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とある茶番劇の華麗ならざる舞台裏  作者: 海野宵人


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観劇 (4)

 レーナが初めて劇場で見る芝居は、面白かった。

 比較するのもどうかとは思うが、指人形劇とは全然違う。規模も、芸術性も、何もかもが違う。レーナは引き込まれて、すっかり夢中になっていた。


 おかげで芝居を見ている間は美術教師を見かけたことなど忘れていたのだが、いったん幕が閉じて幕間の音楽が流れ始めたときにふと思い出し、レーナは美術教師のいたボックス席のほうを見てみた。彼は独身と聞いていたので、どんな人物と一緒に来ているのかちょっと興味があったのだ。


「あれ?」


 思わず声を上げてしまったのが聞こえたのか、アロイスが振り向く。なんと言ったものか困ってレーナが首をかしげると、アロイスはいぶかしげに尋ねた。


「どうしたの?」

「ボルマン先生がいらっしゃらなくて」

「え?」

「右側の一番前の二階でしたよね?」

「うん。────あれ。本当だ」


 美術教師パウル・ボルマンの姿を確かに見たはずのボックス席には、まったく別人の壮年男性がふくよかな女性と一緒に座っていた。まるで何かに化かされているようで、ふたりは思わず顔を見合わせた。


「あのとき席を間違えたとか」

「間違えるような場所かなあ。間違えたなら別の場所に移動してそうだけど、それもないみたいだよ」

「うーん。何だったんでしょうね」

「ね」


 悩んだとて答えの出るものでもないが、不可解だった。

 しかし幕間の音楽が終わり舞台の幕が再び開くと、そんな些細な出来事はすぐに忘れてしまう。


 この劇は、史劇だけあって重厚さが売りだ。

 時代考証のもとに製作された背景や衣装などは、実に真に迫っている。


 劇中最大の見せ場は、王位を決する最後の戦い前夜の場面だ。疲弊した兵たちを前にした主人公ハインリヒ四世が、理想の治世を語る演説で兵士たちの士気を鼓舞する。

 主人公を演ずる役者の声には深みと張りがあり、特にこの場面では非常に聞き応えがあった。とにかくいい声で、間合いもうまく高揚感が盛り上がる。この劇の人気は、かなりの部分がこの役者のおかげじゃないかとレーナは思った。


 芝居が幕を閉じると、間もなく劇場の係員が来て、迎えの馬車が到着していると玄関ホールへ案内された。馬車の順番が来るまで待たされることを覚悟していたので、あまりの早さに拍子抜けした。


 学院でも帰省の際には、迎えの馬車の到着順にロビーで呼び出される。あくまでも到着順なので、早く乗れるか遅くなるかは迎えの馬車の頑張り次第である。王家の馬車だろうが、迎えがのんびり来たなら呼び出しだって遅くなる。


 しかし今回は、到着順なのだとしたら呼び出しが早すぎるような気がした。

 なぜならアロイスは御者に伝言を頼んでいるので、馬車はいったん侯爵邸に戻っている。家に戻らず劇場付近で待っていた馬車だっていたはずで、それに比べたら絶対に迎えの到着は遅かったに違いないのだ。

 にもかかわらずこの早さということは、馬車についている公爵家の紋章への敬意か、はたまたボックス席の年間契約に対する謝意なのか、とにかく何らかの思惑が働いているに違いなかった。


 一歩でも学院から外へ出れば、かくも世の中は世知辛い。

 何だかちょっぴりほろ苦い気持ちを噛みしめながら、レーナはアロイスの手を借りて馬車に乗った。


 家に帰り着いたのは、夕食にはまだ少し早い時間だった。

 アロイスを応接室に通し、紅茶を出す。


 紅茶を飲みながら劇の感想をアロイスと語り合っているところへ、ひょっこりノアが顔を出した。


「レーナにお客さまだって?」

「叔父さま……」


 ノアときたらまるで小さな子どものように半開きの扉から行儀悪く上半身だけ覗かせて、興味津々に目を輝かせている。追い払うわけにもいかないので手招きして、アロイスに紹介した。


「叔父のノアです」

「ノア・ノイマンです」

「アロイス・フォン・ジーメンスです」


 自己紹介が終わると、ノアはちゃっかりアロイスの対面に腰を下ろした。


「ノアさんは、どんなお仕事をしてらっしゃるんですか?」

「船乗りですよ。これでも一応船長なんだけど、なぜか初めて会う取引先の人からはよく『おい、そこの坊主』って呼ばれます。もう名字をソコノボウズに改名してもいいかもしれない。ノア・ソコノボウズ。ちょっとかっこいいよね」

「いいわけないでしょ」


 礼儀正しく世間話を始めようと無難に職業を尋ねたアロイスに対して、ノアはいつもの調子を崩さない。レーナはそんな叔父を呆れた目で見つつも、つい笑ってしまう。まったく、困った叔父だ。

 アロイスはアロイスで、そんな叔父に対してさえ礼儀正しさを失わない。


「ノアさんは若く見えますものね」

「うん、だから知らない人からは使いっ走りを言いつけられることも結構あるの。別にそれはそれでいいんだけど、困るのはね、『船長を呼んできて』って言われることなんですよ。どうすればいいの、あれ。『船長は僕です』って言い出せる雰囲気じゃないし、困って副船長を呼んでくると、そういうときに限って見習いが僕に『船長!』って大声で呼びかけてきたりするんだよなあ。あれ、ほんと困る。僕のせっかくの気遣いに、何してくれるの」

「最初から正直に言っちゃえばいいでしょ」

「それもそうか。レーナ、僕が船長ですって言ったら信じてもらえると思う?」

「…………」

「え、ちょっと待って。なんでそこで黙るの。信じてもらえると思うから言ったんじゃないの? 叔父さん傷つくよ?」


 ノアが会話に参加したとたんに賑やかになったが、じきに祖父母や兄たちも応接室にやって来て、さらに賑やかになる。アロイスが立ち上がって兄たちと話し始めたので、レーナは座ったまま祖父母の相手をした。

 祖母から劇の感想を聞かれて、どんなところが面白かったのか話して聞かせている最中、不意に視界が暗くなった。


「だーれだ?」


 耳もとでささやく声に、呆れながらも笑ってしまう。

 こんな子どもっぽいことをする人は、ここにはひとりしかいない。もちろんノアだ。しかしそう答えようとした瞬間、どういうわけかレーナの頭の中に幼かった頃の自分の声が響いた。


 ────ベルちゃま!


 もちろんレーナにも、頭の中に浮かんだ名前をそのまま口にしない程度には分別がある。

 しかし彼女はなぜここで唐突にイザベルの名前が出てきたのか自分でもわからず、びっくりして目を瞬いた。

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