学院で一番長い日 (2)
自室に戻って勉強を再開したレーナはやがて、昼食の時間になって手を止めた。寮の自室に自分しかいない時間は、妙に寂しく感じられる。
アビゲイルは医務室で休んでいるが、昼食はどうするのだろうか。気になったレーナは、食堂ホールへ向かうついでに医務室に寄って確認することにした。とても食堂ホールで普通に食事できそうな体調には見えなかったから、必要ならレーナが食事を運んであげよう。
そんな心づもりで医務室に向かったのだが、医務室の入り口でその惨状にギョッとして足を止めた。
医務室内の長椅子はすべて具合の悪そうな学生で埋まっていて、椅子に座れず壁に寄りかかっている者もいれば、立っていられず床に座り込んでしまっている者もいる。
長椅子に座っていた男子学生のひとりは、入り口にレーナの姿を認めるとフラフラと立ち上がって席を譲ろうとした。あわててレーナは両手で彼を押しとどめ、首を横に振って自分は患者ではないことを伝える。
改めて室内を見回してみると、立ったり床に座り込んだりしているのは男子学生ばかりだ。おそらくさきほどレーナに席を譲ろうとした彼のように、女子学生に席を譲ったのだろう。自分たちだって立っているのもつらそうなのに。そんなときでも紳士たらんと強がって見せる、冷や汗を浮かべた青白い顔色の少年たちが何ともけなげで哀れだった。
見るからにバタバタと忙しそうな様子に少々気が引けつつも、レーナは助手に声をかけ、アビゲイルの昼食についてどうしたらよいか尋ねてみた。
「ああ。今は食事できる状態じゃないので、結構です。食べられそうになったらこちらで手配しますから、どうかご心配なく。ただご覧のとおり、今は大変に取り込んでおりましてね。ちょっとお遣いを引き受けてくださると助かるのですが、お願いできますか?」
「もちろんです。何でしょう?」
「厨房に、飲料水をなるべくたくさんこちらに運んでほしいと伝えてください」
「はい、お水ですね」
「そうです。今は食事より水が必要なんです」
「わかりました。すぐ行きます」
レーナは医務室を離れて食堂ホールへ向かい、奥の厨房入り口から中の様子をうかがった。これから昼食が始まる時間だけに、何人もの料理人が忙しく立ち働いている。おずおずと「すみません」と声をかけてみたものの、誰の耳にも届かなかったようだ。
どうしたものか困って、なおも入り口で中の様子をうかがっていると、そのうち料理人のひとりがワゴンに料理を載せ始めた。それは午前中にレーナに飲料水を用意してくれた、あの体格のよい料理人だった。
勇気を出してもう一度、今度はもう少し声を張り上げて「すみません」と声をかけると、ワゴンに料理を載せる手を止めて、料理人が振り返った。
「おや。お嬢さん、今度はどうしました?」
「忙しいところ申し訳ないんですけど、医務室にお水を運んでくださいますか」
「また水ですか!」
大柄な料理人が芝居がかったしぐさで大げさに目を見開いて驚いた振りをしてみせるのがおかしくて、レーナは思わず吹き出した。そうして笑うと、医務室のひどいありさまを見て不安に沈んでしまっていた気持ちが、少し浮上する気がした。
レーナは料理人に医務室の現在の状況を説明し、医師助手の言葉を伝えた。医務室の状況を話すにつれて、料理人の眉間のしわが深くなっていく。
「それで、今は食事よりお水が必要なんだそうです」
「わかりました。すぐに用意して、お届けしますよ」
「ありがとうございます」
伝言を終えたレーナは、料理人に会釈してその場を離れた。その背後からは、料理人が見習いの少年を大きな声で呼んで、飲料水を医務室に届けるよう指示しているのが聞こえてきた。あまり待たせずに水を届けてもらえそうだ。レーナはホッと安堵のため息をついた。
用事が済めば食事をすることになるわけだが、アビゲイルがいないのでこのままだと独りぼっちだ。ひとりで食べるのも味気ないな、と思案していたところ、兄ヴァルターが食堂ホールに入ってくるのが見えたので声をかけた。
「お兄さま!」
「お、レーナ、どうした?」
「あのね、今日はアビーがいないの。だから、ご一緒してもいい?」
「おう。アロイス、いい?」
「もちろん」
ヴァルターと一緒にいるアロイスには「お邪魔します」の気持ちを込めて会釈しておいた。アロイスは目もとをゆるめてうなずき返す。いつもならこのふたりに加えてハインツもいるのに、その姿が見えないことを不思議に思い、レーナはキョロキョロした。
「レーナ、何か探してる?」
「ハインツさまは、今日はいらっしゃらないの?」
「ああ、ハインツはなあ……。昼前に具合悪くなって、医務室に行ったわ」
「え。ハインツさまもなの?」
「まさかその様子だと、アビゲイル嬢もか」
「うん」
ビュッフェで三者三様に料理を盛り付け、空いている席に向かう。
レーナはヴァルターの皿の盛り付けを見とがめ、母から受け売りの小言を口にした。
「お兄さまったら、またお肉ばっかり。ちゃんとお野菜も食べなきゃダメでしょ」
「いいんだよ、ほっとけ」
「少し多めにお野菜とってきたから、分けてあげる」
「いいって。おい、やめろ」
ヴァルターが皿を守るように片腕で覆っているその隙間から、レーナは何食わぬ顔でサッと野菜料理を移してやった。腹立たしそうに兄がにらんで来ても、素知らぬ顔をする。その攻防を見たアロイスは、肩を震わせて笑っていた。
「相変わらず、仲がいいねえ」
「仲がいいっていうより嫌がらせだろ、これ……」
ヴァルターはむっつりとフォークで野菜料理をつついていたが、ぶつぶつ文句を言いながらも残すことなくきれいにたいらげた。
その横で上品に食べているアロイスの皿は、彩りもよく、とてもきれいに盛り付けられている。何だか大きく負けたような気がして、レーナはほんの少しだけしょんぼりした。
「アロイスさまのお皿はバランスいいし、盛り付けもきれいですよね」
「ずいぶん練習させられたからね」
「え、どこで?」
「家で」
公爵家の嫡男が盛り付けを練習させられる理由が思いつかず、レーナは首をかしげた。
「どうしてですか。好き嫌いしないように?」
「ふふ。残念だけど違うよ、社交のたしなみとしてだね」
「社交」
「うん。外国の賓客を招いた晩餐会では、相手の国のしきたりに合わせて、招いた側の主人が招待客の料理をその場で大皿から取り分けることがあるんだ。そのときバランスが悪かったり、見た目においしそうじゃなかったりすると、もてなし側としては礼を欠くでしょう? だから一応、ひと通りね」
「へえ。格式の高いおうちって、大変なんですね」
レーナの家では晩餐会などというものは、ついぞ催したことがない。
父が仕事仲間を夕食に招くことはあれども、招く相手は平民ばかり。晩餐会などという上品な場にはなるべくもなく、夕食つきの飲み会といった感じの賑やかな催しとなることがほとんどだった。
「格式というより、外交に関わるかどうか次第かな。だからたぶん、ハインツもひと通り練習させられてると思うよ。国内の社交しかしないなら、特に必要のない技術なんだけどね」
「なるほど」
ハインツの名前を聞いて、おしゃべりでいくらか浮上していたレーナの気分がまた沈んだ。医務室の状況を思い出してしまったのだ。ハインツもアビゲイルも、今頃どうしているのだろうか。




