第6章 婚前旅行
杣梨がこの世界に召喚されたのは、アルとマリナの婚礼の、前の満月の翌日だった。
満月の周期はほぼ、29.5日と言われている。
そして、次の満月までは、あと18日。
その日は婚礼を控えた2人が地方への視察旅行に出掛ける日だった。
比較対象がないので、なんとも言えないが、杣梨の想像ではアルデルベルクは北海道程度の広さ、だと思われる。
1つの国としてはかなり小さい方なのだろう。
東の大国、「ボルケーノ」とは地図を見ると北海道とロシア位の差があった。
(まぁ、小さいからこそ財政が行き渡って国全体が豊かなのだろうな)
その、小さな国の中で数日間の視察旅行。
一行はマリナの出奔を知る7人のうち、宰相と鶏ガラ悪代官を除いた5人と、杣梨。
そして、アル付きの護衛が10人。
杣梨は、王と妃の移動としては、かなり緩い警備体制だと思った。
平和で豊かな我が国では、王に害をなすものなどいない、と言うのが、この国の常識らしい。
「実際のところ、いざとなったらアルベルトさまは腕が立ちますからな」
そう言って笑った宰相と、鶏ガラ悪代官は王宮の留守番、といった役どころだった。
確かに、服の上からでもわかるアルの引き締まった筋肉は、相当鍛えているのだろう、と想像できる。
たまに王宮の広場で「ピッコロさん」達と剣を交えて遊んでいるアルやルーク、カイルを見ることがあるが、傭兵の「ピッコロさん」達と決して見劣りしない、機敏な動きを見せている。
(いや、いいんだけど、ね.........。でもさ.........)
杣梨は気が進まない。
なぜなら、視察旅行中、未だ婚礼を挙げていないにもかかわらず、アルと杣梨は同室の予定だった。
この世界の常識は知らないけれど、日本でそだった、18歳の杣梨にとってはかなり抵抗があった。
召喚されてからの10日間余り、身近で見てきて杣梨にとってアルは充分魅力的で、頼り甲斐もあり、申し分ない男性、ではある。
文字どおり、地位も名誉も人柄も、容姿も、頭脳も、兼ね備えている。
たいていの若い娘ならば「こんな人が私の彼氏ならば!」と、夢見るような相手だと思う。
それは、認める。
しかし、杣梨にとっては、まだ初めて会って10日程度の、知り合いレベル、でしかない。
そんな許嫁者と同室、などと言うことは異議しかなかった。
「ベス、私、ベスと同室がいい.........」
「おばば、私をおばばの部屋に泊めて.........」
女優魂全開のうるうる瞳で同行する女性2人にお願いしてみたが、軽くいなされてしまう。
「まぁ、許嫁者同士が別の部屋など、考えられませんわ!」
「良い機会でございます。ソマリさまと、我が王との親密さを増すのは今しかございません」
そう言うと、二人はにっこり笑って杣梨を宿泊予定の部屋まで送り出すのだった.........。
(はぁ.........)
正直、まだ手も握ったことのない許嫁者との同衾など、どうしたらいいのか、皆目見当もつかない。
(はぁ.........)
