13、プリムローズは万魔法相談所の助手になる
翌朝早く、プリムローズは1人でベッドを抜け出した。その時間は、毎日こっそり散歩をしている。マーサはぐっすり眠っているので全く気づいていない。毎日、マーサが起き出すより前に姫は再び布団に潜り込む。
同じ時間帯、王様は運動に勤しんでいる。姫もそれを知っている。
(いたいた)
姫は護身術の授業用に誂えた動きやすい服装である。これは1人で脱ぎ着できるのだが、皆には内緒だ。1人でなんでもしてしまうのは、王族の威信に関わるのだと聞いている。
(そんなの面倒くさいけどね)
好奇心旺盛なプリムローズ姫は、幼い時から探検三昧だ。いろいろな身分や仕事の人の生活を知っている。
(姫に生まれちゃったんだもの。仕方ないわね)
ひょいひょいと生垣や回廊沿いの花壇を飛び越えて、姫は王様の元へゆく。
「こら、なんじゃ、やめんか姫!はしたない」
王様は姫のお転婆を見咎めて喚く。
「お父様!私、フォレストさんのお弟子になりますわ!よろしくて?」
「魔法便利屋の?」
王様はギョッとして素振りの手足を止める。
「そうよ!わたくしも大魔法使いになりますの」
「何を言い出すかと思えば」
王様は困惑している。
「魔法って、面白いのよ、お父様」
「だからと言って」
「ねえ、ご覧になって?」
プリムローズはさっと猫になる。王様はギャッと叫んで飛び退る。姫はするりと人に戻ると得意そうに笑った。
「ふふふっ、どう?誰にも習っていないのよ?独りで出来たのよ?これなら、フォレストさんもお弟子に取って下さるわよね?」
自信満々の姫に、王様は煩悶する。
「ううむ、便利屋がいいと言うなら」
姫は可愛い末っ子である。猫になられるのは適わないが、王様はプリムローズに激甘だ。
「ありがとう、お父様」
「むむ、しかし、猫はやめてくれ」
「そうねえ、考えておきますわ!」
「これ」
「朝ごはん何かしら!お腹空いちゃったわぁ」
姫は王様の言質を取ると、さっさと部屋に帰って行った。
一方その頃、一件落着して一夜明けたフォレストは、ボサボサ頭で大欠伸をしていた。のそのそ起きて支度をしながら、昨日のことを思い出す。
(昨日は、目まぐるしい1日だったなあ)
緑の瞳が記憶の中で谷間の清流のようにきらめく。フォレストの胸はどくどくと暴れ出す。瞳を彩る薄紅の頬、渦巻く金の長い髪。そよぐ枝葉に紛れるようにマーマレード色の猫となって、しなやかに走る。
突然猫にされ、槍や刀で追い回されて、カラスに襲われ嵐に打たれた。それでも自分に起こったことの真相を求めて、毅然と苔桃谷の魔女を訪ねて行った。
(猫が姫だが、姫が猫なんだか。まったく勇敢な姫猫様だったよ)
フォレストの口元がむずむずと揺れる。
(可愛いかったなあ、今ごろ起きたかな。活発な姫様のことだから、朝食前に壁でも登っているかも知れねぇな)
フォレストは可笑しくなってフッと笑った。それから、一昨日の晩出会ってからのあれこれを思い出す。不器用にミルクまみれの口でくしゃみをする仔猫姿。ハムを嬉しそうに齧る姿。ハイとイイエを示して真面目に手を上げ下げする姿。人に戻り、流れる金の髪。活き活きと輝く瞳。明るくよく響く声。優雅な仕草で川魚にかぶりつく麗しの唇。
(また会えねぇかなあ)
フォレストは後ろ髪を束ねながら頬を染める。
(会いてぇなあ)
魔法の扉をいとも簡単に「逆から」開いたことも思い出す。
(出て行くのは王族と魔法使いなら好きなところに繋がるが、入るのは、慣れた魔法使い以外は入り口用の扉からじゃねえと無理なんだがな)
それを、お側の者たちやお世話係の侍女たちに取次を頼むこともなく、自分でさっさと開けてしまった。自室の扉をあっという間に魔法の部屋へと繋げていた。
(とんでもねえ逸材かもな。それとも扉の魔法使いか)
楽しそうに眉をピクピクと動かしながら、フォレストは青い鎧戸に手を伸ばす。
フォレストが窓を開けるとマーマレード色の仔猫が飛び込んできた。仔猫は見る間に姫となる。プリムローズは自力で変化の魔法を身につけて来た。しかも一晩のうちに。
「ねえ、わたくしを弟子にしてちょうだいな」
「え、いや、それよりメシは」
フォレストは混乱してどうでも良いことを訊ねる。
「あら、レシィったらお寝坊さんね」
「え、朝はもう食ったのか」
「いただきましてよ」
姫はフフンと胸を張る。
「お父様の許可は頂いてるわ」
プリムローズはフォレストの目を真っ直ぐに見つめる。
「魔法で何がしたい」
フォレストの質問に、姫は即答する。
「いろんな魔法を覚えたいのよ、魔法って楽しいわ」
それから、昨日お城で魔法について学んだことをフォレストに伝えた。姫は、ただ純粋に魔法が好きなのだ。
「そうか」
フォレストは短く言うと、自分の朝食を用意した。姫に椅子を勧め、自分は立ったままでいようとする。
「悪いわ」
「姫様を立たせるわけにはいかねえし、別の椅子は持ってねえし」
虚空から物を取り出すのは、自分の持ち物を取り寄せているだけだ。元々持っていない物は取り出せない。
「悪ぃ、朝飯食わしてくれ」
「ごめんなさい、明日から時間に気をつけるわ」
「明日も来んのか」
