未来を視る者 (6)
パトリックとヨゼフは偽造書簡を悪用する手口に関して王宮に報告し、対策のための支援を要請したが、ほぼ門前払いだった。「領内の問題は領内で解決してくれ」という意味のことをほんの少し丁寧な言い回しにしただけの、木で鼻をくくったような、実に杓子定規な回答しか王宮の担当文官からは得られなかったのだ。
もっとも最初から期待などしていなかったので、失望もしなかった。
ジーメンス公の名前が騙られていることと、隣国シーニュの者が相手であるため外交問題に発展しかねないという問題がなければ、そもそも報告しようとも思わなかったに違いない。
しかし門前払いということは、その報告が上層部に伝わる可能性もほとんどないわけだ。国にとっては、その程度の問題なのかもしれない。しかしある意味被害者であるジーメンス公に対しては、自身の署名が偽造された上に悪用されている事実くらいは知らせておくのが親切であろうと思われた。
そうは思えども、ヨゼフはジーメンス公とは直接つながりがないので、個人的に会って話す機会は特にない。かと言って正式に書簡で知らせるほどの大層なことでもない。いや、それなりに大層なことではあるかもしれないのだが、面倒くさいので大ごとにしたくなかったのだ。
そこで、親しい付き合いのあるらしい妻に伝言を頼むことにした。もちろんマグダレーナはふたつ返事で引き受けてくれた。ちょうど社交シーズンが始まる頃だったこともあり、夜会で顔を合わせたときに雑談がてら軽く話すことにしたようだった。
ヨゼフは社交が苦手で、夜会にはほとんど参加しない。
それでも再婚当初は妻に同伴するため渋々参加していたのだが、パトリックが社交界に出てもおかしくない年齢になったとたんに同伴役を交代し、これ幸いと自分は不参加を決め込むようになってしまった。だからマグダレーナに伝言を頼んだ後の夜会も、マグダレーナはパトリックの同伴で参加していた。
夜会の翌朝、念のためヨゼフは妻に伝言の首尾を確認した。すると彼女は少々気まずそうにこう答えた。
「当事者であるエーリヒさまではなく、夫人のレベッカさまにお話ししました」
本当はジーメンス公本人に話すつもりでいたのだが、ふたりで話した際にうっかり子どもの話題で盛り上がり、話し損ねてしまったのだそうだ。そこで、代わりに夫人に伝えておいたと言う。
話が伝わってさえいるなら、ジーメンス公本人でも夫人でも、ヨゼフとしてはどちらでもかまわない。詳細情報が必要になれば、先方から連絡してくるだろう。
相変わらずもぐら叩きの様相を呈していた署名偽造事件はしかし、ある出来事を境にぱったりと沈静化する。その出来事とはヨゼフの得意分野、海上での捕り物だった。
きっかけは「シーニュの商船が他国の船籍を装って頻繁に港に出入りしている」との報告が上がったことだ。報告をもとに調べてみれば、その商船はこの一連の事件の発端となった偽書簡事件のときの船だった。港の官吏が船長の顔と船の特徴を覚えていて、シーニュの船だと気づいたのだ。
報告を受けたヨゼフは即座に船を出した。くだんの船を沖で待ち構え、入港してくるが早いか囲んで逃げ道をふさぎ、船長を拘束する。その上で船内を捜索したところ、いつぞやの事件で使われたとおぼしき偽造署名入りの書簡が見つかり押収したのだった。
船長と船員を拘留したまま、念のため使者を立てて王宮にこの件について報告をしたが、前回と同じく「領内の問題は領内で」と言われただけだった。
領内の問題として処理せよということは、国として外交問題にするつもりはないということである。そうなると船長の罪は、国籍を偽ったことと、偽造された書簡を所持していたことでしかなく、いずれも大した罪にはならない。どうしたものか悩んでいたところ、シーニュのとある貴族のゆかりの者から「保釈金を積むので解放してくれ」と働きかけがあったので、たんまり保釈金をせしめた上で国外退去処分とした。
どういうわけか、このときを境にふっつりと偽造書類を使った事件は起きなくなった。
目的はおろか、偽造書類の出どころさえ判明しないままだったが、隣国のこととて深く追いようもない。
関税逃れが目的にしては手口がずさんなため成功率が低すぎて、課される罰金を考えたらとてもではないが利益が出ない。正直に関税を払う方がよほどましな商売になったはずだ。
もしジーメンス公の名前を貶める目的だとするなら、まったくの失敗でしかない。しつこく名前を悪用されるジーメンス公に対して、ハーゼ領の官吏たちはむしろとても同情的である。
この一連の事件によって、シーニュに対する領民感情は確実に底辺まで落ちた。誰も得をしていない。本当に意味がわからない。
何ともすっきりしないまま、この件に関しては調査を打ち切ったのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「こうなったら、今さらでも偽造の犯人を突き止めるべきじゃないかと思いますよ」
ヨゼフはハーゼ領での事件についてこのように語り終えると、パトリックに向かって質問した。
「パトリック、例の押収した偽書簡はどこにある? 処分しちまったりはしてないよな?」
「もちろん。必要ならいつでも提出できるよう、王都の屋敷で保管してあります」
「そういうわけなんで。陛下、閣下、いつでも命じてやってください」
リヒャルトは頭痛をこらえるかのように額に手を当て、深く息を吐き出した。
「こういう重要な情報が上がってこないのは、大いに問題だな……」
「あのときは誰も重要だと思わなかったんじゃないんですかね」
「まあ、そうかもな」
ヨゼフの大して慰めにならない慰めの言葉に、リヒャルトは力のない声で同意した。エーリヒも苦笑を浮かべてうなずいていたが、しばらくすると真剣な表情でヨゼフに向かって頭を下げた。
「当時のことはさておいて、この情報はとても助かりました。対策の必要な対象がはっきりしているのと、暗中模索で手を考えなくてはいけないのとでは、まるで違いますからね」
「お役に立ちそうなら、何よりです」
「この後、もう少し詳しくお話を伺ってもよろしいですか」
「もちろん。パトリック、いいよな?」
「はい」
ヨゼフとパトリックも残って話し合いを続けることになったようだ。
リヒャルトは解散前に学生たちの顔を見回してから、釘を刺した。
「さて、学生の諸君。わかっているとは思うが、ここで聞いた話は口外無用と心得てほしい。いいかな?」
学生たちは、それぞれ同意の言葉を口にする。それを最後に、その場は解散となった。
寮の自室に戻ろうとしていたレーナは、背後でハインツがヨゼフに声をかけているのが聞こえて立ち止まった。
「ヨゼフ卿」
「何でしょう?」
「先ほどの隣国からの亡命の話で、囮役を務めた者がこの国に残って卿のもとで働いているということでしたが……」
「そうですね。それが何か?」
「その人から話を聞くには、どうしたらいいですか?」
「ああ。なら、今すぐにでも。今日も連れて来てるので、そこにいますよ」
ヨゼフがハインツを執事長マルセルに引き合わせるのを見て、レーナは目を丸くする。
後ろを振り返って足を止めているレーナに気づいたアビゲイルは、談話室から出て行きかけていたところを引き返してレーナの肩をつつき、小声で尋ねた。
「どうしたの?」
「ううん。何でもない」
レーナは首を振って、今度こそアビゲイルと一緒に談話室を出て自室に向かった。