冬休み (4)
ノアが呆れた目をしてじっと見つめてくるので、レーナは渋々いきさつを説明した。
「アロイスさまと外乗に出た先で事故があって、あまりにも悪質だったので通報に来ました」
「そう。ひとりでね。アロイスくんは?」
「現場で、荷馬車の下敷きになった人の救助をしてて……」
「置いてきちゃったんだ?」
図星を指されて、レーナは返す言葉がなかった。
普段は自分とあまり歳の変わらない少年のような振る舞いをしているくせに、ノアはときたまこんな風に大人の顔をするからずるい。
「なるべく早く用事を済ませて送るから、そこで待っておいで。ひとりでどこかへ行くんじゃないよ」
「はい……」
叔父の指示にしょんぼりとうなずくと、分隊長サムエルがとりなすように声をかけた。
「今から兵士を現場検証に向かわせますから、よければお嬢さんをお送りしますよ」
「でも結構時間が経ってるみたいだし、この子の連れがまだ現地にいるとも限りませんから────」
アロイスが現地にとどまっていなかった場合のことを考えて渋るノアに、サムエルは請け合うようにうなずいてみせた。
「ああ、もちろんその場合には、責任を持ってご自宅までお送りしますとも。現地でお待ちかもしれないかたがいらっしゃるなら、早いほうがいいんじゃありませんかね」
「まったくもっておっしゃるとおりです。ではお言葉に甘えて、よろしくお願いします」
サムエルはくたびれた見た目をした初老の憲兵を呼びつけ、荷馬車が横転した事故現場の検証と、レーナをアロイスのもと、または自宅へ送り届けることを命じた。
初老の憲兵は、相方のひょろりと背の高い青年憲兵とともにレーナを送ってくれた。
事故のあった場所は、もうすっかりいつもの風景を取り戻していた。
その様子を見て、レーナは胸の内がざわめくのを感じる。まだ事故の後処理中だろうと思っていたのだ。なのに横転した馬車は道端に寄せて片づけられ、馬車が横転したあおりで崩された果物屋の木箱はきれいに積み直されていた。
レーナが思っていたよりも、あれからずいぶん時間が経っているようだ。
うららかに照らしていた日差しはすでに傾き、少し風も出てきていた。いかにも冬らしい寒さが身にしみる。
アロイスの姿を求めて見回してみても、従者に馬を預けたはずの場所には誰もいなかった。
不安で胸がどきどきしてきた次の瞬間、レーナを呼ぶ声がした。
「レニー!」
声のするほうを探すと、焼き栗の屋台の前にできた人だかりの向こうから、アロイスが手を振っていた。ホッとしてレーナも手を振り返す。
焼き栗の屋台近くで馬を降り、送ってくれた憲兵ふたりに礼を言った。
「ここまでで結構です。どうもありがとうございました」
初老の憲兵は、アロイスのほうを見やってからレーナに確認をとった。
「そちらがアロイス・フォン・ジーメンス卿ですかな?」
「はい、そうです」
「では、確かに卿までお嬢さんをお届けしましたよ。お嬢さん、本日はご協力ありがとうございました」
「こちらこそ」
ふたりの憲兵はレーナとアロイスに馬上から敬礼をしてから、自分たちの仕事をするために去って行った。
アロイスは、なぜか栗を手にしている。彼は視線を栗に落としてから、レーナに声をかけた。
「レニー、ちょっとここで待っててね」
アロイスは人だかりの向こう側にいる焼き栗の屋台の店主のところまで行き、手にしていた栗を渡そうとするしぐさを見せた。しかし店主は首を横に振る。困り顔のアロイスに、店主は栗の入った新聞紙をもうひとつ手渡し、レーナのほうに目配せしてから笑って手を振った。
アロイスは軽く店主に会釈し、レーナのところに戻ってきて彼女に栗を手渡した。
「お礼だって、渡されてしまった。これはレニーにって」
「ありがとうございます。でも、お礼って……?」
「よくわからないんだ。お世話になったのは、こちらのほうなのに」
荷馬車の下敷きになった青年を救助した後、アロイスは従者を家に遣いにやり、自分はこの場でレーナを待っていた。
その様子を見ていた焼き栗屋の店主がアロイスに声をかけ、屋台の裏で待つことを勧めたと言う。屋台の裏側には栗を焼くための簡易式のかまどがあり、多少は暖をとれるからだ。さらに親切なことに、店主は「持っていれば手が温まるから」と焼きたての栗を手に持たせてくれたのだそうだ。
レーナが戻ってきたので、礼を言って栗を返却しようとしたのだが、「ささやかなお礼の気持ちとして持って行ってくれ」と言われたのみならず、レーナの分まで新たに渡された、というのがさきほどのやり取りらしい。アロイスは店主の言っていることの意味が理解できないままに、押し切られたようだ。
レーナには、店主がアロイスに感謝する理由に見当がついた。
店主が暖に当たらせてくれたのは、何も純然たる親切心からではないだろう、とレーナは思う。アロイスはそうだと思っているようだが、たぶん違う。
それが親切であったこと自体は否定しない。けれども、いくらかの打算を含んでいたであろうことは、疑う余地がない。その上、それらしく理由をつけて栗を手に持たせる周到さ。もしもアロイスが容姿に優れた年若い貴公子でなかったなら、きっと店主はわざわざ声をかけたりしなかったに違いない。
店主の「打算」がいったい何であったのかは、屋台の前の人だかりを見ればわかる。それも明らかに女性客の割合が高いのだ。
「きっとアロイスさまのおかげで売り上げが上がったんだと思いますよ」
「裏に立ってただけだから、さくらになってないよ」
「さくらじゃなくてもアロイスさまなら、そこに立っているだけで客寄せになるもの」
「いや、どうだろうね。まあでも、もし本当に何か役に立ったなら何よりだ」
アロイスはレーナの手から手綱を引き取り、噴水広場のほうへ誘導した。アロイスの馬は、広場の馬駐めに預けてあると言う。
手綱を渡すときに触れたアロイスの指は、まるで氷のように冷たかった。




