観劇 (6)
アロイスが祖父母と両親につかまっている間、レーナは兄たちに観劇の感想を話して聞かせていた。
そしてふと開幕前の不思議な出来事を思い出して、ぽつりと口にした。
「そういえば、開幕前にボルマン先生をお見かけしたわ」
「ボルマン先生? 美術の?」
「うん」
パトリックも学院出身なので、名前を聞けば思い当たるようだ。
「ボルマン先生って、まだ学院にいらしたんだね」
「あら。パット兄さまもご存じなの?」
「うん。若くて面白い先生だから、人気あったよ」
「今もそうよ」
そのやりとりを聞いて、ノアも会話に混ざってきた。
「ボルマン先生って、もしかしてパウル・ボルマンだったりする?」
「そうよ。あの先生、叔父さまのときからいらしたの?」
「ううん。あ、いや、いたと言えば、いた。同級生なんだよ」
「へえ」
「あいつ商家の跡取りだったはずなのになあ。教師になったのか」
ノアも学院出身だ。
平民だろうが学歴があって困ることはない、というヨゼフの強い主張により学院卒業後は大学まで進学したのだそうだ。
パウル・ボルマンと学院で同級生だったノアは、それなりに交流があったらしい。それなり、というのは、特別に親しかったわけではない、という意味だ。理由は、立場の違いだ。
パウル・ボルマンは裕福な家庭の跡取り息子であり、ノアは奨学生だった。
当時ノアは、ヨゼフが無理して進学させてくれたと信じていた。何しろ学院の一年分の学費は、一般庶民の年収を軽く上回る。それに加えて高価な制服や教材など、折々の出費もかなりかさむ。そういうところが貴族、または平民の中でも上流家庭の者しか入学できないゆえんだ。
実のところヨゼフの稼ぎは当時ノアが思っていたよりはずっとよかったのだが、そうとは知らないノアは、できるだけ兄に負担を掛けまいと奨学金を受けた上で慎ましい暮らしを心がけていた。
従って金銭感覚の違いにより、パウル・ボルマンとはあまり親しく付き合いようがなかったのだ。もちろん学院内では普通に話すし交流もそれなりにあったけれども、休みの日に遊びに行くときなどに誘われることはなかったし、仮に誘われても困ったことだろう。
だから卒業した後にまで連絡を取り合うような仲ではなく、ノアは彼が学院の教師になったことを知らなかった。
「それでね、先生のいらした席に、いつの間にか全然違う人が座ってて、びっくりしたの」
「なんだそれ。席を間違えてたとかじゃないの?」
「それがね、もうどこにもいらっしゃらなかったのよ」
レーナとアロイスが考えたのとまったく同じことをヴァルターが言うので、レーナは笑ってしまった。
「なら、見間違いだったんじゃね?」
「アロイスさまも確認してくださったもの。見間違いじゃありません」
「そうか。じゃあ、何だったんだろうな」
結論の出ないことを話題にしてしまったのはちょっと失敗だったとレーナが反省していると、ノアが助け船を出した。
「学校で本人に聞いてみたら? きっと案外単純な理由だと思うよ」
「うん、そうしてみる」
ノアは、ちらりとアロイスのほうを見てから話題を変えた。
「アロイスくんって言えばさあ、監督生なんだって? すごいよね。僕も勉強は結構頑張ったつもりだったけど、金ボタン止まりだったなあ」
レーナにしてみたら自力で金ボタン、すなわち上位十位以内の成績がとれるなら十分すごい。
奨学生だったノアは成績を落とすわけにいかず、在学中の四年間はずっと金ボタンで過ごしたそうだ。何度か模範生にも選ばれたことはあるが、残念ながら監督生には選ばれなかったと言う。
「うん、アロイスはすごいよ。入学してからこのかた、ずっと模範生だったもん」
「え、ずっと?」
「うん。ずっと」
一度も一位から転落したことがないと聞いて、レーナは目を丸くした。それはすごい。
「あ、そういえばパット兄さまも成績よくなかった?」
「いやいや、そんな超人と比べたら全然たいしたことないよ。ノア叔父さまと一緒かな。何度か模範生には選ばれたことがあるけど、ただそれだけ」
「それだけってことないでしょ。すごい」
「レーナだって今回は模範生だろ?」
「そうだけど。でもあれは、何と言うか、非常事態でしたからね……」
レーナの今回の成績は、数に入れないでほしい。あれはレーナの成績がよかったわけじゃなくて、もっと成績のよい学生たちが試験を受け損ねただけの話なのだ。どうもヴァルター以外の家族は、そこのところがわかっていない様子で困る。
「でも次は実力でなれるよう、超人さまのお力添えのもとに全力で頑張る所存です」
「アロイスがついてりゃ、間違いないだろ」
「おお。すごいねえ」
一同から熱い尊敬の眼差しを一身に浴びていることに気づいたらしいアロイスが、居心地悪そうに振り返った。
「え、何?」
「アロイスくんはすごいねえ、超人だねえって話してたの」
「何ですか、それ」
ノアの乱暴なまとめ方にアロイスは吹き出した。
「つまりね、うちのお姫さまが次も模範生になれるよう、よろしくお願いしますって話です」
「ああ。はい、それはもちろん責任を持ってお引き受けします」
「レーナ、よかったね!」
「う、うん。がんばります」
責任を持たれてしまった。
レーナは面映ゆいやら申し訳ないやらで、苦笑いするしかない。
勉強の話になってしまったので、今回の観劇の予習をするにあたって困ったこともついでに話しておいた。復古主義の美術や音楽に関する資料が読みたかったが、レンホフ邸にはそういった本がない。
だから後で兄か祖父あたりに王立図書館にでも連れて行ってもらおうと思って話題にしたのだが、それを聞いたアロイスがレーナのほうを振り向いて、にこやかに提案した。
「それなら、うちに来る?」
「え?」
「うちなら本があるし、美術品は祖先が代々収集してきたものがあるから、実物を見ながら学べるよ」
願ってもない申し出ではあるものの、ただでも勉強はおんぶにだっこ状態である。さすがに遠慮しようと口を開きかけたら、先にマグダレーナが話を受けてしまった。
「どうぞよろしくお願いします。よかったわね、レーナ」
レーナが口をはさむ余地もなく、あれよあれよという間に話がまとまり、翌々日の金曜日にジーメンス邸を訪問することになっていた。




