校内美化作戦 (1)
冬休みが明けて、後期初日の月曜日の放課後、レーナはアビゲイルと一緒に分担の部屋を見て回った。レーナの分担は地理準備室と美術準備室、アビゲイルは化学準備室と図書館だ。
地理と化学の準備室は、いずれも甲乙つけがたい惨状だった。地理準備室は主に本と書類が、化学準備室は本に加えて得体の知れない実験用具が、まさに足の踏み場もないほどにあふれている。
教員たちは、すでに学院長から話を聞いているようだった。
少々ばつの悪そうな顔で言い訳しつつも、片づけの手伝いは総じて歓迎する雰囲気だ。
「いや、助かるよ。やらなきゃと思ってはいても、なかなか時間がとれなくてねえ」
きれいにするのは骨が折れそうだが、やりたいこと、やらなくてはいけないことは、はっきりしている。
美術準備室は、他の教科の準備室とは少しばかり趣が違った。
置いてある物は確かに多いのだが、雑然とした感じではなく、見るからに整理されているのだ。レーナとアビゲイルが入り口でノックして「失礼します」と声をかけてから中をのぞくと、奥の机で何か書きものをしていた美術教師パウル・ボルマンが顔を上げた。
「やあ。何かご用かな?」
「ボルマン先生、美化運動の話はお聞きになってますか?」
「ああ、聞いているよ。とてもいい試みだね」
「先生の片づけのお手伝いは、どんなことをすればいいでしょうか」
美術教師はペンを置いて立ち上がり、部屋の中を見回しながらレーナたちのほうへ歩いてきた。
「うーん。ここは、特には必要ないかな」
「今でも片付いてますものね」
「うん。受け持ちの授業数がほかの先生がたに比べると少ないから、ある程度は余裕があるんだよね。ここはいいから、他の先生たちの手助けをしてあげてください」
「はい」
ふたりはパウル・ボルマンの人好きのする笑顔に見送られて美術準備室を後にし、図書館へ向かった。
図書館では、カウンターで本の整理作業をしている司書助手にアビゲイルが声をかけた。しかし助手は美化運動については聞いていなかったようで、立ち上がって司書室へ司書を呼びに行った。
司書室から出てきた中年の司書は、事務作業中だったのか腕カバーをつけている。
「美化運動ですね。はい、学院長から聞いてはおりますよ」
「何か学生がお手伝いできることはありますか?」
「そうですねえ。お気持ちはありがたいが、特には思い当たりませんなあ……」
新聞や雑誌も保存しているので、古くなったものをまとめて処分する作業が発生するのではないかと見込んでいたので、当てが外れた形だ。それでも一応、尋ねるだけは尋ねてみた。
「一昨年分の新聞や雑誌を処分するのは、大変じゃありませんか?」
「ああ。一年分溜めちゃったら大変でしょうね。だから、月ごとに処分してますよ。ご心配なく」
アビゲイルはレーナと顔を見合わせた。これは本当に学生の出る幕はなさそうだ。
そんなふたりの様子に、司書は少し考えながら言葉を続けた。
「ただ、もしも人手が余るようでしたら────」
「はい、何でしょう?」
目を輝かせて食いついたアビゲイルに司書は苦笑して、「優先度は低いので、あくまでも余力があれば」と念押しした上で依頼を告げた。
「本の並べ替えをお手伝いいただけると、助かります」
図書館の本は、分野別に分類して著者名順に書棚に並べてある。しかし、学生たちが館内で閲覧したとき、必ずしももとの場所に戻さないことがあり、あるべき場所に本が見つからなくなってしまうことがあると言う。
もちろん学生に悪気があるわけではなく、うろ覚えで戻すために起こることだ。もとの場所がわからなくなった場合のために、読み終わった本を置く棚も用意されているのだが、司書に手間をかけまいと自分で戻して失敗する例が後を絶たないらしい。
司書が気づけば、その都度正しい位置に戻すのだが、気づけないことも少なくない。
もしも人数が割けるのであれば、全部の書棚を総点検して、間違った位置に置かれた本があれば戻してほしい、というのが依頼内容だった。あわよくば、学生たちに図書の正しい分類について知ってもらいたい、という希望もあるようだ。
ふたりはふたつ返事で依頼を引き受け、その場を辞した。
その日の夕食後、いつもの顔ぶれで談話室に集まって下見の結果を報告し合った。
美術準備室が例外なだけで、どの教科の準備室も概ね似たりよったりの状況らしかった。
この件に関しては学内の掲示板に張り紙をした上で、就寝前の点呼時に模範生たちから周知してもらうことにする。
張り紙はすでにハインツが手をつけていた。ハインツが自分で作成したわけではなく、そういうことが得意な知り合いに頼んだのだそうだが、あとは要件を書き込めば仕上がるばかりになっている。その募集要項のところを指さしながら、ハインツが首をひねった。
「何人くらい集めればいいんだろうね」
示し合わせたわけでもないのに、一同の視線がアロイスに集まる。
アロイスは視線を気にすることなく、顎に手を当てて考え込みながら見積もりを口にした。
「準備室が全部で十三室。美術準備室は除外するから十二室として、一室あたり五人はほしいよね。かといって十人を越えると逆に効率落ちそうだから、最大十人としよう。もしそれ以上に集まるようなら図書館に回ってもらうとして、それを最大四十人とすると────」
アロイスは見積もりの根拠を挙げながら説明し、暗算で募集人数をはじき出す。
「各学年とも最低十五名以上、最大で四十名までの募集にすればいいんじゃないかな」
「さすが。早いな」
アロイスが結論を口にするなり、ヴァルターは何がおかしいのか小さく吹き出してつぶやいた。
ハインツは参加者の顔を見回してから、とってつけたように質問する。
「異議のある人は、いるかな?」
もちろん異論など出るはずもない。
しかしアロイスが、思案げな顔で意見を付け足した。
「万が一、応募が最大人数を超えた場合のことを考えて、先着順と明記しておいたほうがいいかもしれない」
「こんな活動で、そこまで有志が多いとは思えないけどなあ」
「まあ、一応念のためだね」
男子の募集方針はこう決まったが、女子のほうは一般公募はしないことになった。
なぜなら、調理室のオーブンが四基しかないからだ。
オーブン一基あたりふたりで作業するとして、必要人数は八名。そのうち四名はこの場にいる者が参加するので、残り四名を女子学生たちから募集することになる。しかし四名だけというのは、公募するには少々枠が少なすぎる。ティアナとイザベルに勧誘の当てがあるというので、面倒を避けるために、そちらで埋めてしまうことにした。
実際の校内美化作業は、昼間しか授業のない日の午後に決まった。
それまでに謝礼のクッキーを用意するため、女子たちはさっそく翌日の放課後から活動開始となる。
そして男子の募集を始めたところ、二日目から三日目にかけて急に応募が殺到するようになり、「先着順」と決めておいたアロイスの先見の明に驚かされることになるのだった。