杣梨がベッドに腰掛け、大きなため息をついたところで、アルがルークと、カイルとの打ち合わせを終え、部屋に入ってきた。
杣梨は、傍目にもわかるほど緊張していたらしい。
アルが可笑しそうにわらった。
「そんなに固くならなくても。まさかとって食おうとは思っていないよ」
優しい声だった。
その声を聞いて、急に変に想像し、緊張していた自分が恥ずかしくなる。
あわてて、何気ない会話で取り繕った。
「ここも、王家のものなのですか?」
滞在中の宿泊施設は王宮によく似た造りの城だった。
「ここはいくつかある別荘のひとつなんだよ。国の南側を視察する時はこの城を使う。ほかには北、西、東に、よく似た造りの城がある」
そのうち、ソマリも行くことになるだろう、とアルはソファに座りながら笑った。
「国の視察は王と妃の大切な仕事だからね」
「大切な仕事?」
「そう。我が国は平和な国だけれど、それを過大に評価していたら民の暮らしは見えてこないからね。直に民の生活を知るためには直接、その暮らしぶりを見聞きしないと、ね」
ソファでゆったりと横になり、身体を伸ばしたアルは杣梨から見てかなりの長身だった。
先月、テレビドラマで共演した187センチの長身が売りのイケメン若手俳優よりも、たぶん背は高い、と思う。
ドアのノックの音がして、ベスがお茶の準備をしてきた。
(ベス.........!助かった〜)
このどうしようもない、気まずさを救ってくれるベスは杣梨にとって女神、に見える。
「アルベルトさま、本日のご夕食はこちらで摂られますか?」
ポットからお茶のサービスをしながら、ベスが尋ねた。
「そうしよう。こちらに運んでくれ」
「御意」
それだけの短い時間で、お茶を置いて、ベスは部屋を出ていってしまった。
たちまち、また、杣梨は気まずくなる。
(おばばを呼ぶ口実はないかな.........)
「あ、あの.........」
ん?と言うようにアルが杣梨を見る。
「あ、あの、おばばは?」
「たぶん、森で薬草でも摘んでいるのだろう。おばばは薬師でもあるからね」
「あ、私も手伝いに行こうかな.........なんて.........」
今のこの気まずさを回避したところで、夜になると回避する術がないことに杣梨はまだ気が回らない。
とにかく、目の前の、この気まずさをどうにかしたい、それしかなかった。
そんな孤軍奮闘する杣梨をアルは見透かしたように笑う。
「150歳とはいえおばばは魔術遣いの中ではまだ若い方だからね。慣れないソマリが行ってもむしろ邪魔だと思うよ?」
そう、この世界の魔術遣いは数百年は生きるらしい。
実際おばばは、アルの2代前の王から王宮に仕えている。
「わたくしは魔術の力で寿命をのばしているんですよ」
と、不気味にわらうおばばにあながち嘘ではないかもしれない、と杣梨も納得してしまった。
前に、杣梨の「聞きたいこと」の話の時にそれを知らされ、仰天したけれど、ある意味、それで安堵もした。
(まぁ、人を異世界から召喚できる位の魔術師がゴロゴロいられても困るし、ねぇ.........)
この国で、おばばクラスの魔術遣いはたった一人しかおらず、その家系に生まれた者、で召喚に関する魔術は一子相伝と決められているらしい。
そもそも、召喚という儀式は魔術遣いがその一生で執り行う事がほとんどない、極めて稀な儀式にあたる。
数百年から数千年に一度、あるかないかのレベルと言う認識で間違いはない。
召喚の儀式を執り行った魔術遣いは膨大な魔力を消耗するので、数年単位で高度な魔術を使うことには制限が出るという。
それは、召喚そのものに、力が必要な事もある。
だが、召喚の儀式は大抵において秘密裡に行われるもの。
つまり、他の魔術遣いに、その儀式を執り行ったことすら悟られないように、かなり高度な結界を張らねばならず、そのための魔力があまりにも消費量が多く、過去には召喚の儀式で魔術の力を全て使い尽くし、魔術遣いではなくなった魔術師も存在する、と言う。
おばばクラスには及ばない、そこそこの魔術遣いは老若男女かかわらず割とたくさん存在し、普段は医師や薬師としての仕事をしている。
ちなみにおばばの次世代にあたる、一子相伝の魔術遣いはおばばの兄にあたる魔術遣いの娘らしい。
「わたくしは子に恵まれませんでしたゆえ」
と、少し寂しそうにわらった顔が印象的だった。
「でも、この姪っ子がなかなか才がありましてな。わたくしもそろそろ引退かもしれませぬ」
そう言って相好を崩して笑うおばばは近所の孫自慢の年寄りと変わらなかった。
「近々、ソマリさまにも我が姪、イサベラをお目もじさせて頂く予定でございます」