剣術大会 (1)
秋休みが終わり、学院の寮に戻ったレーナは、休み中の出来事をアビゲイルと互いに報告し合った。
アビゲイルは家業の手伝いをして過ごしたらしく、あまり遊びに出たりはしなかったようだ。
それなりに出来事の多かったレーナの話が終わると、アビゲイルはまだ続きがあるかのように自然な調子で質問した。
「それで、いつに決まったの?」
「え? 何が?」
「婚約よ」
なぜここで唐突に婚約という言葉が出てくるのか、話の流れがまったく理解できず、レーナの眉間にしわが寄る。
「婚約? 誰の……?」
「レーナに決まってるでしょ」
「え、なんで? 私が誰と婚約するっていうの?」
「アロイスさまとよ。────そういう話じゃなかったの?」
「ええええ?」
びっくりして素っ頓狂な声を出すレーナに対し、逆にアビゲイルのほうが面食らったような顔をする。
「や、だって普通そう思うでしょ」
「どうして?」
「何度も観劇デートして、お互いのおうちに行き来して、お相手のご両親がそろって家までご挨拶にいらっしゃったって聞いたら、婚約するんだなって思うものじゃない?」
「でも違うの」
誤解の理由はわかったが、それでも誤解である。
観劇はデートじゃなくて勉強会の延長線上にあるものに過ぎないし、お互いの家を行き来したと言ってもレーナがジーメンス邸を訪れたのはやっぱり勉強のためだし、ジーメンス公一家の訪問があったのもあくまで「奇跡の料理人」への興味が動機だし、アビゲイルが思っていたようなことじゃない。
そう説明すると、アビゲイルはあからさまにがっかりした顔をした。
「なあんだ」
「あ、でもね。ひとつアビーが言ったとおりのことがあった」
「へえ。それは何?」
「小さい頃のベルちゃま、アロイスさまだったの」
「あらあらあら。やっぱりねえ」
アビゲイルは得意そうに鼻を鳴らすと、からかうような目でじっとレーナの顔を見つめてから質問した。
「ずっと大好きだった人がアロイスさまだとわかった今の心境は、いかがですか?」
「心境、と言われても……」
「信じられない、とか、騙されて腹が立った、とか、何かあるでしょ?」
「うーん」
確かに聞いたときにびっくりはしたけど、「信じられない」とはまったく思わなかった。むしろしっくりくる感じがして、納得した。
それに、確かにずっと騙されていたことにはなるけれども、そう聞いても別に腹は立たなかった。本当のことを打ち明けられなかった事情を聞けば、それも仕方なかったと思えたからだ。幼かった頃のレーナは、きっと悪気なく秘密をぽろりと口にしかねなかっただろうし、教えないでおくのが安全だという判断は、まあ妥当だったと思う。
それよりは、学院に入って再会したときに自分で気づけなかったことのほうが、今にして思えば信じられない。気づけなかったどころか、アビゲイルに指摘されても頭から否定する始末だ。成長して変わったという思い込みがあったからなのだが、先入観ってこわい、と思った。
見るからに面白がっているような顔でレーナのそんな感想を聞いていたアビゲイルは、ダメ押しのように質問した。
「つまり、あれだけずっと好き好き大好きって言ってた相手は、イザベルさまじゃなくてアロイスさまだったってことよね?」
そのとおりである。
そのとおりなのだが、そういう聞き方をされると、なぜかレーナは素直に肯定することができなかった。質問を頭の中で繰り返した瞬間に、顔が火を吹いたように熱くなるのを感じる。その反応こそが何よりも雄弁かつ正直な答えだとわかっているアビゲイルは、吹き出した。
「これはもう、時間の問題ね」
「何が?」
「んー。わからないなら、わからなくていいようなこと」
「何よう」
何が時間の問題なのかとレーナが何度尋ねても、アビゲイルははぐらかすばかりで教えてくれようとはしなかった。
「そんなことより、オペレッタの話をしてよ。二度も見に行くほど面白かったんでしょ?」
「うん。アビーもきっと気に入ると思う。アンジーがかっこいいの!」
レーナは「アンジェリカ」の面白さを熱く語り、ついでに置き引き犯行現場の目撃談と、それを劇場に報告したら幕間に寸劇が追加したことまで話して聞かせた。アビゲイルはオペレッタそのものよりも、レーナたちの遭遇した突発事象のほうに興味が引かれたようだ。
「置き引きの犯人って、どんな人だったの?」
「本当に置き引きだったのかは、わからないんだけどね。若い男の人だった」
「やっぱりこう、犯罪者らしく人相悪かった?」
「ううん、全然。普通の人に見えたなあ。直前まで別の人が座ってたのを知らなければ、ただの観客だと思ったんじゃないかな」
「よく気がついたわね」
「見覚えのある人だったの」
「え、犯人に?」
「ううん、逆よ。その席に座ってたふたり連れに、見覚えがあったの」
レーナは、そのふたり連れを市民劇場での史劇「ハインリヒ四世」の観劇の際に見かけたことを話した。なぜ記憶に残っていたのか説明するために、開幕前にそのふたりのボックス席に美術教師のパウル・ボルマンの姿を見かけたことも話した。
それを聞いて、アビゲイルは衝撃を受けたように顔をしかめた。
「え。それじゃ、まるでボルマン先生が置き引きしたみたいじゃ……」
「それはない。だって開幕前で、あのふたりが席に入る前だったもの。置き引きしようにも、荷物がないわ」
「あ、なるほど」
「だから理由がわからなくて、不思議なのよ。今度、機会があったらお聞きしなくちゃ」
「理由が判明したら、教えてね」
「うん!」
秋休みの話が終われば、この先に控えている学校行事の話題が始まる。
「あと二週間で剣術大会ね」
「うん。試合を観戦するのは今年が初めてだから、楽しみ」
「ああ、レーナは去年聖歌隊の人につかまってたっけね」
「うん。あれはあれで有意義だったけど」
昨年、一年生女子の恒例行事として大聖堂で演奏会を行った後、レーナは学院に戻るのがひとりだけ遅れたのだ。
「アビーは去年、試合見た?」
「うん。最終戦だけね。ヴァルターさま、強かったわよ」
「でも優勝はハインツさまよね。ということは、ハインツさまのほうがお強いんじゃないの?」
「ハインツさまはねえ……。強いって感じじゃなくて、負けないだけっていうか」
「それ、ご本人もそうおっしゃってたけど、同じことじゃない?」
「や、全然違うから。まあ、レーナも実際に試合を見てみれば違いがわかるわよ」
二週間ぶりに顔を合わせた少女たちのおしゃべりはとまらない。こうして秋休み最終日の夜はふけていく。




