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とある茶番劇の華麗ならざる舞台裏  作者: 海野宵人


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図書館で勉強会 (3)

 これ以上からかうならもう容赦はしない、とレーナが鼻息も荒くにらみつけていると、突然ヴァルターが真面目な顔つきになった。


「冗談は置いといて、これだけは覚えとけ。俺は、お前の保険だ」

「どういうこと?」


 ヴァルターにしてはよくわからない、おかしな言い回しに、レーナは首をかしげた。


「父さんの実子はお前ひとりだから、家を継ぐ権利はお前にある」

「え。お兄さまが継ぐんじゃないの?」


 父がヴァルターを跡継ぎとして教育していることを知っているレーナは、兄の言葉にびっくりした。


「それは、お前次第かな。嫁に行ってもいいし、ずっと家にいてもいい。そのときは俺が養ってやるよ。もちろんそうしたければ、お前が事業を継いでもいい」

「私が事業を継いじゃったら、お兄さまはどうするの?」

「別にどうもしない。地位なんかなくたって、父さんのもとで働けば食うに困ることもないだろ」


 兄の真意がわからず、レーナは怪訝そうに見上げた。


「だからって別に、事業を継げって言ってるわけじゃないぞ。どっちでもいいんだ。お前はお前のしたいようにすればいい。嫁に行きたきゃそうすればいい。逆にもし家を出たくないなら、そのときは俺がどうにでもしてやる。お前は何も心配しなくていい。保険っていうのは、そういうこと」


 言われたことの意味が今ひとつ飲み込めず、レーナは曖昧にうなずく。ヴァルターは「まだ先の話だけどな」と言いながら小さく笑って、またレーナの頭をなで回した。


 母と兄たちが血縁関係にないと知った驚き以上に、このヴァルターの言葉が不思議とレーナの頭の中に残って離れなかった。あまり細かいことを考えないように見える次兄が、自分自身だけでなく妹まで含めて先のことを考えていたのが、意外だった。それと同時に、学院を卒業した先の人生で自分はどうしたいのか、真剣に考えたことがなかったことに気づいてしまった。


「さて。今日は、ここまでにしとくか」

「うん。お兄さま、ありがとう」

「おう」


 ヴァルターと別れて自室に戻ると、部屋にはアビゲイルがいた。


「ただいま」

「ふふ。おかえり」


 いかにも意味ありげな笑顔を向けられて、レーナは少し身構える。


「なあに、アビー?」

「随分と情熱的なプロポーズだったじゃない」

「え。なんで知ってるの? 学習室にはいなかったわよね?」


 ギョッとしたレーナは、あのときの学習室内の様子を必死に思い起こす。アビゲイルは室内にはいなかったはずだ。絶対に。


「いなかったわよ、もちろん」

「なんだ。聞かれたのかと思ったじゃないの」


 安堵のため息をついたが、かまを掛けられたのかと思うと自然に口先を尖らせてしまう。


「でもね、レーナ。聞いてないとは言ってない」

「何ですって?」


 このだまし討ちに、レーナは目を見張った。


「だって、あんなところで話してるんだもの。聞こえちゃうわよ」

「あんなところって言うけど、学習室の、それも一番奥よ」

「そうね。そして窓は全開だったわね」


 確かに窓は開け放してあった。街路樹のおかげで直射日光が入ることも少ないため、さわやかな風が心地よいこの季節には、学習室の窓はたいてい大きく開かれている。


「言っておくけど、立ち聞きなんてしてませんからね。たまたま外を通りかかったら、上から聞こえてきちゃっただけ。それに、聞こえてたのは私だけじゃないから」


 学習室は図書館の二階にあり、その窓の下には小道が敷かれている。一階だったら人通りがあれば窓に人影が映るが、二階なので外を通る者がいることなどすっかり頭の中から消えていた。それでも普通なら学習室内での話し声が聞かれる心配など必要ないものだが、何しろヴァルターの声である。外を歩く者にまで聞こえてしまったとしても、不思議はない。


「あれは、お兄さまがふざけてただけだから。情熱のかけらもないから」

「ごめんごめん、からかっただけよ。笑い声も聞こえてたし、何か冗談だったんだろうなっていうのはわかってたわ」


 言い訳するレーナの必死の形相に、アビゲイルは声を上げて笑った。


「だけど、いったいどんな話をしたらあんな冗談につながるのよ?」

「それは……」


 母や兄たちと血縁関係がないことを知ったときの衝撃を思い出して、レーナは顔を曇らせた。

 レーナには珍しい、痛ましい表情を見てアビゲイルはあわてた。


「ああ、言わなくていいわ。話しにくいことを聞いちゃって、ごめん」

「ううん、大丈夫」


 レーナは、兄が話したことを洗いざらい話した。母が継母だったと知った、という部分だけかいつまんで話せばよかったのかもしれないが、アビゲイルが聞き上手なので、気がついたときには言う必要のなかったことまですべてしゃべってしまっていたのだ。


「なるほど。このお子ちゃまも、ついに真実にたどり着いたのね」

「え? もしかして、アビーは知ってたの?」

「入学したときから知ってたわよ」

「えええ。なら、どうして教えてくれなかったの?」

「言えるわけないでしょ、よそさまのおうちの中のことなんて」


 そもそもレーナが知らないことにアビゲイルが気づいたのも、つい最近のことだ。先日、レーナがヨゼフの話をしたときに「兄とは父が違う」と言ったことで、初めてレーナの勘違いに気づいた。しかし、よその家のことでもあるし、両親が知らせていないならそれなりの理由あってのことだろうと思ったので、よけいなことは口にせず黙って話を聞いていたのだ。


「アビーはどうして知っていたの?」

「貴族年鑑って知ってる?」

「うん」

「一緒の部屋になる子はどんなおうちの子かなって、調べてみたのよ」


 貴族年鑑には貴族ごとに、所有する爵位、居住地、生年、結婚した年、伴侶の名前と生家、子どもの名前などが書かれている。それを見れば、マグダレーナが継母であることは一目瞭然だったわけだ。


 レーナは貴族年鑑というものの存在は知っていたけれども、まともに中身を読んだことはない。小さい子どもの頃に豪華な装丁に惹かれて開いてみたことはあるのだが、略語や記号が多くてまったく意味がわからず、「わけのわからない、つまらない本」という認識のまま二度と手に取ることがなかった。


 一度でもちゃんと中を読んで自分の名前を探してみたら、もっと早く自分で真実に気がついていたのかもしれない。そう思うとレーナは何だか自分にがっかりしたが、では実際もっと早く知りたかったのかというと、知らないまま育って幸せだったようにも思うのだった。

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