カフェで勉強会 (2)
ハインツと約束した週末の朝、レーナは待ち合わせ場所である寮の玄関ホールへ少し早めに向かった。よそ行きの私服を着て、髪はアビゲイルに結ってもらってある。以前の談話室での大惨事を反省し、今回はゆるふわではなく、少しかっちり目に結ってくれたようだ。
玄関ホールの外には、見慣れない大人が数人立っていた。ハインツを迎えに来た護衛と思われるが、およそ護衛らしくない服装の者ばかりなのが面白い。そのままカフェの店員としてまぎれ込めそうな者、休日の労働者風の者、商人風の者など、まるで仮装大会のようだ。
通常ならば、護衛は護衛とわかるような身なりをしているものだ。そうすることで、見た目によって襲撃を牽制する効果もあるからだ。あえてそうしていないのは、おそらくシナリオの邪魔にならないよう、背景に溶け込むための工夫なのだろう。
あまり待つことなく、イザベルとハインツも合流した。
シナリオ上では単なるお出かけだが実際には勉強会となるため、それぞれ筆記具持参だ。
学院の門から外に出ると、大橋はすぐ目と鼻の先にある。しかし橋が落ちた後、橋の入り口には杭が打ち込まれて綱が張られ、立ち入り禁止となっていた。
代わりに橋とは反対側にある、河岸に降りられる階段に向かった。護衛たちに先導されながら、レーナは心の中で首をかしげる。こんな階段には見覚えがなかったからだ。それに、敷き詰められたレンガが明らかに新しい。
河岸に降りると、桟橋も置かれていた。こちらも見るからに新しい。
イザベルも同じことを思っていたようで、レーナと顔を見合わせた。
「いつの間に」
「大橋が落ちてからすぐに工事を始めて、一週間で仕上げたらしいよ」
レーナのつぶやきに、ハインツが答えた。
そんなにすぐに対応できるなら、大橋が落ちる前にさっさと新しい橋を架けておいてほしかった。しかしそれをハインツに言ったところで、どうにかなるものでもない。レーナは文句を言葉にせずにそっと飲み込んだ。
桟橋には、子どもの頃から見慣れた船が着けていた。そしてタラップの上からは見覚えのある壮年の男の顔が覗いている。レンホフ邸にも何度か招かれたことのある、ヨゼフの仕事仲間だ。レーナと目が合うと、日に焼けた顔をほころばせた。レーナも笑顔で小さく手を振る。
この船はもともと旅客船ではないため、タラップも折りたたみ式の簡易的な吊り橋状のものでしかない。だから上を歩くと不安定で、かなり揺れる。手すりとも呼べないロープを握りしめ、おっかなびっくり歩くイザベルの反対の手をとってハインツが支えた。支えようとするハインツの足もとも、レーナから見れば甚だおぼつかない。
頼れる婚約者らしく振る舞おうと必死な様子がよくわかってしまい、レーナは笑いをかみ殺した。その必死さに免じて、ふたりが渡り終えるまではよけいな揺れを与えないよう、タラップに足をかけるのを控えてやろう。ハインツひとりだけが相手なら、白々しく不慣れな振りをしてわざと揺らしてやるところなのだが。
ふたりとも船内に足をつけたのを見届けてから、レーナは危なげなくすたすたとタラップを上った。ロープにつかまる必要さえない。
その様子を見て、ハインツは目を丸くした。
「すごいな」
「そりゃ、うちの船ですから」
レーナは幼い頃から何度も乗っているので、慣れたものだ。知ってさえいればどうということもないのだが、タラップを揺らしにくいリズムというものがある。揺れを打ち消すようなリズムで歩けば揺れないし、別に不安定でも何でもない。
だがうまく説明できる気がしないので、ちょっと鼻を高くするだけにしておいた。
レーナに続いて護衛の面々も乗り込み、出航する。動き出してしまえば、対岸まではほんの数分だ。対岸にも桟橋と階段が設けられていた。
階段を上がると、そこには馬車と、護衛用に数頭の馬が用意されていた。大変に準備がよい。
そこからは馬車で王都の中心部にある噴水広場まで行き、そこで馬車を降りてカフェに向かった。カフェは半分が貸し切りになっていた。警備の都合だと言う。それならばなぜ半分だけなのかとレーナは思ったが、完全に貸し切りにしてしまうと第三者から目撃されなくなってしまうからだとハインツに説明された。目撃されないと、シナリオを遂行したことにならないからだ。
カフェに到着すると、護衛たちはそれぞれの衣装に合わせて持ち場に向かい、背景の中へ消えて行った。知らなければ護衛だとわからない程度に、周囲に溶け込んでいる。
カフェでは、例によってアロイスが用意して持たせた課題を、指定された方法でこなした。ハインツだけでなくイザベルも慣れているようで、特にやり方を説明することなく勉強を進める。
やがて一段落したところで、休憩をはさむことにした。
レーナはケーキと紅茶を注文したが、イザベルは噴水広場の片隅にある人だかりが気になって仕方ない様子だ。
人だかりの前では、指人形の劇場が間もなく幕を開けようと準備中だった。まだ芝居は始まっていないが、劇団の一員らしきヴァイオリン弾きが、人寄せのために誰もがよく知る曲ばかりを繰り返し弾いている。その軽妙な響きに惹きつけられて、人だかりは次第に大きくなりつつあった。
「あそこに集まっている人たちの前にある、あれは何かしら?」
「指人形劇のための劇場ですよ。これから始まるみたいですね」
イザベルの疑問に、レーナが答えた。
指人形劇は、庶民の間で人気の娯楽だ。馬車で各地を回り、人通りの多い屋外に組み立て式の劇場をしつらえて興行する。貴族とは名ばかりで平民との付き合いのほうが多いような家で育ったレーナにとっては、特に珍しく感じるものではない。しかし劇場と言えばオペラなどが催される高級な劇場しか知らないイザベルの目には、生まれて初めて見る移動型の指人形劇場は、それはそれはもの珍しく映ったのだろう。
椅子から腰を浮かしかねないほどそわそわしているのが、微笑ましかった。




