卒業式 (3)
オペラ座前の馬車止めで馬車を降り、入り口を抜けてロビーに向かう。
学院の卒業式に参列するのは、レーナは今回が初めてだ。好奇心を抑えきれず、あたりをきょろきょろと見回してしまう。いたるところに近衛兵が立っていて、前に観劇に訪れたときと比べて格段に警備が厳重そうに見えた。
周囲には、レーナたちと同じように卒業生を囲む家族がすでに何組も到着していた。
あたりを見回すと、ジーメンス公一家の姿はすぐ見つかった。黒い式服ばかりの中で、あの輝くような金色の髪はとても目立つのだ。しかもそれが、レベッカ夫人、アロイス、イザベルと三人もそろっている。
じっと見ていると、レーナの視線に気づいたかのようにアロイスが振り返った。目が合うと、アロイスはやわらかな笑みを浮かべて手を振る。それにつられるようにレーナも自然に笑顔になって、会釈した。
式服に身をつつんだアロイスは、すばらしく格好よかった。
式典用のガウンという非日常的なものを身にまとっているせいか、いつもと違って見える。ヴァルターがガウンを着ても、まるで素人芝居の役者みたいにしか見えないのに、アロイスのガウン姿は不思議としっくり似合っていた。
アロイスが両親へ振り返って何か声をかけると、一家がレーナのほうを一斉に振り向いた。レーナはそれに一瞬ギョッとしたが、すぐに礼儀を思い出してお辞儀をした。レベッカ夫人とイザベルは、笑顔でレーナに手を振っている。
ジーメンス公エーリヒは息子の耳もとで何か声をかけると、笑いながら背中を叩いた。いったいどんなやり取りがあったのか、アロイスは軽く肩をすくめてからレーナに向かって歩いてきた。ひるがえるガウンの裾さばきが堂に入っていて、見とれてしまうほど格好いい。
「アロイスさまのガウン、すごくかっこよくてお似合いです」
「ありがとう」
レーナの賛辞に、アロイスは面映ゆそうに礼を言う。
その様子を見ていたヴァルターは、レーナの肩を小突いた。
「おい。俺のときと、ずいぶん態度が違うじゃないか」
「そりゃ、だって、アロイスさまは本物の賢者ですもの。えせ学者のお兄さまとは違いますう」
「このやろ」
再び兄に小突かれそうになったレーナは、アロイスの背中にさっと隠れる。アロイスはふたりのやり取りを笑いながら眺めていたが、「えせ学者」に吹き出した。
「えせ学者はひどい」
「だろ?」
「でもわかる」
「おい!」
アロイスの同情が得られるかと思いきや、そうでもなかったことに文句を言いながらもヴァルターも一緒に笑ってしまっていた。
そのかたわらで、いつの間にか近くまで来ていたジーメンス公夫妻に両親が挨拶している。
レーナは母にひじをつつかれ、あわてて母の隣に並んで挨拶した。そしてアロイスと一緒になって笑っていたはずのヴァルターは、澄ました顔でちゃっかりとレーナの隣に並んで挨拶していた。
次第にロビーが混み合ってきたので、受付けをしてホールに移動することにした。
両親は招待状を提示して座席を指定するチケットを受け取り、父兄席へ向かった。学外の者は招待状のある父兄しか入場が許されず、座席もあらかじめ決まっている。爵位など社会的地位を考慮して決められているものと思われる。
一方、在校生は自由参加で、座席も自由だ。昨年は卒業生に知った者もいなかったので、レーナは参列しなかった。参列する場合は学生証で入場し、在校生用の座席の中で空いている場所の中から好きなところに座ればよい。
兄とも両親とも離れてしまったので、ひとりで適当に空いている場所に座ろうとしていると、レーナを呼ぶ声がした。
「レーナ。こっちよ」
「あれ。アビー」
在校生用の席の最前列から、アビゲイルが手を振っている。
レーナと違って家族に卒業生がいるわけでもないアビゲイルのことだから、てっきり不参加だろうと思い込んでいた。レーナの分も席を確保しておいてくれたようなので、ありがたくそこに腰を下ろす。ひとりでぽつんと参列するのもさびしかったので、相棒がいてうれしかった。
「いよいよ今夜ね」
「やめて……。せっかく忘れかけていたのに、思い出せないでよう」
「逆に忘れていられるほうがすごいと思うわ」
できるだけ卒業夜会のことは考えないようにしていたのに、アビゲイルに思い出させられてレーナは少し胃が痛くなった。でもとりあえず卒業式が終わるまでは、まだ忘れていたい。
オーケストラボックスは使用されず、左右の舞台袖に観客席から舞台に上がれる階段があった。以前オペレッタの観劇に来たときには見た記憶がないから、卒業式用に用意されたものなのだろう。
学院生の席は一階にある。卒業生は前方に、在校生は後方に席が用意されている。
来賓はボックス席、父兄は二階席だ。
やがて舞台上に並べられた椅子に教員たちが座り、卒業式が始まった。
学院長が登場し、舞台中央に置かれた演台の前に立って、おもむろに口を開いた。
『卒業生諸君、卒業おめでとう』
最初に出てきたのは、古典語で卒業を祝福する言葉だ。
その後は普通に、オスタリア語での祝辞が続いた。それにしても式典での祝辞とは、なぜこうも眠気を催すものなのか。自国の言語であるにもかかわらず、不思議と意味を成した言葉として頭に入ってくることなく、右から左へと抜けていく。
だが幸いなことに学院長は、こうした行事での式辞に長けていた。聴衆が耐えられなくなる前に切り上げるが、威厳を損なわない程度には引き延ばす、ほどよい長さを心得ていたのだ。
学院長の祝辞の次は、卒業生代表の挨拶だ。今年の代表は誰もが予想したとおり、アロイスだった。
さりげなくボックス席にいる国王夫妻の姿が見えたから、何か祝辞でもあるかと思ったけれども、単にハインツの父兄として参列しているだけのようだ。
アロイスも、挨拶の冒頭は古典語だった。
アビゲイルは声をひそめてレーナにささやく。
「ねえ、今のは何ておっしゃってたの?」
「『得がたい四年間を過ごせたこと、学院で教育にたずさわったすべての方々に感謝します』ですって」
「全部聞き取れてるのね……。さすが満点取るだけのことはあるわ」
「う、うん。これくらいなら何とか」
実は原稿を作る際に、古典語の部分だけアロイスに相談されて一緒に文章を考えたので、暗唱できるくらいに頭に残っている。けれども、そこには触れずにごまかした。レーナの言葉の歯切れの悪さに気づいたのか、アビゲイルは少し目を細めはしたものの、何も尋ねたりはしなかった。
アロイスは挨拶の最後も古典語で締め、学院長と握手を交わしてから舞台を降りた。
その後は卒業生の名前がひとりずつ呼ばれ、呼ばれた順に舞台袖の階段から舞台に上がって学院長と握手し、反対側の袖から降りていく。全員が舞台から降りると、教員たちから拍手が贈られ、それが観客席にいる在校生や父兄にも広がって万雷の拍手となり、そこで卒業式は閉会となった。
残るは卒業夜会だけだ。




