おうち訪問 (4)
レーナの不安は的中した。
レベッカ夫人は「いいことを思いついた」と言わんばかりに手をひとつ叩き、輝くような笑顔を夫に向けた。
「ねえ、あなた」
「うん? 何だい?」
「わたくし、マギーにお手紙を書くわ。このところご無沙汰しているから、ご挨拶に伺いたいって。あなたもご一緒にいかが?」
「ふむ。いいね」
レーナは目をむいた。なぜか公爵夫妻の訪問を受ける流れになっている。
「それでね、お客さま用のお料理なんてわざわざ用意していただくには及ばないから、いつも通りのご家族のお食事に混ぜてくださらないかしらって、お願いしてみるわ」
「なるほど。いい考えだね」
レーナにとっては、少しもいい考えなんかじゃない。だって、話の流れからどう考えてもレーナの絵と、レンホフ家の日常食が目当てではないか。何とか考え直していただきたいが、何と言えば説得できるのか、レーナには皆目見当がつかなかった。
「お母さま、わたくしもぜひご挨拶に連れて行ってください」
「ええ、もちろんよ」
イザベルまで参戦してきた時点で、レーナは観念した。もはや説得の糸口さえ見つからない。
虚ろな目をしてうつむきがちになってしまったレーナの顔を、アロイスが申し訳なさそうに覗き込み、小さな声で詫びた。
「よけいなことを言ったばかりに、うちの両親がごめんね」
「いえ……」
昼食の後は、図書室に戻った。だが午前中にはあれほど興味深く思われた目録が、急にただの文字の羅列に見えてきてしまった。集中しようと頑張ってみても、さっぱり内容が頭に入ってこない。
この際、レーナの絵が立派な額縁に収められて応接室に飾られている件は、もう諦めるしかない。両親が少々恥をかく羽目にはなるかもしれないが、親ばかゆえということで笑い話にでもしてもらえばよいだろう。
しかし食事は、諦めたらちょっとまずい気がする。何をどう言いつくろっても、あれは庶民の食事以外の何ものでもないのだ。最初からそう公言しているなら別にかまわないのだが、「奇跡の料理人」が作るのがただの庶民の家庭料理だなんて知られたら、貴族として何かすごくまずいような気がする。
これは早く母に相談したい。
すっかり気もそぞろになってしまったレーナは、予定よりも早めにジーメンス邸を出ることにした。────その手にレベッカ夫人から母マグダレーナ宛ての書簡を託されて。
アロイスに送られて家に戻ると、彼女はまっすぐ母のもとに向かった。
「お母さま、ただいま戻りました」
「あら、お帰りなさい。早かったのね」
「あのね、お母さま。ちょっと困ったことになったような気がするの」
「どうしたの?」
母にレベッカ夫人からの手紙を手渡してから、一番の気がかりについて母に質問した。
「お母さまは『奇跡の料理人』ってご存じですか?」
「ええ、まあ……。そうね、聞いたことはあるわ」
マグダレーナはまるでいたずらがバレてしまった子どものように、やましいことのある顔でふいっと視線をそらした。
「ジーメンス公ご夫妻が大変に興味をお持ちのようです」
「あらら……」
レーナはジーメンス邸での昼食時に交わされた会話について、母に手短かに説明した。話を聞いたマグダレーナは、額に手を当てて細く長くため息をついた。それからレベッカ夫人からの手紙の封を切り、さっと中身を確認する。
「確かにレーナの話してくれたとおりのことが書いてあるわ」
「そうですか」
マグダレーナは「奇跡の料理人」の名が生まれるもととなったと思われる夜会での会話を、レーナに話して聞かせた。つまり、マグダレーナのほっそりした体型を褒められ羨まれ、それに対して「うちの料理人のおかげ」と返していた件である。
料理人のおかげであること自体はあながち嘘でもないのだが、「毎日おいしいものを食べているのに、あの体型」と思わせてしまう話術が詐欺的としか言いようがない。
こうなってしまったからには、くよくよしたとて問題が解決するわけでもない。
マグダレーナは背筋を伸ばして、手をひとつ打ち鳴らした。
「料理長に相談しましょう」
何をどう相談するつもりなのか、レーナには見当がつかない。とりあえず神妙にうなずいて、母がメイドを呼んで、料理長をこの部屋に呼ぶよう伝える様子をおとなしく見ていた。
呼び出された料理長が部屋にやってくると、マグダレーナは要件を簡潔に告げる。
「近々、ジーメンス公爵家の方々を晩餐にお招きすることになったの」
「お迎えするのは何名様でしょうか」
「ご家族全員の予定だから、四名ね」
「かしこまりました。お料理の趣向に何かご指定はございますか?」
料理長からのいつも通りのこの質問に、マグダレーナは即答できなかった。彼女はやや気まずげな表情で、うかがうような視線を料理長に向ける。
妙な間があいたことを不審に思ったのか、料理長は怪訝そうな顔をした。
「お客さまは、我が家の普段どおりのお食事をご所望なの」
「公爵家のかたに普段どおりのお食事をお出ししても、よろしいのですか?」
「よろしくないから相談したいのよ」
「なるほど……」
無理難題の予感に、料理長は思わず天を仰いで目を閉じる。
「内容は、市場のおすすめ野菜たっぷりの具だくさんシチューでいいと思うの。それを、調理法と内容と全体の量を変えずに、何とか上手に見栄えのするコース料理に仕立て上げてちょうだい」
なかなかひどい無茶を言う。シチューは、何をどうしようともシチューでしかないだろう。料理長が気の毒になったレーナは、母の背後から様子をうかがった。
彼は静かに目を開き、ひたとマグダレーナを見据えた。そしてまるで歴戦の銃騎士が主人の決闘代理を引き受けでもしたかのような悲壮な覚悟と決意をたたえて、おごそかに力強くうなずいた。
「かしこまりました。受けて立ちましょう」
レーナは目を見張った。何だか本当に勝負事みたいになっている。
母の顔を見上げると、満足そうに微笑んでいた。
「ありがとう。今のところ一週間後を予定していて、これから先方に打診します。二、三日のうちにはお返事をいただけると思うわ。日時が確定したらまた改めて知らせるわね」
「はい、よろしくお願いします」
あんな無茶な注文を受けちゃって大丈夫なのだろうか。不安に思ったレーナが料理長のほうをちらりと見たら、料理長と目が合ってしまった。料理長はレーナの不安を吹き飛ばすように不敵な笑みを浮かべ、拳をぐっと握ってみせる。それを見て、レーナは何だかホッとして笑みがこぼれた。
あの料理長なら、本当に何とかするかもしれない。だって「奇跡の料理人」だし。




