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姫は猫、魔法使いは大男  作者: 黒森 冬炎
第一章、姫と魔法使い
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1、プリムローズ姫、仔猫になる

 ここは平和な王国エイプリルヒル。水清らかに天高く、緑の野山に動物たちが戯れ遊ぶ。石畳の街を抜ければ、高台には白亜の可愛いお城があった。


 このお城に住んでいるのは、


 猫の嫌いな王様

 鳥の好きな王妃様

 花の好きな兄王子様

 犬の好きな弟王子様

 魚が好きな末姫様


 末姫様の名前はプリムローズ。波打つ髪は黄金の海を思わせる。カールした睫毛に縁取られた緑色の瞳を見た者は、神秘の水底を覗く心持ちがした。小さな鼻は愛嬌があり、花びらのような唇からは、可愛らしい声が漏れてくる。健康的な丸い頬をいつも愉しげに上気させ、しなやかな四肢は妖精の踊りの如く動き回る姫だった。


 プリムローズは、皆に可愛がられてのびのびと育っていた。桜草の咲く頃、16歳のお誕生日を迎えるプリムローズ姫。お誕生日は、近隣諸国の王子様を招待して花婿選びとなる予定だ。


「姫様、もうすぐお誕生日ですね」

「素敵な方と出会えるかしら」

「会えますよ」

「御伽噺みたいな不思議な恋をするかしら」

「運命のお方と出会うかもしれませんね」


 お世話係の侍女マーサに髪を梳いてもらいながら、花の乙女は素敵な恋の夢を見る。


「さあ、もうおやすみください」


 姫様がベッドに入るのを見届けて、マーサはそっと部屋を出る。



 翌朝、カーテンを開けに来たマーサが悲鳴を上げた。プリムローズは目を覚ます。


 どうしたの?


 と言おうとしたのに、口から出たのは違う音。


「みゅうぅ」


 プリムローズは驚いて目を丸くする。

 周りを見れば、肌触りの良いシーツが視界一面に広がっている。地模様に織り出されたプリムローズ姫の桜草紋がいつもの何倍にも大きく見える。調度品は全て巨大で、首を回せばマーマレード色の渦巻く毛並みが見えてきた。



(髪の毛が短くなってしまったわ)

(手足はなんだかモコモコするのね)

(匂いは随分と強く感じる)



「あぁー!誰かっ!姫様がっ!攫われましたっ!替わりに猫がぁーッ」


 マーサが叫びながらドアを全開にする。それから暖炉に駆け寄って、マーサは火かき棒を引っ掴む。このお城の住人は、殆どの者が猫嫌い。特に王様は大の猫嫌いなので、猫の毛一本見つけてもお城はパニックなのである。



 マーサの大騒ぎですっかり目が覚めたプリムローズ姫は、きゅうっと伸びを済ませてベッドから飛び降りた。高さが少し怖かったけれど、なんだかいける気がしたのだ。

 果たして、プリムローズは音もなくしなやかに着地した。


(わたくしったら、なかなかね!)

(猫になったというならば、自分でお魚を捕まえられるかしら)


 プリムローズはワクワクして髭をピクピク動かした。



「えいっ」


 マーサの掛け声と共に、黒い火かき棒が目の前に振り下ろされた。


(酷いわ)


 プリムローズはからくも避ける。そこへ、衛兵や侍女たちが駆け込む。


「姫様っ」

「きゃあーねこーッ」

「出て行け」

「不潔です!皆さん触らないようにッ」


 掃除係の箒や衛兵の槍が降ってくる。


(まあっ失礼しちゃうわ)


 プリムローズ姫はプンスカ怒りながら逃げ出した。廊下に出ると衛兵が剣を抜き追ってくる。廊下に並ぶ大きな扉が次々に開く。音を立てて開かれる扉からは、お城で働く人々が手に手に得物を構えて飛び出してくる。


 壁を蹴り、飾り壺をひっくり返し、火の消えた魔法の松明を落とす。この松明は魔法で灯りを点す仕組みだ。猫になった姫君が何か物を落とす度に、大きな音が白い石の壁に反響して、強大な悪霊のように人々を脅かす。朝の支度に忙しい侍女の中には、気を失う者もでた。



