おうち訪問 (2)
アロイスからの唐突な謝罪もさることながら、イザベルが説明したと言われても何のことだかわけがわからない。
レーナのぽかんとした表情を見て、アロイスは眉をひそめた。彼女の反応を見て、何か行き違いがあったと気づいたようだ。改めてアロイスから当時ずっとふたりが入れ替わっていたことを説明された。
「もしかして、聞いてなかった?」
「はい……」
ひとつだけレーナが思い当たるのは、学院に入学して間もなくイザベルと再会したときのことだ。
あのとき、確かに「あの頃は振り回してごめんなさい」という謝罪の言葉はあった。しかしレーナには意味がわからないので、その部分は聞き流してしまっていたのだ。ひとこと「どういう意味ですか」と聞き返してさえいれば、変に悩む必要などなかったというのに。
「何と言うか、もう、重ね重ねごめん」
「いえ。ちゃんと確認しなかった私もいけなかったので」
幼い頃のレーナはいつでも必ずイザベルとアロイスを見分けていたから、イザベルは謝罪のときにあえて説明する必要があると思わなかったようだ。実際には「成長したせいで雰囲気が変わったのだろう」と、レーナは大きく勘違いしていたのだが。
今にして思えばアビゲイルの「直接お聞きしちゃえば?」という提案は、これ以上ないほど的確だった。
おかげでレーナは、ずっと不思議に思っていたことを尋ねることができる。
「最初はともかく、どうしてずっと入れ替わってたんですか?」
「保身のためというか、そうだね、身勝手な都合で……」
アロイスは、肩を落としてため息をつきながら木馬の背に手を置いた。しょんぼりと脱力する姿が珍しく、そして気の毒で、レーナは何と声をかけたものか困ってしまう。別にそこまで気にするようなことじゃないのに。
アロイスによれば、最初に入れ替わったのはレーナとの初対面のときだ。それまではいつもアロイス、イザベル、ハインツ、ヴァルターと四人で遊ぶのが定番だったところへ、新しい子が来るというのでイザベルがはしゃいだ。そしてちょっとからかってやろうと彼女が言い出したことで始まった、単なるいたずらだった。当時アロイスは六歳で、イザベルとおそろいのドレスを着せられていたから入れ替わりは簡単だったのだ。
乳幼児期はベビードレスに始まり男児もドレスで過ごすものとはいえ、普通はせいぜい四、五歳くらいまでのことなのだが、当時アロイスが年齢の割に小柄だったのと、おとなしい性格で文句を言うこともなかったので、イザベルとおそろいだとかわいいという理由でまだドレスを着せられていた。
いずれにせよ、このいたずらはそれきりで終わりにするはずだった。
ところがレーナは、決して入れ替わりを見逃さない。大人にバレたら叱られるようなことをしている自覚はあるので、穏便にそっと入れ替わりたい、というか戻りたいのだがレーナにはそれが通用しない。
それどころかあまりにも迷いなくはっきりと見分けるものだから、レーナと会うときには入れ替わっていないと逆に大人たちから疑いの眼差しを向けられる始末である。実のところ、そのままでもあまり誰も困らなかったこともあり、ずるずるとそのまま入れ替わり続けていた。イザベルは外で遊びたいし、ハインツはイザベルと遊びたい。ヴァルターは、まあ、何でもよさそうだった。
準備学校に入れば自然にレーナにもバレる予定だったのだが、なぜだかレーナは準備学校には行かずじまいだった。やがて年齢的に入れ替わりが厳しくなってきて、いい加減きちんと話そうと決意したのだが、ちょうどその頃にレーナはハーゼ領に移り住んで会えなくなってしまった。本当のことを話す機会をことごとく失った挙げ句に、やっと学院で再会したときにイザベルから説明したはずだったのだが、残念なことにまったく伝わっていなかったというわけなのだった。
いきさつを聞いて、レーナは苦笑いした。
「それ、完全にアロイスさまが貧乏くじですよね」
「え。どうして?」
「だって、ていよく私の子守りを押しつけられただけじゃありませんか」
「子守り? そんな風に思ったことはなかったなあ」
「そうなんですか?」
「うん。いつも一緒にいられて、楽しかったよ。レニーはわがまま言わなくて、かわいかったし」
そう言ってアロイスが微笑みかけてくるので、思わずレーナは頬を赤らめた。
しかしアロイスの言葉に対しては胸のうちで「それはどうかな」と思う。わがままを言わなかったのは、相手が優しいアロイスだからだ。我を張るような自己主張をしなくても察してくれるし、先回りして気遣ってくれる。
レーナだってヴァルターが相手なら、結構いつでも言いたい放題だ。どこか鈍いところのあるこの兄を相手にするときには、それくらいでないと伝わらない。ハインツが相手でもそうだ。ただしこの王子さまには何を言っても、まるでザルで水をすくおうとしているようでむなしいというか、泥に釘を打つ感じで手応えがない。つらい。
木馬を離れて図書室へ向かおうとしたところで、背後からレベッカ夫人の声がした。
「あら、天使のお嬢さんじゃないの。ようこそ我が家へ、いらっしゃい」
「ごきげんよう。お邪魔しています」
「どうぞ、ゆっくりして行ってちょうだいね。では、またお昼のときに」
レベッカ夫人は初めて会ったときからずっと、レーナのことを「天使のお嬢さん」とか「天使さん」などと呼ぶ。いわく「天使のようにかわいらしいから」だそうだが、その文脈における「かわいい」は「間抜けな」とか「どんくさい」という言葉で置き換えても意味が変わらない気がしてならない。
きっと何歳になっても、初対面で自己紹介したときに「よんさい」と言いながら指を三本立てていたあの日の幼いレーナの印象から変わることはないのだろう。もうそろそろ、あれも時効を迎えてもよい頃合いのような気がするのだが。いい加減、忘れてほしい。
「天使」と呼ばれるたびに幼少時のかなしい失敗を思い出しはするものの、レベッカ夫人のことは大好きである。いつも明るく朗らかで、そして美人だ。イザベルもアロイスも、顔立ちは夫人によく似ている。性格はイザベルに受け継がれているように思われる。
レーナが挨拶を返すと、夫人は手をひらひら振りながら、なぜかアロイスに向かって片目をつぶってみせてから去って行った。何だろう、とアロイスのほうをちらりとうかがい見ると、アロイスはほんのり顔を赤らめて咳払いした。
「図書室に行こうか」
「はい」
図書室では、先代がまとめたという目録を見せてもらった。タイプライターで清書したものを、きちんと製本してある。
単なる目録ではなく、本当に美術解説書のようだ。実物を見せてもらった直後だけに、ひとつひとつの解説がとても興味深い。図書室内のソファーに腰を下ろしてページをめくっていたレーナは、じきにすっかり没頭していた。




