未来を視る者 (3)
懺悔にも似たリヒャルトの体験談が終わると、なぜか気まずそうな顔をしたヨゼフが手を挙げた。
「陛下。ちょっとよろしいですか」
「何だい、ヨゼフ?」
「その侯爵の一家なんですが……」
ヨゼフにしては珍しく、歯切れ悪く言いよどむ。
「陛下のおかげで、ちゃんと救われてます」
「何を言っているんだ?」
ヨゼフの言葉にリヒャルトは眉をひそめ、「逃げ出しても殺されたなら、救われたとは言わないよ」と吐き捨てた。
「そりゃそうですが、殺されてないんですよ」
「だから、何を言っているんだ?」
苛立たしげに問い返すリヒャルトに、ヨゼフは苦笑いを浮かべた。
「ちょっと長くなりますが、俺の昔話を聞いてください」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ヨゼフは、パトリックとヴァルターの父である前ハーゼ伯ランベルトと十歳の頃からの知り合いだった。ランベルトがお忍びで街歩きをしたとき、スリを追いかけて護衛とはぐれた挙げ句に道に迷い、ごろつきに絡まれていたところをヨゼフが救ったのが最初の出会いだった。
救ったと言ってもヨゼフ自身もまだ子ども。大人のごろつきとまともにやり合っても勝てるわけがない。だからランベルトの手を引いて、ただ一緒に逃げた。しかし、そこは勝手知ったる路地裏のこと。大人が通れないような隙間を選びながらちょこまかと走り続け、大声で助けを求めるうちには護衛と合流できたのだ。手段はどうあれ、救ったことに違いはない。
この後ランベルトはお忍びで街歩きをするたびに、孤児院に暮らすヨゼフを訪ねるようになる。ぶっきらぼうなヨゼフのところに、人なつこく快活なランベルトが押し掛ける形で交流が続いた。
ランベルトが学院に入学し、ヨゼフが見習い船員として船に乗るようになると会う機会はなくなってしまったが、数年後に意外な場所で再会を果たす。隣国シーニュの港町で、船からしばし開放されて街を歩いていたヨゼフを見かけて、ランベルトが声を掛けたのだ。ランベルトは王太子リヒャルトにお供する形でシーニュに留学中で、例によってお忍びの街歩きをしていたところだった。
ランベルトに誘われて食事をしながら、互いに近況を報告し合う。しかし、いつも明るいランベルトがどこか浮かない顔をしているのが気になった。問い詰めたところ、留学先での知り合いの、とある貴族が冤罪をかけられた挙げ句に殺されそうなので、何とか助ける方法がないか悩んでいると白状した。今にして思えば、リヒャルトに相談されたものの何の解決策も提示できず、苦悩していたのだろう。
詳しく聞いても、予言がどうとか今ひとつ理解できない部分が多かったが、とにかくある貴族の一家を国外脱出させたいことと、馬車で逃げると襲われて殺害されるおそれが限りなく高いことだけは伝わった。
「馬車だと殺されるなら、船で逃げれば? 金払ってくれるなら、船長に相談してやるよ」
そう提案すると、ランベルトは驚いたような顔をした。そんなに驚くほど画期的な案ではないはずだが、それで彼の気持ちが少しでも軽くなるなら何よりである。
しかし、ランベルトはすぐまた暗い顔に戻ってしまった。
「でも、必ず馬車で逃げて殺されることになるんだよ……」
「だから、船で逃げりゃあいいだろうがよ」
「そうなんだけど。ああ、何て説明したらいいのかな」
要領を得ない問答の末にヨゼフが理解できたのは「貴族が馬車で逃げ、その途中で襲われて殺害される」という事実が必要になるらしいということだった。
「それさあ。殺されるのは、別に本物じゃなくてもいいよな?」
「どういうこと?」
「本物は船で逃げて、ニセモノを馬車で逃がせばいいんじゃないかってこと」
「なるほど!」
ランベルトは目を見開いて感動したような声を上げたが、すぐまた肩を落とした。
「でも、死ぬとわかっている代役なんて、誰にも頼めるわけがないよ……」
「もうさ、代役が人じゃなくてもいい気がするわ」
「え?」
「誰の目にも死んだように見えれば、それでいいんだよな?」
「うん」
「だったら襲われた馬車が岸壁から落ちて、大破すればいい。普通はそれで死んだと判断するよな。海の底まで死体探しに行くわけもないだろうし、人形でも乗せときゃ十分だろ」
「確かに……」
「まあ、御者は必要になるけど。でも、御者まで死ぬ必要はないんだろ?」
ランベルトは呆けたようにヨゼフを見ていたが、しばらくすると突然テーブルの上に身を乗り出して、ヨゼフの手を力強く両手でつかんだ。
「ヨゼフ! 君は天才だ!」
天才的というよりはむしろ、やけくそじみた雑な案だったが、それでランベルトが心の平穏を得られるなら何よりである。
「で、どうするよ? 船長に話しとくか?」
「待って、僕の一存じゃ決められない。先に侯爵閣下に相談するよ」
「おい、その貴族って侯爵さまなのかよ……」
一家まとめて消されそうというからには、吹けば飛ぶような、しがない木っ端貴族だろうと思い込んでいたヨゼフは、大貴族の話だと知ってギョッとした。しかしランベルトは何やら考えにふけっていて、友人が口の端を引きつらせていることに気づくことなく、そそくさと支払いを済ませて帰ってしまった。
その翌朝、ヨゼフの泊まっている下町の安宿の前におそろしく場違いで豪華な馬車が横付けし、見るからに仕立てのよさそうな衣服に身をつつんだ使用人が慇懃に迎えに来て、ヨゼフを仰天させることになる。その場から逃走すべきか迷うほど頭が混乱したが、ランベルトの名前を出されたのでおとなしくついて行った。
連れて行かれた先は、ヨゼフが生まれてこのかた一度も足を踏み入れたことのないような豪邸だった。どうやらこれが、くだんの侯爵の屋敷らしい。
使用人に案内された部屋には、ランベルトとともに壮年の貴族男性がいた。中肉中背で柔和な印象のこの男性こそが、侯爵その人だった。