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とある茶番劇の華麗ならざる舞台裏  作者: 海野宵人


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冬休み (5)

 馬駐めまで歩きながら、アロイスはレーナに尋ねた。


「いったいどこに行っていたの?」

「西にある憲兵の駐屯地です」

「ああ、あそこか。じゃあ、あの馬車を自分で追いかけたりはしていないんだね?」

「してません」


 慌ててレーナが勢いよく首を横に振ると、アロイスは安堵したのか、いったん立ち止まって深く息を吐いた。


「どこへ行くかも言わずにひとりでいなくなるから、心配したよ。とても」

「ごめんなさい……」


 アロイスの声には責めるような響きは少しもなかったけれども、レーナはしゅんとしてうつむいた。たとえアロイスが責めなくとも、さきほどノアに視線で責められたばかりだ。


「せっかく一生に一度の思い出にしようと連れ出したのに、そのせいでレニーに何かあったらと思ったら、もう気が気じゃなくて……」


 なぜか「一生に一度」などというわけのわからない不穏な表現がでてきて、うつむいたままレーナは眉根を寄せた。しかしアロイスが声を詰まらせたのを不審に思って見上げたとたん、ギョッとして目を見張った。アロイスの長い金色のまつげが瞬きした拍子に、きれいな青い目からはらりとひと粒の涙がこぼれ落ちたからだ。


 その涙はすぐにアロイスの手の甲で乱暴に払われてしまったが、それでもレーナに心からの反省をうながすに十分なだけの威力があった。そう、レーナはこのとき初めて、今日の自分の行いを心の底から反省したのだ。

 見てはならないものを見てしまった思いで、あわてて目をそらしてうつむいた。


 実を言うと、それまで彼女は反省したような顔はしていたものの、本当の意味で反省していたとは決して言えなかった。なぜなら心のどこかで「急いでいたから」とか「すぐに戻るつもりだった」とか「だって危ないことはしていない」とか、さまざまな言い訳を用意して、アロイスがとがめないのをよいことに甘えた気持ちでいたからだ。

 そもそももしも本当に反省していたならば、アロイスと再会したとき開口一番に謝罪の言葉が口を突いて出て来なければおかしかった。しかし、そうはならなかった。その時点で、彼女の反省のほどが察せられるというものだ。


 でもアロイスの涙を見て、ようやくレーナは自分が何をしてしまったかを自覚した。

 彼女はアロイスにひどいことをした。本当に、本当にひどいことをした。


 彼女を楽しませようと誘ってくれた外乗を、台無しにしたのだ。

 確かにきっかけは、あの馬車の男だったかもしれない。けれども、台無しにしたのはレーナ自身だ。彼女のちっぽけな正義感を満足させるだけのために、自分のしようとしていることの説明もせず、行き先も告げず、怪我人の救助をしているアロイスを放り出して自分ひとりで飛び出してしまった。

 軽率なだけでなく、思いやりもない。


 それなのにアロイスは、レーナのことをこの冬のさなかの寒空の下、ずっと心配しながら待ち続けていてくれたのだ。いくら日差しがあって冬の割に過ごしやすい日だったとは言え、きっと身体も冷え切っているはずだ。だって手があんなにも冷たかったではないか。

 レーナが暖房の効いた詰め所の中でぬくぬくしている間もずっと、外で待ち続けていたのだ。


 レーナが逆の立場なら、こんな相手に対しては怒り狂うだろう。

 なのにアロイスは、ほんの少しだって彼女を責めたりしなかった。これほどひどいことをされたにもかかわらず、優しい彼はただのひと言でも謝りさえすれば、きっと簡単に許してしまうに違いない。

 でもそれは、レーナがちゃんと反省しなくてもよい理由にはならない。


 レーナはあまりにも自分が情けなくて、涙が出そうだった。

 憲兵に通報して、動いてくれるとわかったときに得たわずかばかりの達成感は、もうすっかりぺしゃんこにつぶれてしまっていた。


 レーナは心の底からの謝罪を口にした。


「ご心配をおかけして、本当にごめんなさい」

「ああ、もう。かっこわるいなあ」


 アロイスはレーナの謝罪の言葉が耳に届いているのかいないのか、空を見上げて涙をこらえるかのように何度も瞬きし、自嘲の言葉をこぼした。

 レーナは何だかとても、いたたまれない心地がした。


 アロイスに格好わるいところなんて、ひとつもない。格好わるいのは、レーナのほうだ。

 ひどいことをした上に、満足に反省もしていなかった。言外に叔父にとがめられてもなお、まともに反省できていなかったのだ。


「できれば行き先くらいは教えてほしかったけど、もういいよ。無事に戻ってきてくれたから、もうそれでいい。本当に無事でよかった」

「ごめんなさい……」

「もういいから」


 後悔で悄然とするレーナに、アロイスは淡く微笑みかけた。思ったとおり、アロイスは簡単に許してしまう。せめて何か埋め合わせができないだろうかと考えて、ふとレーナはさきほどのアロイスの発言の中にあった不思議な言葉を思い出した。


「そう言えば、さっき一生に一度っておっしゃってましたけど────」

「言ったっけ?」


 アロイスらしくもなく、まるでハインツのような雑なとぼけかたを試みようとするので、レーナは思わず眉根を寄せて首をかしげてしまった。アロイスは、ごまかされてくれないレーナを困ったように横目で見て、深くため息をつく。


「別の日に仕切り直そうと思ったんだけどな……。今日はダメだ。本当にもう、何から何までうまくいかない」


 アロイスには珍しい、すねたような声色だ。レーナはとても責任を感じた。


「何か、私にお手伝いできることはありませんか?」

「レニーが協力してくれるの?」

「はい。私に出来ることなら」

「そっか。じゃあ、お願いしようかな」

「はい!」


 アロイスの表情がほんの少しばかりではあるが明るくなったので、レーナはうれしくなった。


「話を聞いてくれる?」

「はい」


 アロイスがこの日レーナを外乗に誘ったのは、偶然ではなかった。

 以前から、折りを見て誘おうと思っていたのだそうだ。そしてどこを回るかについても、ある程度計画を練っていた。もちろんそのときの天候や気分次第で回る場所は変わるだろうが、最終的に景色のよい公園でのんびりひと休みしようと考えていた。


 まあ、ひとつも計画どおりに行かなかったわけなのだが。

 そこまで聞いて、レーナはひしひしと責任を感じた。


「そこでね、レニーに伝えたいことがあったんだ」

「今からその公園に行きましょうか?」

「いや。今日はもう、寄り道しないで帰らないとまずいことになる」

「だったら、今ここで聞きますよ」


 アロイスは下を向いて、迷うようなそぶりを見せた。レーナがじっと待っていると、やがてアロイスは意を決したように口を開いた。


「今から口にする言葉を、レーナに言うつもりだったんだ」

「はい」

「これからもずっと一緒にいてほしいから、卒業したら結婚してください」


 レーナは口から心臓が飛び出すのではないかと思うほどびっくりして、目を見開いた。


 ただ、びっくりはしたが、アロイスがどれほど気を遣って計画を立てたのかも、同時にしっかり理解した。きっとこのセリフを口にするにふさわしい、雰囲気のある場所を選んであったのだろう。それなのに、こんなしょんぼりなプロポーズになるなんて。

 アロイスのあらゆる努力は、すっかり台無しにされてしまったのだ。ほかならぬレーナによって。


 レーナはこれ以上ないほど責任を感じた。

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金色に輝く帆の船で
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