の麓にあった花畑の集落が国となったからだろう。
「最も、このような幻と廃墟では、おもてなしも儘ならぬがのう」
申し訳なさそうな王様は、不甲斐なさに肩を落とす。
「それで、魚の名前は何と言うたかの」
「え、もう忘れてしまわれたの?」
「いや、長ぇだろ。いっぺんじゃ覚えられねぇ」
「最初の時は言えたのでしょ?」
「商人が隣に居ったからの」
「そうだったの」
プリムローズは、一音ずつ伝えることにした。王様はフォレストから筆記用具を受け取って、怪魚の名前を書きつける。
「うむ、これでよし。ミラーリミラーリイクトゥース」
王様の目の前で、姿見を飾る小さな怪魚が赤黒く光った。
「ほほぅ!扉が開くな?」
「ええ、そのようです」
「参りましょう、王様」
王様と一緒にフォレストとプリムローズも鏡の迷宮から廃墟へと出る。フォレストは魔法の流れに乗り、プリムローズは怪魚の力を借りた。鏡の迷宮の鍵は、1人にひとつずつ必要なのだ。
「ここが、わが城じゃ」
鏡から出ると、王様は傾いた現世の鏡を眺めて呟いた。
「見てはおったがの」
悲しそうに首を振り、言葉を切って立ち止まる。
「はあ、墓はあちらじゃ、世話になったの」
「わたくしたちも、お供いたしますわ」
「ああ、お参りさせていただければ」
「客人」
王様は涙ぐむ。
「よろしくてよ?」
「かたじけない。こちらじゃ」
王様は方向を正確に覚えていて、すっかり様子の変わった城跡を迷わず進む。途中、土に埋もれた丸いものを拾う。
「ほれ、影を作る道具じゃ。思えばこれも怪魚も、同じ魔法商人が持ってきよったものよの」
「やっぱり、ただの商人じゃなかったのね」
魔法商人とは、魔法存在を顕現させ取引できる特殊な一族のことである。今も昔も謎に包まれ、世界を旅して滅多に会うことが出来ない。生きた怪魚の取引など、普通の商人には無理な相談だった。
「彼らの先祖も森の民での、花の国とは懇意だったのじゃ」
「あら、それなのに助け出さないなんて」
「魔法商人にはルールがあるのじゃ」
「ルール?」
「一度手放した物には手出し口出しをせぬ掟じゃ」
「魔法が関わるからな」
「どういうこと?」
プリムローズは、魔法についてまだ知らないことが多い。フォレストが簡単に説明する。
「魔法の道具や魔法存在は、持ち主が1人じゃねえと、命令が混乱したり渋滞したりすんだよ」
「壊れる元じゃ。事故も怖い」
「持ち主以外が直すなら慎重にやんねえとやべぇ」
「あら、でも、ここの迷宮には何人も入れたわよ?」
プリムローズは疑問に思う。
「物によっては、鍵が有れば一つのものを何人かで使えるのじゃが、魔法商人の掟に例外はないのじゃ」
「まあ、たくさんの魔法を扱うからな」
「それに、客人がたは大魔法使いのようじゃしの」
「どういうこと?」
「魔法商人は、魔法商品を扱う魔法が使えるだけだからな」
魔法というものは、限定条件が厳しいようだ。フォレストはいとも簡単にさまざまな魔法を使う。プリムローズも試せばすぐに新しい魔法を覚える。だが、それは特殊な例だったのだ。
「そうね、忘れていたわ」
お城で働く魔法使いたちは、それぞれ一つしか魔法を使えなかった。それで精一杯だと、口を揃えて言っていた。魔法商人が出来るのは、「売ること」だけ。それで、次に花の国を訪れた時にも王様を助けられなかったのである。
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