秋休み (3)
家に帰るとまずレーナは、母に帰宅の挨拶をする。マグダレーナは書斎で手紙の整理をしていた。
「お母さま、ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
ヴァルターは挨拶だけしてさっさと自室へ引き上げてしまったが、レーナは母に話したいことがあるので、そのまま入り口でもじもじする。そんな娘の様子を見てマグダレーナは整理する手をとめ、微笑んで声をかけた。
「あら、どうしたの? 話があるなら中にお入りなさい」
「はい」
レーナは書斎に入り、母にうながされるままに机の脇に置かれた腰掛けに腰を下ろした。
「あのね、お母さま」
「なあに?」
「オペラ劇場には、何を着て行けばいいですか?」
マグダレーナは娘の質問が意外だったようで、一瞬言葉を失ったように瞬きした。そして何かを思い出したようにうなずいてから、笑顔になった。
「ああ、アロイスさまから昼の公演に誘われたのですってね。お父さまから伺ってますよ。大丈夫、母におまかせなさい。こういうこともあろうかと、ちゃんと昼のよそ行きも作っておきましたからね」
「ありがとう、お母さま」
まだレーナが袖を通したことのないよそ行きの中に、場にふさわしいものがあるらしい。
とりあえず身なりで恥をかく心配はしなくてよいとわかって、レーナはホッとした。
「レーナには、もっと違うお話があるのかと思ったわ」
「え?」
「ヴァルターから聞いたんでしょう? わたくしは継母だって」
「ああ、そのこと」
決して忘れていたわけではないのだが、レーナの中ではとっくに折り合いのついた話だった。
「聞きました。聞いたときはびっくりしたけど、お母さまはお母さまだし、お兄さまはお兄さまなことに変わりはないでしょう?」
「そうよ。そのとおりよ」
マグダレーナはうれしそうに微笑んでそう言った後、笑みを消して真剣な声で告げた。
「ずっと黙っていて、ごめんなさいね。でも、あなたが社交界にお披露目するまでには、きちんと話すつもりでいたのよ。あなたはシーニュに縁戚が多いから、正しく知っておく必要があるの」
「お母さまは、お祖父さまたちのことをご存じなの?」
なぜ母が知っているのかと、レーナは首をかしげた。父は確か、前ハーゼ伯ランベルトにも話さなかったと言っていなかっただろうか。そうであれば、その妻だったマグダレーナはなぜ知っているのだろう。
「もちろん知っていますよ。結婚したときに、教えてくださったもの」
「なるほど」
「お祖父さまやお祖母さまの出自もそのときお聞きしたから、あなたのシーニュの縁戚のことも知っているのよ。たとえば、あちらの王太子殿下はレーナのはとこだとかね」
「はい?」
いきなりとんでもない人と縁続きだと聞いて、レーナは当惑した。
「レーナのお祖母さまのお姉さまが、シーニュの国王陛下のお母さまなの。つまりシーニュの王太后陛下は、レーナの大伯母さまにあたるわけなのよ」
「何だか途方もないお話のような」
「そうよ。だからレーナは、どこにどんな縁続きがあるのか、社交界に出る前にきちんと学んでおかねばならないの」
「お勉強が増えた……」
レーナの瞳が絶望の色に染まったのを見て、マグダレーナは吹き出した。
「大丈夫よ。今日や明日ですべて覚えなさいってことではないんだから」
そうは言われても、レーナが大の苦手とする暗記系である。ただでさえ学校の勉強でいっぱいいっぱいなのに、学ぶ必要のあることがさらに増えるのかと思うとめまいがした。想像しただけで、すでに半泣きだ。
しょんぼりする娘を慰めつつ、マグダレーナは安堵のため息をついた。この話は、いつどのように切りだそうかとずっと気がかりではあったのだ。ひとつ肩の荷を下ろせたように感じていた。
「そうだわ、言い忘れてたけど、ハーゼ領からお祖父さまたちがいらしてますからね」
「お祖父さまたちが? 珍しい。初めてじゃない?」
「ええ、そうね。当分の間、王都に滞在なさるご予定ですって」
「はい。ご挨拶してきます」
「あ、待ってちょうだい。今はお父さまとご一緒に、おふたりとも王宮に上がってらっしゃるの」
「わかりました。お戻りになったらにします」
マグダレーナはふと何かを思いだしたように、机の上をさっと片づけてから立ち上がった。
「そうだわ、レーナ。ちょうどいい機会だから、ちょっといらっしゃい」
「はい」
レーナも立ち上がり、部屋を出ていく母の後を追った。マグダレーナの行き先は、彼女の居室だった。
「そこでお待ちなさいね」
レーナをソファーに座らせ、マグダレーナは衣装部屋へ入って行くと、ひと抱えもある大きな宝石箱を取り出して来た。それは優美な飾り模様が精緻に施されたブロンズ製で、古いものであるにもかかわらず、よく手入れされていて少しも輝きを失っていなかった。
マグダレーナはレーナの横に腰を下ろし、宝石箱をテーブルの上に置くと、レーナのほうに向けた。
「これは、あなたのものよ。開けてごらんなさい」
怪訝に思いながらも、言われたとおりレーナは宝石箱を引き寄せて蓋を開ける。内側には黒いベルベット張りの宝石入れが何段にも重ねて入れられていた。一番上のトレーには小ぶりの宝飾品が所せましとばかりにぎっしり詰め込まれていて、下のトレーほど収納されている宝飾品の数が少なく、かつ豪華になっていく。
レーナは宝飾品の目利きではないが、そんなレーナでも特に一番下のトレーに入っている首飾りはガラス製の模造品でもない限り、とてつもなく価値のある品であろうことが容易に見当がついた。
「お母さま、これはどうしたの?」
「これはね、どれもアンヌマリーさまの形見の品なのよ」
アンヌマリー。それは、レーナがまだ生まれる前に、父ヨゼフの手を借りて隣国から亡命してきた元侯爵の娘の名前だ。そして、レーナの産みの母の名前でもある。
きらめく数々の宝飾品を前に、レーナはまだあまり実感のない、亡くなった実母について思いをはせた。




