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それは悪夢か正夢か (4)

 談話室を出たアビゲイルは、知り合いの男子を呼び出そうと男子寮側に向かった。しかし中央棟と男子寮を隔てる大扉の前で、救いの神に出くわす。折良くレーナの兄ヴァルターが出てきたのだ。友人ふたりと一緒に談話室に向かうところのようだった。


「ヴァルターさま!」

「おう。そんなにあわてて、どうした?」

「助けてください。小さな黒い悪魔が────」

「うわ。どこだ」

「こちらです」


 ヴァルターを先導して談話室に向かおうとしたとき、絹を裂くような悲鳴が響き渡った。


「きゃああああああああああああああああ‼」


 駆け出したヴァルターを追って談話室にたどり着くと、部屋の奥に半狂乱で泣き叫ぶレーナと、焦った表情でその頭を押さえつけながらはさみを振りかざすイザベルの姿があった。


「いや! いやあああああ! 助けて!」

「ちょっ……。危ないから、じっとしていて! 動かないでちょうだい!」


 レーナが暴れるたびにイザベルの胸元でブチブチと嫌な音がする。いっそボタンが取れてくれればよいのだが、太い糸でしっかりと縫い付けられたボタンが相手では、ふわふわのやわらかい髪のほうが負けてしまうようだ。頭皮が傷つくのではないかと気が気ではないイザベルは何とかして頭を押さえ込もうとするのだが、「小さな黒い悪魔」が視界に入ってしまったレーナは完全なパニック状態に陥っていて手に負えない。

 談話室に居合わせた他の学生たちは、何ごとかと遠巻きに様子をうかがっていた。


「俺は先にあっちを片づけるわ。アロイス、レーナを頼む」

「わかった」


 ヴァルターと一緒にいた友人のひとりは、イザベルの兄アロイスだった。


「ベル、危ないから、そのはさみはこっちにもらおう」


 イザベルが兄にはさみを渡そうとしたその刹那、ヴァルターの殺気を感じ取ったのか「小さな黒い悪魔」が突然カサカサと走り出す。それを目にした瞬間にレーナのパニックは最高潮に達した。


「きゃあああああああ! いや! いや! 来ないで‼」


 必死に押さえようとするイザベルの努力もむなしく、暴れるレーナの頭がはさみに向かう。あわててはさみを引いたもののうっかり握りこんでしまったせいで、レーナの髪がひと房切り落とされてしまった。

 妹の力では恐慌状態に陥った少女を押さえ込むのは無理だと判断したアロイスは、片腕でレーナをしっかりと抱え込んでから反対の手ではさみを受け取った。そして腕の力はゆるめないままに、耳もとでなだめるようにささやく。


「レニー、もう大丈夫。大丈夫だから」


 妹がはさみを持っていた理由は、レーナを抱えたときにすぐに見てとれた。はさみを振り上げていたのも、暴れるレーナを間違っても傷つけまいと遠ざけていたのだろう。イザベルが救おうとしていた繊細なレースのリボンは、レーナが暴れたせいで無残に裂けてボロボロになってしまっていた。


 アロイスが手際よくリボンを切り取ってレーナの髪をボタンから開放してやったところへ、場違いなほど穏やかでおっとりした声がかかった。


「どうしたの? ものすごい悲鳴が聞こえたけど、何があった?」


 それはヴァルターと一緒に歩いていたもうひとりの友人、王太子ハインツだった。その質問に答えたのは掃除用具を手にしたヴァルターの勝利宣言だ。


「おっしゃー。成敗完了。レーナ安心しろ、寮の平和は保たれたぞ」

「もうやだ。ほんとやだ。早くそれ、どっかやってよう……」

「はいはい。んじゃ、ちょっくら片づけてくるわ」


 退治が終わっても、まだレーナは半泣きである。「小さな黒い悪魔」が動き回っていたら恐ろしいのはもちろんのことだが、屍体になったらそれはそれでやっぱり気持ち悪いのだ。


 そのやりとりを見て、ハインツはだいたいの事情を察した。しかし、それだけではまだ床の上に散ったレーナの髪と、自身の婚約者がしょげ返った様子でレーナに平謝りしていることの説明がつかない。いったい何をどうしたらこうなっちゃうの? 


 首をかしげているハインツに、アビゲイルが小声で簡単に説明した。


「ハインツさまへ例の定期報告をしているところを目撃されて、妙な噂になってしまったらしくて。誤解を招くような事態になったことを、レーナがイザベルさまに謝罪してたところだったのです」

「でも、どう見ても謝ってるのはイザベルだよね?」


 説明をはしょりすぎて、まったく現状の解説になっていなかった。思わずアビゲイルは、くるりと目を回してそっとため息をつく。


「それはですね……。聞くと脱力モノの馬鹿馬鹿しい経緯があるんですよ。話すと長いけど、お聞きになります?」

「なになに、教えて」


 始めから順を追って説明すると、ハインツもアビゲイルと同じような何とも言えない表情を浮かべた。


「それはなんと言うか、災難だったね……」

「何だか責任を感じちゃうんですよねえ。イザベルさまとお話しするよう勧めたのは私だし、リボンつけて結ってあげたのも私だし。普段どおりの三つ編みなら、ここまでの惨事にならなかったかもしれません」

「いやいや、君には何の責任もないでしょう。不運な偶然が重なっただけだもの」

「偶然、ですか。偶然と言えば……」

「うん?」


 アビゲイルは手にしていた本のページをめくっていたが、やがて何かを探し当ててページの上に指をすべらせた。


「やっぱりそうだ……」

「何を見つけたの?」

「どうしよう。これレーナのプライベートな話なんですが」

「ああ、だったら無理に話さなくていいよ」

「でも、ぜひとも聞いていただきたいほど気味の悪すぎる偶然なんですよ」


 アビゲイルは、平謝りのイザベルに逆に恐縮して謝り返している最中のレーナに声をかけた。


「レーナ、ちょっとごめん。ハインツさまにアレをお話ししてもいい?」

「え? ああ、うん。アビーが大丈夫だと思うならどうぞ」


 一瞬きょとんとしたレーナだったが、アビゲイルが手にした本の表紙を見せるとすぐに了承した。本に見えるそれは、例の「ストーリー仕立ての夢」の記録ノートだった。


「ありがと。ハインツさま、実はこの本はレーナの夢の記録なんです」

「うん」

「何しろ夢なので、内容は本当に荒唐無稽です。にもかかわらず、ここに書かれたことが現実に起きるという偶然が今朝ありました」

「へえ」

「今朝の出来事だけなら本当にちょっとした偶然と片づけてたところなんですが、この部分を読んでみてくださいますか。いろいろ失礼な内容になってますが、そこは夢ということで目をつぶってください」

「ここか。どれどれ」


 ハインツはアビゲイルから本を受け取り、指で指し示された場所を読み始めた。

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