校内美化作戦 (3)
厨房にかごを返却しに行こうとレーナとアビゲイルが立ち上がったとき、ハインツがアロイスとヴァルターとともに階段を上がってきた。謝礼配布の様子を見に来たようだ。
ハインツは空のかごを見て笑顔でうなずくと、レーナたちに声をかけた。
「ああ、全部終わったみたいだね。協力ありがとう」
「どういたしまして。片づけのほうはどうでした?」
レーナがハインツに首尾を尋ねると、ハインツの顔から笑みが消え、かすかに眉根を寄せた憂鬱そうな表情になった。
「どこもだいぶすっきりしたと思う。そしてね、見つけたよ」
何を見つけたのかは、誰も尋ねなかった。ジーメンス公エーリヒの偽署名入りの書簡のことだと、全員が理解していたからだ。
書簡を見つけたのは、ごみの集積所でのことだったそうだ。
各準備室の片づけの進捗状況をハインツとアロイスが見てまわっている途中で、移動のついでにごみの集積所の様子も確認していくことにした。
そのとき、きれいに積み上げられている紙ごみの奥に、乱雑に重ねて紐で縛られた紙束が置かれているのに気がついた。他の紙ごみと同じ場所に積み上げようとアロイスが紙束を手にとったとき、その紙束の中に不審なものを発見する。父エーリヒの筆跡に似た文字が書かれている紙が混じっていることに、気づいたのだ。紙束をバラして確認すると、果たしてそこには偽署名入りの紙が何枚か混じっていた、というわけだ。
その偽署名入りの紙は、ハインツ預かりとなった。
「これは僕から父に渡して、捜査の資料として活用してもらうよ」
「どこから出たごみの中にあったのかは、わかったんですか?」
レーナの質問に対して、ハインツは首を横に振った。
ごみの運搬をしていてその場に居合わせた学生にはもちろん確認したし、「集積所で、紙ごみの山から少し外れた場所に紙束を置いた者はいないか」とすべての準備室を尋ねて回ったが、心当たりのある者はひとりもいなかった。
また、その紙束が置かれたのがいつだったのかも、判然としなかった。
それというのも、紙束が置かれていたのは柱の陰だったからだ。わざわざ見回してみない限り、なかなか人目につきにくい場所だった。あえてうがった見方をするならば、まるで隠すように置かれていたとも言える。
こんなものが学院内で見つかったというのは、控えめに言ってもあまり気分のよいことではない。
シナリオが実現したという意味ではひとつ肩の荷がおりた気がするし、冤罪事件の捜査のための重要な手掛かりとなると考えるならば、とても喜ばしいことだ。
しかしそれは同時に、学内にそれを所持していた人間が存在する、ということでもある。
全員がそこに思い至り、その場の空気が何ともいえず重くなってきたところで、ハインツが全員の顔を見回してから口を開いた。
「こうなったからには、学内のどこかに内通者が潜んでいると見て間違いない。これまでも極秘扱いだったけど、特に学内では決して口外しないよう、今後も十分に気をつけてほしい」
全員が真剣な顔で同意する。
それを確認してから、ハインツは努めて明るい声でレーナに声をかけた。
「それにしても、レーナの読みが当たったね。ダメでももともとと思ってやってみたけど、やってよかった」
「うん。おかげできっと捜査も進展すると思う。ありがとう」
アロイスにやわらかく微笑みかけられて、レーナの頬は自然にゆるんだ。冤罪を防ぐための捜査の助けになるなら、何よりだ。
気持ちがいくらか軽くなったところで、ふとレーナは同級生から聞いた話を思い出した。
「そう言えばハインツさま、図書館で謎の本が発見されたって聞きましたけど」
「謎の本? ああ、あれか。あれは本……なのか……?」
ハインツが眉根を寄せて考え込むような表情を見せるので、つられるようにしてレーナも怪訝な顔になり、思わず一緒に首をひねってしまう。
「本じゃないんですか?」
「うーん。ちゃんと製本してあるっていう意味では、本なんだけども」
「どんな本でした?」
「百科事典とほぼ同じ大きさで、これくらいの厚さで、中身が全部白紙なんだ」
ハインツは「これくらい」と言いながら、指でつまむしぐさで幼児用の絵本ほどの厚みを示した。つまり、通常の本としてはあり得ないほど薄い。薄い割には大判だし、そのくせ中身はすべて白紙だし、何だかさっぱりわけのわからない本だったそうだ。
本と呼ぶには中身がなく、ノートとして使うには大きすぎる上にページが少なすぎる。
いつから置かれていたものなのかも、判然としなかった。何しろ、その本が置かれていたのは旧版の百科事典のある最下段のすみなのだ。旧版の百科事典なんて、わざわざ利用しようとする者はいない。百科事典を読みたいなら、数年前に入荷したばかりの新版のほうを利用するだろう。
だから今回のように書棚の端から端まで本を確認してまわるようなことでもしない限り、人目につくことがなかったのだ。
「関連があるかはあやしいところだけど、とりあえずそれも一緒に父に渡すつもり」
雲をつかむような事件内容だから、賢明な判断と言える。
これでこの日は、懸案事項だったシナリオの内容を無事に発生させて終了し、解散となった。
自習室を離れる前に、レーナは小声でアロイスに声をかけた。
「アロイスさま」
「どうしたの?」
レーナはアロイスの隣に身体を寄せ、手もとを背中で隠すようにしながら、隠し持っていたクッキー入りの袋をアロイスに手渡した。
「これをどうぞ」
「これ、もらっていいの?」
「はい」
「ありがとう。うれしい」
アロイスが本当にうれしそうな笑みを浮かべるものだから、レーナもすっかりうれしくなってしまう。
するとそこへ、ヴァルターの芝居がかった声が聞こえてきた。
「俺だって今日は、頑張ったんだけどなあ」
別に誰もヴァルターがサボっていたなんて言っていないのに、何をそんなに自己主張しているのか。と、レーナが怪訝そうに振り返ったとき、レーナと同じようにイザベルがハインツにクッキーを渡しているのが目に入ってしまった。
ヴァルターが横目で見ているその視線の先にあるのは、アロイスの手の中のクッキーだ。
それに気づいたとき、レーナは自分の不用意さに冷や汗が出る思いがして、口もとが引きつった。
とてもわかりやすく「しまった」と顔に書いてあるレーナの表情に、アビゲイルは吹き出す。そして自分の手提げからクッキーの包みを取り出して、ヴァルターに手渡した。
「こんなこともあろうかと」
「え。これ、俺がもらっていいの?」
「はい、どうぞ」
「恵まれない男にも差し伸べられる、この慈愛の手……。後光がさして見えるわ」
ちょっぴり後ろめたさを感じていたレーナも、大げさにクッキーを押し頂くヴァルターの姿に、思わず笑ってしまった。笑ってしまったのはもちろん、レーナだけではない。
レーナはアビゲイルの耳もとでささやいた。
「ありがとう。助かった」
「どういたしまして」
もしレーナがふたり分用意していたなら、アビゲイルは自分が用意した分を渡すつもりはなかったのだ。でもレーナは、ひとつのことに夢中になるとちょっと周りが見えなくなる悪い癖がある。
だから保険で用意しておいたのだが、それが役に立つ結果となったのだった。
なお、保険で用意などせずとも、レーナがクッキーを用意している時点で兄の分を忘れないよう注意喚起すれば済んだ話ではないか、などと指摘するのは野暮というものである。
効率や合理性なんて、乙女心に求めるものじゃない。




