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とある茶番劇の華麗ならざる舞台裏  作者: 海野宵人


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茶番劇の舞台裏 (2)

 それからノアは、少し真顔になって言葉を続けた。


「そもそも、シーニュの狙いは兄さんなんだよね」

「どういうこと?」


 話のつながりが見えないレーナは、眉根を寄せる。


「今回の件で、兄さんはシーニュでも英雄扱いだからね。国民の人気取りのために、父さんたちに爵位を戻して兄さんをシーニュに引き入れようって魂胆なんだと思うよ」

「え? シーニュでもって言うけど、あれからまだ一週間ちょっとよ?」


 ノアの話にレーナは首をかしげた。

 シーニュの王都とは、馬車で一週間以上かかる距離がある。そろそろこの国の状況が伝わっている頃なのはわかるとしても、それをノアがすでに知っているのが不思議だった。

 ノアは、こともなげに肩をすくめる。


「とっくにあっちの新聞でも取り沙汰されてる」

「よくご存じなのね」

「ふふ。船乗りは情報が早いのさ。ほら」


 テーブルの上に置いてあった新聞を拾うと、ノアは得意顔でレーナに手渡した。

 それはシーニュの新聞で、レーナが日付を確認すると三日前のものだった。彼女の驚きを読み取ったのか、ノアが笑みを深くする。


「ここからシーニュの王都まで、船なら二日なんだよ」


 一般的に船のほうが早いのはレーナも知っていたが、そこまでの差があるとは思っていなかった。どちらの王都も港に近いからこその差ではある。


 新聞を広げると、ノアの言うとおり今回の事件が一面を飾っていた。

 ただしシーニュの新聞なので、当然のことながら一番に焦点が当てられているのはシーニュ国内での逮捕者についてだ。


 次いで、レーナの祖父母たち一家が二十数年前の事件を生き延びていたことを伝える記事も、大きく取り上げられている。当時の逃亡劇の詳細までもが記事になっていた。つまり、その立役者となったヨゼフについての記事に紙面がかなり割かれているのだ。

 なるほど、これは英雄扱いと言うほかない。


 古い話であるにもかかわらず妙に詳細なのは、おそらく王太后が新聞社に情報を流したのだろう、とノアは言う。当時の国王の放った追っ手の非道ぶりを明らかにすることで、クーデターを起こして政権を奪取したことの正当性を主張できるからだ。

 ただしその後の外交強攻策により、黒幕の武器商人の懐を肥えさせてしまっていたわけなのだが、そうした現シーニュ王家に都合の悪い点についてシーニュの新聞では一切触れられていなかった。検閲が仕事をしたのだろう。


 ひととおりざっとシーニュの新聞に目を通すと、レーナは叔父に尋ねた。


「お祖父さまは、何とおっしゃってるの?」

「兄さん次第だって。つまり戻る気ないね」


 レーナは再び首をかしげた。


「どうしてお父さま次第なの?」

「だって長男だし。大黒柱だもん」


 レーナは眉根を寄せる。

 一家の稼ぎ頭なのは実際そのとおりだが、「長男」のわけがない。レーナの実母と結婚したからといって「長男」にはならないだろう。


「長男は叔父さまでしょ」

「何言ってんの。レーナには僕が兄さんより年上に見えるの?」

「見えないけど、そうじゃなくて」

「うん? ────ああ」


 今度はノアが首をかしげたが、ややあって何かに思い当たったようにうなずいた。そしてどこか遠くを見る目で楽しそうな笑みを浮かべ、説明する。


「シーニュを出る前に、兄さんはうちの養子になってるんだ。だから兄さんも、ほんの少しの間だけどジョゼフ・ド・アントノワだったんだよ」

「へえ。そうだったの」

「うん。まあ、あっちでは養子にしたことは内密にしてて、正式に手続きしたのはこっちに来て平民になってからなんだけどね。いずれにしても、今は普通に長男なわけ」

「なるほど」


 レーナの知らない家族の歴史が、またひとつ披露された。

 きっと他にも、知らないことはたくさんあるのだろう。二十数年前に隣国を捨ててこの国に渡る決意をしたときから、いったい何があったのか、いつか詳しく聞いてみたい気がする。