「お弟子にしてはくださらないの?」
「いや、とにかくちょっと待て」
フォレストは簡単な朝食を口にして、ようやく自分を取り戻す。
「それで、猫化と扉以外になんか覚えたのか?火と灯りと散水だったか」
「それはお話を伺っただけよ」
「なんかやってみなよ」
「そうねえ」
姫は小首を傾げて考える。フォレストは凝視する。
(あああ、角度)
菫色の瞳の奥で、大男の頑丈な心臓が破裂しそうになっている。視線に気づいて、姫はフリルレースに飾られた襟首までも真っ赤に染まる。
「可愛い」
フォレストの気持ちが漏れて、はっと大きな手で口を覆う。
「嬉しい」
姫がはにかみもじもじと手指を動かす。昨日一日運んでもらった風の籠が、姫の脳裏に去来する。薄紅色の繭がゆらゆら揺れて、頭の中で消えたり見えたり。優しくて可愛らしい、魔法の風で編んだ繭だった。
姫はドギマギしながらフォレストを見ているうちに、いつのまにか風の籠を作り上げていた。
「凄えな」
フォレストは称賛する。
「やべえ、俺、姫様好きだわ」
「ありがとう、私もよ」
2人は勢いで白状してしまう。
「あ、いや、済まねえ、ええと」
フォレストは昨日会ったばかりの姫君にそんなことを言う無礼さを恥じた。姫もはしたないかな、と反省する。
「いえ、わたくしこそ、ごめんなさいっ」
プリムローズは誤魔化すように仔猫となって、今作り出した繭に隠れてしまう。フォレストは、姫の様子に思わず籠を掻き抱く。それからすぐにハッとして籠を下ろした。
「チッ」
考えるより先に動いてしまい、フォレストは自分自身に舌打ちをする。姫はなんとなくフォレストの気持ちを理解した。
(やっぱりレシィは可愛い)
椅子に下ろされた籠から這い出した姫は、ひらりと床に降り立つ。一旦目を閉じて、すっと立ち上がると人の姿でフォレストを見た。その瞳に決意を認め、フォレストはたじろいだ。厳つい顔の眉間に深く皺がよる。
「少しは貴方に近づけたかしら?」
「すぐに俺なんか追い越しちまうぜ」
別に不満なわけではないが、口をへの字に曲げるフォレスト。
「ねえ、先生を渾名で呼んでいいなら、弟子の私だって愛称で呼んでいただかなくちゃいけないわ」
「姫様は姫様だろう」
フォレストは慌てた。
「魔法使いとしては、あなたは遥かな高みにいらっしゃるのよ?」
「そうでもねえよ。姫様の才能は特別だぜ?」
憮然として見下ろすフォレストに、姫はずずいと距離を詰めた。そして、城壁に張り付いて動き回るとは思えない、ほっそりと白い手で、フォレストの長い指にちょっと触れる。抗議のつもりで突いたのだ。
「姫様」
高貴な姫から急に触れられ、フォレストは咎めるような声を出す。そして自分の大きさを忘れたのか、大きく一歩後ろへ下がる。机がガタリと傾いた。
「リムよ」
「いや、でも」
「リムなの」
プリムローズはフォレストを睨みつける。
「レシィ、リムです」
「チッ」
フォレストはとうとう降参した。
「はあ、わかったよ、リム様」
「まあ、それでもいいわ」
姫は、様が付いているのを不満そうに受け入れた。
その時、フォレストが視線を少し上げた。
「悪ぃ、お客だ」
「え?」
「チッ、朝っぱらから千客万来だな」
フォレストは嫌そうに鼻に皺を寄せた。
「わたくしも、早すぎましたわね」
姫がシュンとする。
「でも、ちょうどいいや。見学してくか?万魔法相談所にお客が来たぜ」
一階のドアには魔法がかけてあって、お客が来ると分かるようになっているらしい。
「ええ、勿論よ」
プリムローズは喜んで同意する。フォレストは藍色地に銀刺繍の豪奢なマントを羽織って乱暴にドアを開けると、のしのしと階段を降りてゆく。プリムローズもついて降りる。
「よーう、お早ようレシィ!」
フォレストよりは高いが姫よりは低い声が、階段の下から呼びかける。下を覗けば、ふわふわと柔らかそうな茶色い髪のつむじが見えた。丸顔だが鼻筋は通っていて、人懐こそうな青い瞳がプリムローズを見つけてやや下がる。
「んーっ???すっげぇ可愛いじゃん!依頼人?」
プリムローズは、何故だかほっとした気持ちになった。大好きで尊敬するフォレストと向き合い、嬉しいけれど緊張していたのだ。そこへ、どこか境界のない青年がふっと脱力させてくれたのである。
(不思議な人ね。いきなりそんなこと仰るなんて、失礼な筈なのに)
フォレストは残りの階段を一息に飛び降りると、客人の前で腕を組む。
「チッ、助手だよ!朝っぱらからうるせえな」
(じょ、助手!弟子より上じゃない?ええ?本当に?)
プリムローズは階段の途中で一瞬足を止める。
(だって、助手よ?弟子はほら、生徒でしょ。助手は仕事のお手伝いをする人よ?いいのかしら?え?本当に?)
挙動不審になっている姫をよそにして、一階の青年2人は話し始めた。
「なんだよー、レシィ。そんなに睨んでるとモテないよ」
「ああ、もう、ティムは。何しに来た」
(愛称で呼び合う仲なのね?)
プリムローズは、一段ずつ階段を降りながら2人の様子を観察する。
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