「猫だー!捕まえろーッ」


 プリムローズ姫は、長い廊下を走る。絶え間なく突き出される棒状のもの、布、網、手や足を、するりするりとかいくぐる。突き当たりを曲がらずに、くり抜き窓に飛び上がる。窓から思い切り飛ぶと樹に着地する。


「猫がいるぞ」

「この木だ」


 廊下にいた衛兵が、窓から下にいる巡回員や掃除人に叫ぶ。その辺りにいた下働きの者たちが、木の上にいるプリムローズのほうへ石を投げてくる。


(ちょっと、危ないじゃないの)


 プリムローズは怒ってしっぽを膨らます。石を躱して木を降りると、庭園に逃げ込む。ところが、庭に出れば棒付きの網とサスマタを構えた庭師が迫る。必死で走れば庭園の巡回騎士に首根っこを掴まれた。


「捕まえた」


 そのまま運ばれて城外へと捨てられる。プリムローズは力一杯抗議の声を上げる。


(入れてよ)

(わたくしよ)


「しつこいな」

「煩い」

「王様は猫がお嫌いなんだ」

「あっちへ行け」


 そこへバサバサと羽音もやかましくカラスが襲ってきた。


(きゃーっ)


 プリムローズ姫は必死で逃げる。小さな足を絡ませそうになりながらも、執拗に狙ってくるカラスを僅差で交わす。やがて人々の行き交う賑やかな通りに辿り着く。カラスは人間に追い払われた。



 城下町の喧騒は、小さな身の上では恐ろしい。大木のような足がひっきりなしに通り過ぎてゆく。次第に周囲の大きさに慣れてくる。そうなると、何があるのかも分かるようになる。


 雑踏を避けて慌てて馬車の下に潜り込むが、馬車はすぐに動き出す。姫は車輪の音に驚いて、灰色の石畳を斜めに走る。


(ここはどこなの)


 ぐんと首を伸ばせば、朝まで暮らしていたお城が見える。


(帰らなきゃ)


 プリムローズ姫は、遠くに見えるお城を目指して歩き出す。柔らかな仔猫の足裏が、硬い石畳に擦れて痛む。爪や肉球の間から生えるマーマレード色の巻き毛は、擦り切れて灰色に汚れた。人々が立てる埃が全身を覆い、時には果物の皮やナッツの殻が飛んできてぶつかった。


(お城に戻れば、きっと大丈夫)


 プリムローズ姫は口をキュッと結ぶ。


(お父様がなんとかして下さるわ)


 けれど歩いても歩いても、お城は近くならない。道沿いに建つ家々の窓辺には、菫の花が呑気に咲いている。香ばしいパンの香りを運ぶ風は冷たい。プリムローズは鼻をひくつかせた。


(湿った匂いがするわ)


 見上げれば曇り空。黒々とした雨雲があっという間に広がってゆく。


(寒くなってきたわね)


 石畳みにポツリポツリと雨粒のシミが増えてきた。市場の売り手が慌ただしく店仕舞いを始める。雨は点から線になり、次第に強く落ちてくる。


(前が見えない)


 ザァザァと雨は音を立て、車輪も靴も水を跳ね返す。何度も水をかぶりながら、プリムローズはそれでも歩く。


(雨が痛いわ)


 だんだん足が重くなる。濡れた毛もまとわりつく。


(少し休みましょう)


 すっかり人気のなくなった道の端に寄る。石畳みの間を雨水が川のように流れてゆく。坂道なので、かなり勢いよく流れ落ちる。


(階段)


 3段ほど上がれば玄関ドアの庇が見える。ドアは庇があるうえに、窪んだ所についている。風が出ているので雨は届くが、道端よりはマシだ。


(えいっ)


 仔猫の身には一段が高い。なけなしの体力で敷石を蹴るが、細い爪は虚しく段の角を引っ掻く。パシャンと音を立てて背中から道路に落ちた。


(もう一度)


