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とある茶番劇の華麗ならざる舞台裏  作者: 海野宵人


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冬休み (3)

 レーナが状況を説明すると、分隊長サムエル・シュミッツは申し訳なさそうに、しかしきっぱりと、その逃げた男を捕まえるのは憲兵の管轄外であるとレーナに告げた。


「あまり胸を張って言えることじゃありませんが、馬車の事故は多すぎてね。現行犯を取り締まる以上のことは、とても手が回らんのですよ」

「でも、公爵家の名を騙って脅すような悪質な人なんです」

「確かに、それは悪質ですねえ」


 サムエルは逃げた男が悪質であることに対しては理解を示したが、ただそれだけだった。


「だが、その場に公爵家のご子息がいらして、誤解を晴らしたんでしょう?」

「そうですけど……」

「なら、それでいいじゃありませんか」


 ちっともよくない。よくないから捕まえてほしいのだが、憲兵の立場からするとそういうわけにはいかないらしい。

 納得いかない顔のレーナを見て、サムエルは説明をしてくれた。


「公爵家の名を騙ったという事実を示す証拠があれば、憲兵も動きようがあるんですがね。残念ながら、証言だけでは証拠とは言えんのですよ」


 レーナにもやっと憲兵の理屈が理解できた。理解はできたがしかし、その理屈に従うと、逃げた男を捕まえてほしいという彼女の望みはかなわない。


 がっかりするあまり、きっとレーナは今にも泣きそうな顔をしていたに違いない。

 サムエル・シュミッツは、さも困ったように眉尻を下げた。そこで話を打ち切ってレーナを追い返すこともできたはずなのに、人の好さそうな彼はまるで何とかして手助けするための口実を見つけようとするかのように、レーナに質問をして会話をつなげた。


「お嬢さんは、逃げたその男がジーメンス家の者じゃないと、どうしてわかったんですか?」

「見覚えのある顔だったんです」

「なんと。顔見知りですか」

「いいえ、まさか! 違います」


 あんな男と知り合いだなどと勘違いされては、たまらない。レーナは勢いよく首を横に振って否定した。そして、なぜ男の顔を覚えていたのか説明するため、サムエルに秋休みの観劇の出来事をかいつまんで話して聞かせた。


 市民劇場のボックス席で、学院の美術教師を見かけたこと。いつの間にかその席に、美術教師と入れ替わるようにくだんの男が座っていたこと。美術教師が仕事で来ていたとは知らなかったため、なぜ人が入れ替わっていたのか不思議で、男の顔が記憶に残っていたこと。

 数日後にオペラ座で、前回と同じような位置のボックス席で再びその男の姿を見かけたこと。幕間で、その男の席に置き引きと見られる若い男が入り込んでいたのを目撃したこと。そのせいで、男の顔がさらに強く記憶に残ったこと。


 サムエルは机の上で両手を組んで、ときおりうなずいたり相づちを打ったりしながらレーナの話に耳を傾けた。

 この分隊長があまりにも聞き上手なので、レーナはつい調子に乗って、置き引き目撃の後日談まで話してしまった。置き引き現場らしきものを目撃したことをアロイスが劇場側に知らせたら、翌週の劇の幕間に追加されていた、例の寸劇の件である。


 静かに話を聞いていたサムエルは、置き引きを目撃した話のあたりで目を細めて身を乗り出し、笑みを消して真剣な顔つきになった。話を聞き終わると、意外なことに彼は、荷馬車を横転させた追突事故についてレーナにいくつか質問した。


「お嬢さん、さきほどおっしゃっていた事故は白樺通りの、具体的にはどのあたりでしたか?」

「噴水広場から南へふたつ目の十字路です。角に焼き栗の屋台が出ていました」

「うーん。屋台は簡単に動かせるから、あまり目印にはできんのですよね。他に何か目印になるものはありませんかね?」

「ええっと、確か十字路の西側に、果物屋さんがあったと思います。お店の前に木箱が山積みになっていました」

「ふむふむ」


 憲兵の管轄外だと言っていたはずなのに、なぜ急にサムエルが事故に興味を示し始めたのか、レーナは不思議に思った。だが理由がわからなくとも、動いてくれるならそれに超したことはない。


「馬車の色や形はわかりますか?」

「二人乗りの箱馬車で、車体の色はエンジでした。黒の縁取りがあったと思います。扉に、偽造したジーメンス家の紋章がついていました。詳しくないので、車種まではわかりません」

「ああ、いいですよ。十分です。その二人乗りの馬車に、乗っていたのは男ひとりですか?」

「いえ、女性とふたりでした」

「ふたりの年齢はだいたい何歳くらいでしょう?」

「たぶんふたりとも四十歳から五十歳くらいでしょうか。若くはないけど、老人でもないくらいの年齢です」


 それからもサムエルは手もとの紙に何か書き付けながら、矢継ぎ早に質問を続ける。問われるがまま、レーナは素直に知る限りの情報を提供した。

 ひととおり質問を終えると、サムエルはレーナと目を合わせてうなずいた。


「ご協力ありがとうございます。お嬢さんが通報してくださったのは、ちょうど我々が今日逮捕しようと探していた者でした。本当に助かりました」


 思いもかけない展開に、レーナは何と返したらよいのかわからず、目を瞬いてぎこちなく会釈を返す。

 サムエルはレーナに「ちょっと失礼」と声をかけてから立ち上がり、声を張り上げて詰め所の憲兵を全員集合させた。そしてレーナから聞き出した馬車と男たちの特徴を伝え、王都につながる主な街道で即座に検問を実施するよう指示した。


 サムエルがてきぱきと指示を出している最中に、詰め所の入り口の扉が開いて数人が室内に入ってきた。その顔ぶれを見て、レーナは思わず声を上げた。


「ノア叔父さま?」

「あれ。レーナ? どうしてこんなところに」

「叔父さまこそ」

「僕は仕事の関係で、兄さんの代理で来たんだよ。レーナはジーメンス邸じゃなかったの? アロイスくんはどうしたの?」


 アロイスの名前を出され、レーナは後ろめたさに思わず視線を落とした。

 まさか置いてきちゃったとは、とても言えない。あのときはついカッとなって飛び出してきてしまったが、冷静になってみれば無鉄砲なことこの上ない。


 小言を言われるようなことをしでかした自覚はあるので、居心地悪く沈黙していると、ノアたちに気づいて近寄ってきたサムエルがにこやかに悪気なく暴露した。


「ひき逃げ事故の通報に来てくださったんですよ」

「ひとりで?」

「おひとりでいらっしゃいましたね」


 ノアの視線が痛かった。

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金色に輝く帆の船で
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