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とある茶番劇の華麗ならざる舞台裏  作者: 海野宵人


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卒業夜会 (3)

 国王の挨拶が終わるまで静かにレーナの隣に立っていたアロイスは、国王が退出するとレーナの耳もとに口を寄せ、ささやき声で話しかけた。


「さっきはハインツとずいぶん楽しそうに話してたけど、何の話をしてたの?」


 その問いにはなぜか、かすかながら険が含まれているように感じられた。そのことに驚いて、レーナは目を瞬く。いったい何がアロイスの気に障ったのだろうか。

 そっとアロイスの顔色をうかがうと、彼は一瞬我に返ったように真顔になってから、ややきまり悪そうに言葉を継いだ。


「ごめん。差し障りのある話なら、無理には聞かないよ」


 ああ、そうか、とレーナは思った。これはきっと、焼きもちだ。

 そう思ったら、胸の内に何やらふんわり温かいものがこみ上げてきて、自然に口もとがほころんだ。なんてかわいい人だろう。うれしさとか、愛しさとか、面はゆさとか、そんな気持ちでじわじわと胸がいっぱいになっていく。

 レーナは小さな頃によくしたように、アロイスの腕に自分の腕をからませた。


「うふふ。アロイスさま、大好き」


 アロイスは驚いたように目を見張ったが、すぐにうれしそうに笑って腕を引き抜き、「うん」という相づちとともにレーナの肩に回して抱き寄せた。

 隠すような話でもないので、レーナはハインツとの会話内容を明かす。


「ハインツさまとのお話は、別に全然内緒じゃありません。これから夏休みだから、絵を描く暇があるよねって言われただけなんです」

「あいつ、まだ諦めてなかったのか」


 アロイスはレーナの返事を聞いて、吹き出した。


「そうみたい。だけど、今回は陥落しちゃいました」

「おや、どうして?」

「提示された報酬が魅力的だったから」

「ふうん。何だったの?」

「大学の入学式での参列用に、特等席を用意してくださるんですって」

「権力の濫用じゃないか」

「ね」


 アロイスと話しながら周りを見回すと、ダンスが始まっていた。

 シナリオから完全に解放された今、卒業夜会はただの舞踏会だ。


「踊る?」

「はい」


 三曲ほど続けて踊ってから壁際で休んでいると、間奏曲のつもりなのか舞踏曲でないものが演奏され始めた。どこかで聞いたことのあるような旋律だ。少し頭を悩ませてから、思い出した。オペレッタ「アンジェリカ」の村祭りで、踊り比べをする場面での曲だった。

 楽しかった思い出に、頬がゆるむ。


 たしか、女性の振り付けは比較的簡単だった。レーナは勉強の暗記物は苦手だけれども、視覚や聴覚から得た情報は割とすぐ覚えるほうなのだ。

 演奏に合わせて鼻歌を歌いながら小さくステップを踏んでいると、アロイスが笑いながら尋ねた。


「あの振り付け、覚えてるの?」

「はい。何となく、ですけど」

「一緒に踊ってみる?」

「え、男性の振り付けは複雑でしたよね?」

「たぶんわかる。何となくだけど。あれは、東部地方の民族舞踊がもとになってるんだよ」

「試してみましょうか」

「うん」


 試しにふたりで踊り始めてみると、アロイスは本当に振り付けをほぼ再現できていた。手やかかとを打ち付けて音を鳴らしたり、左右に飛び跳ねたりと、なかなか動きが激しい。およそ夜会服に身を包んだ紳士淑女が踊るようなダンスではないのだが、とても楽しかった。


 踊り終わると、歓声とともに拍手が鳴り響く。

 音に驚いて周囲を見回したレーナは、心臓が止まるかと思った。片隅でひっそりとふたりだけで踊っていたはずなのに、いつの間にか周囲に人垣ができているではないか。踊っている間はアロイスのことしか見ていなかったので、まったく気づかなかった。


 動転するあまり逃げ出しそうになったが、アロイスはレーナの手をとって微笑みかけてから、舞台上で役者がするように胸に手をあててお辞儀をしてみせた。アロイスの意図を察して、レーナも一瞬遅れて舞台女優のお辞儀を真似てみせる。そうすると、再び拍手と歓声がわき起こった。


 こういうところは、アロイスとイザベルはさすが兄妹だけあってよく似ている、とレーナは思う。アロイスは物静かな性格ではあるものの、レーナと違って耳目を集めてもあまり動じることがないのだ。

 レーナひとりなら逃げ出したに違いないのだが、アロイスと一緒ならこんな風に立っていられる。つながれたこの手の安心感は、何ものにも代えられない。


 そのまま人垣から離れようとしたが、人垣の後ろからよく響く声で誰かが叫んだ。


「アンコール!」


 びっくりして思わず足をとめて振り返り、レーナはとてもそれを後悔した。なぜならそこかしこで「アンコール!」と叫ぶ声が上がり、人垣がさらに厚くなっていたからだ。

 その上、無駄に場の雰囲気を読んだ楽団が、再び同じ曲を演奏し始めてしまう。


 困ったレーナがアロイスを見上げると、彼は「どうする?」と尋ねるように首をかしげた。

 レーナは目だけ動かして周囲の様子をうかがったが、期待に満ちた視線の圧力に屈して、渋々ながらもうなずいた。

 するとアロイスはレーナの肩を抱いているのと反対の手を高く挙げ、手招きしながら名を呼んだ。


「ハインツ、ヴァルター、ペーター!」


 よく知った名前に、知らない名前が混じっている。だが人垣の中から現れたペーターの姿には、レーナも見覚えがあった。休暇で帰省するときに父が出す船の常連だったからだ。たしか奨学生だと聞いた記憶がある。

 呼び出された三人は、笑いながら人垣の間を縫って出てきて、アロイスとレーナの両側に並んだ。

 五人が並んで踊れるだけの場所をあけるために、人垣の輪が広がっていく。


 驚いたことに呼び出された三人は、見事にそろった振り付けで踊ってみせた。中でもペーターは踊り慣れているのか余裕があって、とてもキレがいい。動きが大きく派手なステップが多いので、男性が四人そろって踊る姿は、なかなか壮観だった。ときどきハインツがステップを踏み間違えるのも、ご愛敬だ。


 アロイスとふたりで踊ったときは向かい合わせで踊ったが、今回は女性はレーナひとりなので、レーナを中央にして横一列に並んで踊った。まるでオペレッタの舞台に上がったかのように。

 最初は気後れしていたレーナも、観衆から手拍子が始まると、踊り比べに出場した村娘気分で楽しく踊ってしまった。夜会のはずなのに、これではすっかり村祭りのようだ。これが社交界だったなら起こりえないことだが、学生ばかりの卒業夜会ならではの出来事と言えるだろう。


 踊り終わると、さきほど以上の大きな拍手と喝采が鳴り響いた。

 五人で観衆にお辞儀をした後、呼び出された三人は笑顔で手を振り合って、それぞれの同伴者のもとに戻っていく。


「ペーターはね、あの村祭りが行われる地方の出身なんだ。彼がこの踊りを教えてくれたんだよ」

「へえ。そうなんですか」


 あのオペレッタが実在の場所や特産品を織り込んだ物語になっていることは聞いて知っていたものの、音楽や踊りの振り付けまで忠実に取り込んでいるとは知らなかった。


 あの激しいダンスを二回も踊ると、さすがに疲れる。

 夜風に当たろうと、ふたりはテラスに出た。

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