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とある茶番劇の華麗ならざる舞台裏  作者: 海野宵人


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おうち訪問 (3)

 時間が経つのも忘れてレーナが目録を読むのに夢中になっているところへ、アロイスが声をかけた。


「レニー、いったん休もう。そろそろお昼だ」

「あれ。もうそんな時間?」

「うん」


 読みさしの目録に後ろ髪を引かれている様子のレーナに、アロイスは笑いながらしおりを手渡した。


「これをどうぞ。続きは食後にね」

「はい」


 一般図書ならともかく、目録は持ち出し禁止なので図書室内でしか読めない。レーナはおとなしく渡されたしおりを目録にはさみ、アロイスに案内されてホールに向かった。


 昼食の席には、驚いたことにジーメンス家の人々が勢ぞろいしていた。ジーメンス公エーリヒまで在宅なのが、レーナには意外だった。きっと仕事で登城しているか、どこかへ外出しているだろうと思っていたからだ。


 レーナはジーメンス公夫妻に屋敷への招待に礼を言い、美術品の感想を伝えた。


「うちには絵なんて全然ないから、とても勉強になりました」

「あれ? 応接室にもホールにも、蒸気船の立派な絵が置かれてたよね?」

「え。あ、ああ、額縁はまあ、それなりですけど……」


 レンホフ邸で食事をしたばかりのアロイスは、飾られていた絵のこともしっかり覚えているようだ。しかしレーナにしてみると、あれはとてもではないが「美術品」のうちに数えることはできない。にもかかわらず、エーリヒが興味を示した。


「ほう。現代画かな?」

「ええっと、そうですね、現代画と言えば現代画のような……」


 どうにも歯切れの悪いレーナの様子に、アロイスは何かピンときたようだ。


「もしかして、あれはレニーが描いたもの?」

「はい。だから、全然美術品なんかじゃないんです」

「あんな絵も描けるのか。あの絵、精緻で迫力があって好きだな。蒸気船の絵ってまだ珍しいし、いかにもヨゼフ卿の家を飾るにふさわしい絵じゃない?」


 アロイスが変に持ち上げるものだから、イザベルまでが興味を示してしまった。


「まあ。レーナさんの絵なの? きっとすてきなのでしょうねえ」

「それはどうでしょうか……」


 困ったレーナは話題を変えたいが、どうしたらよいのかわからない。


 だいたい、あの絵は油絵でさえない。水彩画なのだ。

 ハーゼ領でレーナが絵を描きまくっていた頃に、手慰みになるならばと祖父母が水彩画材セットを買い与えた。初めて手にした大判の画用紙に、ハーゼ領の港に停泊する父の船をご機嫌で描いたところ、祖父母と母が親ばか丸出しで額縁に入れて飾ってしまった。レンホフ邸には装飾品類が少なくいささか殺風景だったので、ちょうどおあつらえ向きだと思ったらしい。


 蒸気船を描くとヨゼフの機嫌がよいため、その後も何枚か描いた。

 実を言えばヨゼフは別に蒸気船の絵が好きなわけではなく、娘の描いたものが自分の所有する船であることが誇らしかっただけなのだが、そんな親心はどうもレーナにはあまり伝わっていない。


「私もぜひ拝見したいな。レベッカ、君はマグダレーナ夫人と仲がよかったよね?」

「ええ。最近はご無沙汰してるけど、以前からマギーはとてもいいお友だちよ」


 母の名前まで出てきて、何やら話がよからぬ方向に向かっているとしか思えない。レーナは戦々恐々としていたが、ふいにレベッカ夫人が話題を変えてアロイスに問いかけた。


「ところで、レンホフ家の料理長はとても腕がよいのですってね。アロイスは先日ご馳走になったのでしょう?」

「ああ、はい。晩餐をいただいてきました」


 話題がそれてレーナがホッとしていると、何やらわけのわからない方向へ話が進み始めた。


「『奇跡の料理人』のお料理はどうだったの? やっぱり普通とは違うのかしら」

「どうでしょうね。おいしかったのは間違いないけど」


 アロイスの無難な返事を聞きながら、その前に出てきた意味のわからない単語に、レーナはひとり首をひねった。話の流れからしてレーナの家の料理長のことのようなのだが、「奇跡の料理人」とはいったい何だろうか。確かに腕はよいほうだと思うが、奇跡的といわれるほどの料理はまだ見たことがないような気がする。


 仕方ないので隣に座っているアロイスに、おずおずと小声で尋ねた。


「アロイスさま、『奇跡の料理人』って何のことですか」

「ああ、聞いたことないのか」


 アロイスの説明によれば、レーナの予想どおりレンホフ家の料理長のことだった。

 レンホフ家の人々の健康と美容をその料理の技で守っているとの評判が、社交界で広まっているのだそうだ。広める意図があったかどうかは別にして、広まるもととなったのはマグダレーナの話だ。いくつになっても体型に変化がなく、ほっそりとしたウエストを維持しているマグダレーナが、その料理のすばらしさを体現していると言われているらしい。


 なるほど、とレーナは思った。ものは言いようである。

 ほっそりしていると言っても、それはあくまで貴族の中での話。一般庶民に混じれば、別にやせているほうでも何でもない。むしろ肉付きがよいくらいだろう。一般庶民の家庭料理風の食事をとっていれば、一般庶民と似たような体型になるのも道理なのだった。


 しかしレーナの単純な頭でも、それをそのまま言葉にすべきではないことくらいはわかる。そんなことをすれば両親が、というより主に母が、恥をかくことになるだろう。

 レーナは慎重に言葉を選びながら、先日の晩餐について説明した。


「先日アロイスさまにお出ししたのはお客さま用のお料理なので、我が家で普段食べているものとはちょっと違います」


 実際にはちょっとなんてものじゃなく違うけれども、そこは婉曲表現ということにしておく。

 レーナの説明に、レベッカ夫人は得心したようにうなずいた。


「やっぱりね。普段はどんなものを召し上がってるの?」

「ええっと、もうちょっとあっさりした感じのものです」


 料理長が腕によりをかけた高級コース料理が、下町の安食堂のメニューにありそうな具だくさんシチューひと皿に変わるのだから「もうちょっとあっさり」どころの違いじゃないのだが、レーナの語彙力で穏便に言い表すには、このあたりの表現が限界だった。


「たとえば、どんなお料理なのかしら」

「たとえば……。うーん、煮込み料理なんかが多いと思います」


 煮込み料理とは具体的に言えば、旬の野菜たっぷり具だくさんシチューとか、田舎野菜たっぷり具だくさんシチューとか、市場のおすすめ野菜たっぷり具だくさんシチューとか、まあとにかく一般庶民の家庭料理風シチューなわけだ。それをレーナの語彙力で無難に言い表すには、これが精一杯なのだった。


 いずれにしても、どうにもよからぬ方向へ話が向かっている気がしてならない。

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金色に輝く帆の船で
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