図書館で勉強会 (2)
受けた衝撃が大きすぎて、レーナは悲しいのか寂しいのか、自分の気持ちもよくわからないまま、ヴァルターを見上げた。
「お兄さまはいつから知ってたの?」
「最初から」
「えええ……」
しょんぼりと寄る辺ない風情で肩を落とすレーナの頭をなでて、ヴァルターはまたひとつため息をつく。
「お前、まだ赤ん坊だったからなあ」
マグダレーナとふたりの息子がレンホフ邸に身を寄せたのは、レーナがまだ一歳になるかならないかの頃だった。その頃からずっとレーナを実の娘のように慈しみ育てたマグダレーナのことを実母と思い込んでしまったのは、無理からぬことだ。
彼女より年長のヴァルターだって、自分の実の父が亡くなったときのことはまったく記憶にない。まだ彼が三歳のときのことだった。レンホフ邸に身を寄せることになったときのことも、覚えてはいない。記憶にある限りずっと、ヴァルターはレンホフ邸で育ってきた。
ただ、ヨゼフとマグダレーナが再婚したときのことは、うっすらと記憶している。ヴァルターが四歳のときのことだ。簡単に披露宴もしたらしいが、そこの記憶はない。後で聞いた話によれば、始まって間もなく寝てしまったらしい。披露宴が終わった後に「今日から俺が君たちの父親だ」と笑顔のヨゼフに抱き上げられたのだけを覚えている。ヨゼフは武骨ながらも継子の養育に心を砕いた。だから、ヴァルターにとっての父とはヨゼフただひとりなのだ。
マグダレーナもまた、継娘をかわいがった。かわいがるあまりに自分が継母であると教えたがらず、周囲もあえて教え込むようなことはしなかったので、レーナは自分と母に血縁関係がないことを知らないまま育ってしまった。
もちろんレーナ自身が疑問を持つことがあれば本当のことを教える用意はあったのだが、幸か不幸か彼女が家族との絆を疑うことは一度もなかった。だからマグダレーナには、本当のことを教えるのにちょうどよい機会がなかったのだ。もっとも、それはただの言い訳だ。言ってしまうと「言いたくないから、バレない限りは黙っていた」というだけのことだった。そして、今の今までバレなかったわけだ。
ただしレーナにも、気づく機会がまったくないわけでもなかった。
疫病が猛威を振るった時期、前ハーゼ伯が亡くなった時期、両親が再婚した時期、そのいずれかひとつでも正確な年月を知りさえしたら、レーナだって自分の出生について疑問を持ったに違いない。しかし、よくも悪くも素直で純真な子どもだった彼女は、いずれも自分の生まれる前の出来事だったと信じ切ったまま、特に疑問を持つことなく育ってしまった。
「じゃあ、私の本当のお母さまは誰なの? まさか……」
「どうせろくでもないこと考えてるんだろうけど、違うからな。父さんの最初の奥さんだよ」
「最初の奥さん」
「そう。マリーっていう人」
「ふうん」
マリーという名を聞いて、レーナは少し考え込んだ。最近、どこかで聞いたことがあるような気がしたのだ。だがあまりにもよくある名前すぎて、どこで耳にしたのかまったく思い出せない。
「この前、国王陛下の留学生時代の話を聞いたときのこと覚えてる?」
「うん」
「ハーゼ領の別邸にいるお祖父さまたちが、シーニュの元侯爵って話だっただろ? その娘が、お前の実の母親。もとはアンヌマリーって名前だったのを、平民になってマリーって名乗るようになったらしいよ」
そこまで聞いて、やっと思い出した。国王リヒャルトが王太子時代に留学したときの同級生で、隣国の王子の婚約者だった女生徒の名前がアンヌマリーだった。そんな女性が自分の産みの母と聞いても、あまりピンと来ない。
「じゃあ、お祖父さまとお祖母さまは、本当に私のお祖父さまとお祖母さまなのね」
「そうだな」
あの日、父の昔話を聞いて、自分の身近な人々の知られざる過去に大きな衝撃を受けたものだが、よもや、さらなる衝撃を受けることになるとは。
けれどもヴァルターと話している間に、事実を知ったときの驚きが薄れ、それとともに不安も溶けて消えていくような気がした。そう、レーナは不安だったのだ。血のつながりがないと聞いて、家族の絆が切れてしまうような、漠然とした不安を感じた。でもやっぱり、継母だろうと母は母だし、兄は兄だ。ヴァルターのいつもと何も変わらない態度に、そんな風に安心することができた。
「まあ、そんなわけだ。あのシナリオも、いい機会にはなったよな」
「うん」
レーナが落ち着いてきたのを見てとるや、ヴァルターは何やらよからぬことを企んでいそうな笑みを浮かべた。その様子に気づいたレーナは、疑わしげな目でヴァルターを見上げる。
「だから、お前と結婚しようと思ったらできないわけじゃない」
「うん」
「で、俺と結婚するか?」
「しない」
反射的に返事をすると、ヴァルターは弾けるように笑った。笑いながら頭をなで回されて、からかわれたことに気づいたレーナは目を据わらせる。
ムッとして何か言い返してやろうと口を開きかけたところで、ふと周囲からの視線を感じた。そっとあたりを見回すと、数人の学生たちが急に目を伏せて勉強に集中している振りをするのが視界に映る。そのあわてぶりから察するに、それまでレーナたちのことを見ていたのだろう。
血縁について話していたときは、さすがに身を寄せて声もひそめて話していたが、その後にからかわれたときには、それほど小さい声でもなかったかもしれない。ヴァルターは父と一緒で、よほど気をつけて声量を抑えない限り話し声がよく響くのだ。あれを聞かれたかもしれないと思うと、レーナは気恥ずかしさに顔から火が出る思いだった。
なのに恥ずかしい思いをする原因を作ったヴァルターときたら、レーナの渾身のひじ鉄を難なく手のひらで受けとめて涼しい顔をしている。




