カフェで勉強会 (4)
問われているのはハインツなので、レーナは自分には関わりのないことだと言わんばかりに顔をカフェの外に向けた。ついでに、さりげなくそっと椅子を引いてハインツから距離をとる。
「何って、これといって特には……」
「あら。おとぼけになるおつもりですか?」
ハインツが困っているのは承知の上で、レーナは視線をそらしたまま沈黙を貫いた。こんなところで、ほんの少しの隙を狙って絵をねだったりするハインツが悪い。ちょっとはイザベルにしぼられて反省するがいい、と内心では胸がすく思いでいたが、イザベルに糾弾されるハインツを見ているうちにほんの少しだけかわいそうになってきた。
かわいそうにはなったが、レーナにはアビゲイルのように上手に話をそらす方法がわからない。こんなとき、アビゲイルなら何と言うだろうか。必死に頭を働かせ、考えて、考えて、そして思い出した。そうだ、あのとき確か彼女はこう言ったのではなかっただろうか。
「あの、イザベルさま」
「レーナさん、なあに?」
イザベルはレーナのほうを振り返ると、表情を一変させてやわらかく微笑んだ。
「私が代表を務めている、私的な事業についてお話をしていました」
「まあ、そうだったの。だから内密なお話だったのね」
「はい」
無事にイザベルを納得させられる言葉を口にできたことに、レーナは安堵のため息をついた。隣で一緒になってハインツもホッと息をついているが、見るからにレーナに比べて立ち直りが早い。誰のせいで窮地に陥ったと思っているのか。そう考えたら、そのあまりにも現金な様子に少々イラッときた。これは、このまま無罪放免にしてなるものか。
レーナは困ったような表情を作り、つぶらな瞳でイザベルを見上げて訴えた。
「新規の案件をハインツさまに持ちかけられて、お断りしてもご理解いただけず困っていたところなんです」
「まあ」
イザベルはその秀麗な眉をひそめた。
味方をしてこの場を収めたと思われたレーナの突然の裏切りに、ハインツは目をむく。小声で「ちょっと」と言いながらハインツがレーナのほうへ手を伸ばしてきたのをひらりとかわし、ひとつ隣の椅子に移った。ここなら手も届くまい。
レーナはイザベルに見えない角度から、ハインツに向かって舌を出した。
「ハインツさま、レーナさんを困らせてはいけませんよ」
「う、うん、そうだね。すまなかった」
ハインツは渋々ながらも頭を下げ、やっとレーナは溜飲を下げた。
「ごめんなさいね、レーナさん」
「いいえ、わかっていただければそれで」
レーナは晴れやかな笑顔をイザベルに向け、たいして反省した様子もなく恨みがましい視線を向けるハインツを黙殺した。
「ところでイザベルさま、ずいぶんお早いお戻りでしたね」
「ええ、不意打ちをかけてみたの。頃合いをうかがっていたら何か内緒のお話を始めたようだったから、シナリオどおりに進めるにはちょうどよさそうかと思って」
屈託なく笑うイザベルに、レーナは感心した。無邪気に指人形劇を見ているだけだと思っていたのに、抜け目なく時機を見計らっていたらしい。時も場所もわきまえない、どこかの王子さまとは雲泥の差だ。
「とても助かりました。どうもありがとうございます」
「うふふ。どういたしまして」
店の給仕に扮した護衛が引いた椅子にイザベルも座り、テーブルにつく。
「劇はいかがでしたか。お気に召しました?」
「ええ、面白かったわ。それにね、とても学ぶことが多かったの」
イザベルは楽しそうに、何を学んできたのかをふたりに語って聞かせた。
彼女はまず、庶民の娯楽のひとつである大道芸というものを知った。大道芸の芸人というものはたいていひとつの場所にとどまらず、各地を回って興行することも併せて知った。ひとつの場所で演目を変えながら興行を続けるのではなく、同じ演目のまま場所のほうを変えるのが面白いというのがイザベルの感想だった。ひとつの場所に定住できないことを除けば、合理的ではある。
屋外劇場の前に置かれた椅子についても、イザベルは謎を解いてきていた。
馬車での移動式なら、あれほど数多くの椅子までどうやって運ぶのか不思議に思ったそうだ。しかし、椅子は劇団の持ち物ではなかった。設置した劇場のすぐ近くの酒場が、昼の間だけ椅子を提供していた。その上で、酒場は観客に飲み物やつまみを販売する。つまり指人形劇団と酒場は互いに協力し、補い合って商売をしているわけだ。
イザベルが見た指人形劇は今日が初日で、これからひと月ほど王都で興行する予定だと言う。出し物は二種類用意されていて、週替わりにするらしい。
イザベルはこうした話を、おひねりを集めに観客の間を回っていた見習いの少年をつかまえて聞き出していた。
いろいろ勉強になるだけでなく、純粋に物語も面白い。悪役として登場する「権力を笠に着た嫌味で身勝手な、手に負えない困った人」なんて、どこの世界にだってひとりやふたりはいるものだ。だから身近な「困った人」に置き換えて見れば共感して笑えるし、ヒーローとその悪友の掛け合いは小気味よく、身分に関係なく感情移入してヒーローを応援できる。
「それでね、ハインツさま。まだしばらくは興行するそうだから、今度はご一緒にいかがかしら? きっとハインツさまも、ご覧になったら得るものが多いに違いないと思ったの」
「あ、いいねえ」
イザベルに同意しつつ、教科書を指で叩きながら性懲りもなくハインツがもの言いたげな視線をレーナに向けたので、レーナはにこやかに先手を打った。
「謹んでお断りします」
「まだ何も言ってないのに」
「聞かなくてもわかります。どうせろくなことじゃありません」
「ひどい」
既視感のあるやりとりを繰り返すと、イザベルが笑った。
「ハインツさまとレーナさんも、劇団に加わってごらんになったらいかが? きっと大人気になること間違いなしよ。保証して差し上げるわ」
「いやですよ、ハインツさまと一緒だなんて」
「重ね重ねひどい」
レーナが冗談でなくいやそうな顔をして全力で拒否するのを見て、イザベルが手を叩いて笑った。その明るい笑い声につられて、やがて他のふたりも笑い出す。
その日はヴァイオリンの音色を背景に、もう少しだけ勉強してからそのまま遅い昼食をカフェでとり、学院に戻った。




