未来を視る者 (7)
寮の自室に戻ったレーナとアビゲイルは、まるで申し合わせたかのように同時にベッドに腰を下ろして「疲れた……」とつぶやいた。そのつぶやく声がかぶったのに気づくと、顔を見合わせて笑い出す。
ひとしきり笑った後、アビゲイルは夢見るようにため息をついた。
「ああ、本物のヨゼフ卿、かっこよかったなあ。さすが『海の英雄』よね」
「はい?」
自分の父の名前が出たような気がしたが、聞き間違いなのか、それとも新手の冗談なのか、判断に困ってレーナは首をかしげた。
「かっこいいって聞いてはいたけど、本物は聞いていた以上だったわ。あんなかっこいいかたがお父さまだなんて、ほんとうらやましい」
どうやら聞き間違いでも冗談でもなかったらしい。
しかし、うらやむほどかっこいい父かというと、首をかしげざるを得ない。レーナの目にうつる父は、ただの頑固親父だ。兄ふたりにはねだられるまでもなく馬を与えたくせに、娘には母が援護するまで与えなかった恨みは忘れない。
「ふうん。身内だとわかんないものなのかしらねえ」
「うん。わかんない」
そもそも父のことをかっこいいと言われたのが、初めてなのだ。
別に不細工ではないものの、目の覚めるような美男子というわけではないし、ぶっきらぼうだし、そのくせやたら声は大きいし、平民育ちだけあって誰が相手でも粗野な言葉遣いをすることがしばしばあるし、家ではだらしなくてしょっちゅう母からお小言をちょうだいしているし、あまり「かっこいい」要素が見当たらない。家族や使用人を大事にする人で、頼りにはなると思うけど、レーナの思い描く「かっこいい人」とは何か違う。
そうレーナが言うと、アビゲイルは鼻で笑った。
「野性味あふれる大人の魅力ってものが、まだレーナにはわからないのよ。お子ちゃまだから」
「お子ちゃまじゃないもん」
レーナがムッと口をとがらせると、アビゲイルは笑って彼女の額を人差し指でつついた。
「『海の英雄をそっと愛でる会』を作ったらきっと加入希望のご婦人がたが殺到するわよ」
「ないない」
今度はレーナが失笑する番だった。あの父がご婦人がたに騒がれるところなんて、想像もできない。
「それに、ヨゼフ卿っていつまでも若いわよねえ」
「下っ端だからじゃない?」
「いや、爵位と歳は関係ないから」
レーナは真面目に話しているのに、アビゲイルは吹き出す。
「そりゃそうだけど、あの中ではパット兄さまの次に下っ端よね? 歳がってことよ?」
「何言ってるの、レーナ。歳ならヨゼフ卿が一番年長よ」
「え。うそ」
「うそじゃないわ」
驚くレーナに、アビゲイルは根拠を説明した。
あの場できちんと話を聞いていれば、少なくとも国王リヒャルトよりヨゼフのほうが年長なのはわかったはずだと言う。
リヒャルトが隣国シーニュに留学したのは十八歳のときで、一方ヨゼフはそのとき十九歳。
アビゲイルの父オイゲンはリヒャルトより四歳下だそうだ。だから、ヨゼフよりも下。
ジーメンス公エーリヒは、オイゲンと同級生だったと言う。だから、同じくヨゼフより下。
ティアナの父は、オイゲンの二年先輩だったそうなので、やはりヨゼフより下。
学長はオイゲンの一年後輩だったので、もちろんヨゼフより下。
というわけで、あの場にいた誰よりもヨゼフは年長だったのだそうだ。
「アビー、すごい……」
「陛下と父の年齢差は知ってたから。後は、たまたま父と学院時代に付き合いがあった人たちだからわかっただけよ」
「でもすごい。私は父と陛下の年齢差なんて知らなかったもの」
年齢だけではない。レーナは父のことを何も知らなかったのだと、気づかされた。
その辺の冒険小説がかすんで見えるほどの、あんな激動の少年時代を生きてきたなんて。
父にだってレーナと同じ歳だった頃がある。そんな当たり前のことに、父の昔話を聞くまで思い至らなかった。だから父がどんな少年だったのか、その頃どういう風に生きていたのか考えてみたことがなかったし、当然知りもしなかった。
平民育ちで子どもの頃は貧しくてとても苦労したらしい、とは聞いていた。けど、身寄りがなくて孤児院で育ったなんてことは初めて聞いた。だって、祖父母はヨゼフのことを息子と言っているから。実の息子じゃないなんて、思ってもみなかったのだ。
その祖父母たちだって、隣国で貴族だった人たちだとは知らなかった。この国でずっと平民として生きてきた人たちなのだとばかり思っていた。でも思い返してみれば、長兄パトリックに領主としての仕事のしかたを指導したのは祖父だったのだ。あのときは単純に「さすが年の功」と思っただけだったが、ただの平民にそんな知識があるわけがない。
身近な人たちの知られざる過去の話を聞いたせいで、何だかとても不思議な感じがした。よく知っている人たちが、突然まったく知らない人たちになってしまったかのような、どこか不穏な感じ。まるで世界から現実味が消えてしまったみたいで、そう、まるで物語の中の世界に突如迷い込んでしまったかのようで、何とも言えない心地がする。
知られざる過去と言えば、執事長マルセルもだ。
隣国出身だったのみならず、囮の実行役だったなんて。
マルセルには、気をつけて聞かないとわからない程度にかすかなシーニュ語なまりがある。けれども「出身がシーニュのほうだから」と説明されていたため、国境付近の村出身なのだと勝手にずっと思い込んでいた。
その話をアビゲイルにすると、「それ、古典的な詐欺の手口だから」と爆笑された。
「王宮のほうから来た」と言って、あたかも王宮の関係者であるかのように振る舞い、何の変哲もないブリキのバケツを「王宮で正式に採用されている防災用具」とうたって高値で売りつけるという、何とも悪質な詐欺商法があるのだそうだ。
引っかかる方もどうかと思うような話だが、そんな手口でも意外に被害者はいるらしい。被害者から訴えられると「王宮のある方角から来たのだから嘘はついていないし、王宮でも火災の際にはバケツで消火にあたる」と言い逃れをすると言う。
それと同じで「シーニュのほう」という言い方がもう騙す気満々だと言われると、確かにそのとおりだと認めざるを得なかった。まんまとしてやられたレーナとしては、非常に面白くない。マルセルめ。
アビゲイルに大笑いされ、そのうち一緒になってレーナも笑ってしまって、そうこうするうちには父や祖父母の衝撃的な過去の話を聞いたときに感じた「現実味のなさ」は薄れていった。そうして就寝時間が近づく頃には、もうすっかり日常に引き戻されていたのだった。