 数回繰り返すが、その度に転がってしまう。


(疲れたわ)


 槍衾のように雨が降る。プリムローズは、石段の下に蹲ってしまった。




 目を閉じてじっと震えていると、重たい歩みを思わせる水音が近づく。随分と荒っぽい歩き方だ。城下町の巡回騎士だろうか。町の外にまで追い出されるかもしれない。だが、もう逃げる気力もない。


(瞼が重い)


 目も開けられず、プリムローズ姫はじっとしているよりなかった。


(ああ、もうだめだ)


 突然首根っこを摘まれて、体が浮いた。お城の騎士に捕まった時よりも高い。


「チッ」


 雨音に混じって盛大な舌打ちが聞こえる。弱々しく暴れてみれば、体から水が飛び散った。


「冷てっ」


 野太い男の声がした。やはり捕まったのか。


「おい、大人しくしろ」


(ごめんだわ)


 プリムローズは爪を出す。身を捩って手を噛もうとする。


「チッ」


 勢いよく体が揺れて、分厚い布に包まれる。


(あら?)


 目は開かないが、持ち上げた人間の匂いが強くなる。心臓の音が大きく聞こえる。どうやら、懐に抱き込まれたようだ。


(何なの?この人濡れちゃうじゃない?)


 ガチャリとドアが開く。男はプリムローズを懐に入れたまま、屋内に入ったようだ。


(何だか落ち着く匂いね)


 男の体温と心臓の音が眠気を誘う。


(冷えた身体で寝たら死ぬわ)


 プリムローズは細い爪を必死に出して、眠らないようにしがみつく。


「痛てぇ」


 野太い声が文句を言った。プリムローズがジタバタすると、少しだけ外が見える。毛についた雨水が垂れてきてあまり良くは見えないが。



 部屋の中には手前にカウンターがあるだけだ。カウンターの向こうは特に何もなくがらんとしている。カウンターの上に看板のようなものが下がっている。


(よろず)魔法相談所?胡散臭いわね)


 他には本当に何もない。


(引っ越してきたばかりかしら?)


 カウンター内の右手に階段が見えた。片手を出して伸び上がろうとすると、再び懐に押し込まれてしまった。男は無言で進む。



(揺れるわね。階段かしら)


 プリムローズはまだ震えている。布の上から大きな手で押さえつけられ、少し息苦しい。仔猫になった姫様は低く唸る。


「チッ」


 また舌打ちが聞こえる。


(わたくし、魔法の実験に使われるのかしら)


 プリムローズ姫は俄に恐ろしくなる。やがて鍵を開ける音がして、プリムローズは懐から出された。思わずブルブルっと水を払う。


「やめろっ」


 やっと目が開く。見上げると男は立派なマントを壁に吊るすところだった。藍色の綾織サテンで誂えたマントは、銀糸の単色刺繍で埋められている。刺繍は、大木と唐草模様に果物や小鳥が賑やかに戯れている情景だった。


(何をするつもりかしら?)


 プリムローズは警戒して身を低くする。男は奥の部屋に入って行き、布を持って戻ってきた。それからまたプリムローズを摘み上げ、乱暴に毛を拭いた。


(え、ちょっと、貴方も濡れてるじゃないの!)


 プリムローズは驚いた。やや伸びた銀色の髪から水を滴らせながら、大柄な若い男がせっせと仔猫を拭いている。たいそう不機嫌な顔つきだ。口はへの字に曲がり、眉間に縦の皺が寄る。太い銀色な眉は吊り上がり、短い睫毛には雨の雫が光っている。


(あら、キラキラしてちょっと綺麗)


 屋内にある仄かな青い魔法灯を反射しているのだ。


(お城の魔法灯よりずっと美しい光だわ)


 魔法の力で点けたり消したりする魔法灯は、高級なものほど明るい。光の色も透明だ。お城にある松明型の魔法灯にも透明な火が燈る。この部屋の魔法灯は光も弱く色も付いている。しかし、小さな部屋にふさわしく、温もりのある感じがした。



お読みいただきありがとうございます

続きます

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