 すでにこの国に生活基盤を築き上げているヨゼフが、わざわざ隣国に移り住む理由はない。そして祖父母も叔父も、ヨゼフがこの国にとどまるなら、敢えて今さら故国へ戻ろうとは思わないということらしい。爵位にも領地にも、まったく未練はないようだ。

 大好きな人々に国を離れるつもりがないと知って、レーナはホッとした。


 ひとつ気がかりが解決したら、またひとつ気になっていたことを思い出してしまう。


「ねえ、叔父さまは、誰が逮捕されるかご存じだった?」

「いや、事前には聞いてなかったよ」

「知っている人が逮捕されると、何だか複雑な気持ちにならない?」

「ああ。パウル・ボルマンか」

「うん」


 パウル・ボルマンは快活で人当たりがよく、他の教師が嫌がる学校行事での雑用も進んで引き受けていたため、学生からも教師からも評判がよかった。逮捕されたとの知らせを聞いて、誰もが「なぜ」と驚いたものだ。


「まあ、僕は何か言えるほどの知り合いじゃないからなあ」

「そうなの? でも先生は、叔父さまのことを結構ご存じみたいだった」

「そうなのか」


 ノアはしばらく昔の記憶をたどるように窓の外を眺めていたが、やがてレーナのほうを振り向いて口を開いた。


「僕さ、奨学生だったんだよ」

「うん、前に聞いた」

「兄さんから仕送りももらってたけど、なるべく負担かけたくなくて、寮で小遣い稼ぎしてたんだ」


 稼ぐ手段は、試験対策だった。試験問題に模範解答をつけて、その写しを下級生に販売したと言う。


 学院の定期考査では、試験の開始時に教員が黒板に試験問題を書く。

 学生は答案用紙に、問いの番号とともに解答を書く。このときわざわざ試験問題を答案用紙に書き写す者はいない。レーナだって、したことがない。時間の無駄だからだ。しかしノアは、一字一句すべて書き写した。その分だけ解答時間が減ることになるのだが、そこは金のためと割り切った。


 こうしてノアは問題文を手に入れ、試験終了後に模範解答をつけて、下級生に販売したのだ。

 ノアは「模範解答の作成は、ちょうどいい復習になったよ」と笑う。


 だいぶ吹っかけた価格設定だったにもかかわらず、飛ぶように売れたばかりか、予約が殺到したらしい。写しはすべて手書きで作成するため、とてもひとりでは回しきれず、奨学生仲間に写し作成の下請けを出すほどだったと言うから、ちょっとした事業だった。


「あまり自慢できるようなことじゃないから、今まで話したことはなかったんだけどさ」


 そうだろうか。

 知恵と工夫と根性で立派に小遣いを稼いでみせたのだから、誇ってよいことのようにレーナは思った。でも教師の目には、あまり感心しないこととして映りそうなのも、理解はできる。


「あくまで想像だけど、パウルはそれと同じような感覚で手を染めちゃったのかもしれない」


 パウル・ボルマンは、裕福な商家の跡取りとして何不自由なく育ったはずだ、とノアは言う。学生時代も、見るからにノアとは金銭感覚が違ったそうだ。


 卒業後パウルは、美術の道に進むために跡取りという立場を捨てた。

 ところが画家としては大成せず、結局は学院の教職に就くことになる。教員の給与は決して世間的に見て少ないほうではないが、跡取りだった頃の生活水準を維持するにはもの足りない。それで手っ取り早く金になる「副業」くらいのつもりで署名の偽造を引き受けてしまったのかもしれない。

 そうノアは自分の想像を説明した。


「本当のところは、本人にしかわからないけどね」

「うん」


 偽造された署名がどう使われたかを考えると、どうしたって許せることではない。

 けれどもやっぱり、レーナはあの明るく誰にでも愛想のよい美術教師が嫌いではなかった。それがとても、悲しかった。

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